大学入試がまさに始まっていますが、残された限られた時間の中で、何を優先して勉強すべきかを考えます。「コスパ」という言葉で、カットする勉強があっていいのかを考えましょう。
大学入試が始まって、いよいよ残された時間が少なくなってくると、あと少しで何をやればいいのかが気になります。本来困ることですが、赤本をながめると、はじめて気が付くその大学でしかでないこと、まだ勉強していないこと、準備していないことが出題されることに気付いたり…
ネットをみると、そんな言葉の代表が、「コスパ」。勉強の「コストパフォーマンス」です。
入試が始まっているからこそ、この言葉にひそむ落とし穴を考えてみたいと思います。もちろん、これは、高1高2の人がこれから受験勉強を始める上での「優先順位」の考え方ですし、また、「捨てる」ことが許されるかどうかを考える指標にもなると思います。
- 勉強の「コスパ」を考える~「「文学史」「四字熟語」はコスパが悪い」は本当か?
- 「コスパ」を考えるための要素~捨てても合格できるのか?
- 「コスパ」を考えるための要素~何と比較をしたのか?代わりに何を勉強するのか?
- 直観的な真実~やってこなかったことは「コスパ」がいい!やってきたことは「コスパ」が悪い!
勉強の「コスパ」を考える~「「文学史」「四字熟語」はコスパが悪い」は本当か?
急にこんなことを書きだしているのは、「国語の真似び」の方で、入試に貢献しようと思い、文学史などを解説しているからです。
特に早稲田の政治経済については問題一覧をまとめました。
で、こんなのを作ってみると、ネット上にまさに、「早稲田の政治経済を受けるけれど、文学史を勉強すべきかどうか」から質問があふれていることに気が付いたんです。
わかります?
早稲田の政経を受けるから、どう文学史を勉強すればいいか、ではなく、
文学史を勉強すべきかどうか、です。
そこで語られているのが、コストパフォーマンスです。
いわく、
「文学史はここまでまったく勉強してこなかった。問題で出るのはほんの少し。=配点が低い。出るとも限らないし、みんながとけないような難しいものが出ることもある。これから限られた時間で勉強すべきなのかどうか。もっと言い換えると、捨ててもいいか?」
こんなことがネットにあふれているわけです。
考えてみれば、私の国語でも、漢文なんかがよくこれに当たります。
「ほとんどの大学では漢文は使わない。〇〇学部だけ出る。それも少し、捨てていいか」というやつ。
英語だと「英作文が出るのは、〇〇大だけ。難しくてほとんど点が入らないと聞いている。捨てていいか」とか、「〇〇大の世界史の論述はかなりマニアックなことを聞いてきて、ほとんど正解を書ける受験生はいない。無視して解かないでいいか」とか。
これが、コストパフォーマンス理論ですね。
わずか数点のために、膨大な勉強量が必要となる。だったら、その勉強量をなくすことによって、ほかの部分、科目とか分野とかにその時間をあてて、そこで点数を稼いだ方が、「コスパ」はいいんじゃないか、ということですね。
わかりやすくするために、大学入試の国語の文学史や四字熟語ですすめますが、全科目の全分野でこういうことが起こります。
「ある特定分野は捨てていいか」「応用問題は捨てていいか」「記述問題を捨てていいか」
しかも、もっと話をわかりやすくするために、この「コスパが悪い」ということはまずは、正しいことにしましょう。「わずか数点のために膨大な時間がかかること」は真実としましょう。「いや、実は膨大な時間なんてかからないよ」っていうこともあるんでしょうけど、そうすると話は混乱するからです。
四字熟語や文学史をわずか数点のために、膨大な時間なんてかけてやってられない。
さあ、このことをどう考えますか?
「コスパ」を考えるための要素~捨てても合格できるのか?
まず、とても重要なことは、「コスパが悪い分野を捨てても合格できるのか」ということです。これは、ネットの質問でも答えてくれる人がいるようです。「受かるなら捨ててもいいんじゃない?」という答えです。
わかりやすくするために、極端な例をあげます。たとえば、早稲田狙いで、まったく英語を勉強していない人を想定します。それこそ、英語なんて何もわからないレベル。今から英語を仕上げるのは無理なので、英語をまったくやらずに、国語と歴史だけで、入試を受けていきたいけど、どう思いますか?という人がいたら、あなたはどう思いますか?
好きにすれば。受かるわけないから。
ですよね。
これを少しずつ、小さくしていくと、なんだか捨ててもいいような気がしてきます。
古文全部白紙にしていいですか?→だめ。
記述問題白紙にしていいですか?→何問もあるの?じゃあだめ。
漢字練習さぼってもいいですか?→全部間違ってるのに?さすがにだめ。半分ぐらいは取りたいよね。
文学史捨てていいですか?→まあ、一問くらいいいんじゃない?
となるわけです。
でも、これだって結構不確定要素が多くて、「古文、漢文ほぼ満点とれるんです」っていう人と「古文・漢文半分とるのがやっとなんですよ」という人は違いますよね?MARCHぐらい受けるとして、「英語と世界史は偏差値75なんです。国語も普通は60行きますね。文学史捨てていいですか?」と、「英語の偏差値は55、世界史は50、国語は50から60の間をさまよいます。文学史捨ててもいいですか?」はだいぶ違うと思うんです。
というわけで、「コスパが悪い」がいくら真実だとしても、合格点に到達していない人は、やるしかないんですよ。得点とらなきゃ受からないんだから。
百歩譲って、合格点をとるための、明確で現実的な作戦があるのなら、捨ててもいいと思います。でも、合格点に到達していない人が漠然と、捨てていいのか?
これが第一の落とし穴です。
じゃあ、合格点が取れているなら、捨てていいのか?これもよく考えると不思議です。さっきの人に登場してもらいます。
MARCH狙いで、「英語と世界史は偏差値75が当たり前で、国語は偏差値60。文学史捨ててもいいですか」の人です。
確かに捨てても受かりそうです。
でも、この人が、もし、第一志望の大学に文学史が出るとして、どうして捨てるんでしょうか?
英語と世界史、偏差値75になって、ほかにやることありますか?まあ、ないってことはないでしょうが…。国語が60になる理由のひとつが文学史なら…。まさにこのあとやるのは、それじゃないでしょうか。
国語の偏差値60を70にするための課題が3つぐらいあって、その中でコスパが悪いのは文学史だと判断したなら仕方ないですが…
そうなんです。ここで気が付くと思いますが、コスパは、他と比較していいかわるいか判断するものなんです。
「コスパ」を考えるための要素~何と比較をしたのか?代わりに何を勉強するのか?
というわけで、次の視点です。
何と比較したんですか?
確かに、今から文学史や四字熟語をはじめるのは、大変です。だから、コスパが悪い。??。何と比較して?
そうです。大変なのはわかりますが、「何かと比較して、もっとも短期間で最大限の効果があるものを優先するから捨てる」ということでない限り、コスパが悪い、というのは無理があります。
たとえば、国語がまったくできないと仮定します。次の中からどれかしか勉強できないと制限しましょう。どれを学習しますか?
- 漢文の句法を覚える。
- 古文単語を覚える。
- 古文文法を覚える。
- 現代文の問題を解く。
- 文学史をやる。
どれもできないということは、同じぐらいで、こんな風に比較してみたとき、文学史をとる人はいませんね。そもそも出るかどうかわからないし、出たとしても数点ですからね。
この程度のことを「コスパが悪い」と言っているにすぎないんです。
これら、全部ができていないとすれば、受かるわけがないですね。それはまずやるしかないんです。
しかし、今度は合格ができるかどうかぎりぎりのラインまで全分野きているとします。文学史以外の全分野はいっぱしの受験生として、人並みに取り組んできて、合格するかどうかぐらいのぎりぎりまで、全分野つめてきているとします。
さあ、どれを残りやりますか?
まったくやっていない、という仮定なら、出やすく点になる古文単語とか漢文句形、古文の文法などと思いますが…。やってきて、ある程度だいたい頭に入っている仮定なら…。
たとえば、10時間を、そのどれかの分野にあてるとして、
- 漢文句法…ある程度取り組んでほぼ完ぺきに覚えている
- 古文単語…ある程度取り組んでだいたいの単語を覚えている
- 古文文法…ある程度取り組んで基本的な問題なら落とさない
と仮定したら、これらをやりますか?となると、
- 現代文の問題
- 古文の問題
- 漢文の問題
ということになりませんか?
じゃあ、2択です。
- 今までもある程度やってきたように、国語の過去問題をとにかく解く。
- ほぼ例年出ている文学史はここまで手つかずだからやってみる。
のどちらがコストパフォーマンスがいいでしょうか?
わかりやすくいうと、国語の問題集を5回分くらいやるのと、文学史覚えるのと、どっちが明確に点があがるか、ということです。
もし、文学史がここまで点がとれずにいて、しかもそれが勉強していないからだとすれば、10時間でわずか数点があがる可能性が高い、ということです。
もし、あなたが赤本を10時間やるだけで(つまり、弱点の補強とかをせず)数点あがると思っているなら、1週間ぐらい徹夜すれば、100点満点で10点から20点くらいあがりそうですから、がんばってください。
「いや、それはないよね」と思うなら、覚えれば数点あがるというのはなんとコスパに優れていることか。
そうなんです。
コスパがいいとかわるいとかいうなら、比較しなさい。
比較のないコスパ議論は、要は「大変だからやらなくてもいい?」と聞いているだけなんです。
直観的な真実~やってこなかったことは「コスパ」がいい!やってきたことは「コスパ」が悪い!
さて、そういう中で、すごくシンプルな「コスパ」に対する考え方です。
それは、
今までやってこなかったこと、さぼってきたこと、逃げていたことは、ちょっとやるだけでも点数があがる可能性が高い。
今まで何度も繰り返してやってきたことは、得意でも苦手でも、ちょっとやったぐらいで点数があがる可能性は低い。
ということです。
漢文をまったくやってこなかったなら、漢文は少しやるだけであがる。
句法ばかりやって、漢字を覚えていないなら、漢字を覚えるとあがる。
苦手意識があって、逃げていた科目ほど、基本的なことを少し入れるだけで、得点があがる可能性が高く、何度も何度もやって得意になった、近づいた科目ほど、同じことを少しやったとしても点数が上がらない可能性が高い。
当り前と言えば、当たり前の実感です。
そう考えてみたとき、文学史や四字熟語をやってきたかといえば、そうではないなら、ちょっとやっただけで点数があがる可能性があるわけですね。
確かに文学史は、覚えるのが面倒です。
でも、受験までの残り時間で5時間ぐらいを文学史にさくなら、そんなに無理がありません。その5時間では1/3しか範囲が終わらないかもしれません。それでも、1/3の確率で数点が入るわけです。それは本当にコスパが悪いでしょうか?
ね。こんなに確実なことはないんですよ。
確かにもっと優先順位が高いことをサボってきていたなら、文学史は捨てですが、この期に及んで優先順位の高いものをやっていないというのは、かなり危機的な状況のはず。もう少し受かる可能性のあるチャレンジなら、文学史を捨てる、というような短絡的な発想は許されません。
参考になりましたか?最後まであきらめずに取り組みましょう!