学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

誰にでもできることを、誰にもできないところまでやり続ける「イチロー」の引退。

昨日、イチローが現役を引退しました。イチローの言葉、姿勢というものは、ものすごく学ぶ、真似ぶべきものだと思います。

イチローが引退しました。なんとなく、そうなんだろうな、と思いつつ、それでもまだ、もっとやってくれるような期待をなんとなく抱きつつ、そうしたら、やっぱり「引退」の速報がニュースに飛び込んできました。「学び」「真似び」を多くもたらしてくれるイチローという人を、もう一度振り返っておきたいと思います。

 

私が受け取ったイチローの「姿勢」を考える。

イチローという人の言葉や姿勢は、学ぶべき、真似ぶべき点にあふれています。もちろん、イチローさん自体が、誰かを教育しようとしたり、見本になろうとしたりしているわけではないのだとは思いますが、たぶん、さまざまな方面の、さまざまな人が、勝手に学んでしまっているのではないでしょうか。

誰の影響を受けたか?

こういう問いかけは非常に難しいです。私たちは、常に他者の影響を気が付かないところで受けながら、自分を作っていますから。自分が意識していないところで、よくもわるくも、見たもの、聞いたもの、体験したもの…そういったありとあらゆるものが、自分の中にいつの間にか息づいているわけですから。

でも、イチローさんの言葉や行動(これは見る、というよりも、報道や本によって知ることになるわけですが)は、「学び」としては、とてもわかりやすく、簡単にいうと、「ああ、才能なんてものはないんだなあ。誰もが、自分をああいう領域にもっていくことができるんだなあ」と思わせてくれるようなものでした。

簡単にまとめると、

  • 目標のために、自分ができることと、自分ではどうにもならないことをきちんと整理して、自分ができることを徹底してやる。
  • その意味において、他人は気にしない。成績も他人とは比較しない。
  • 目標を立てたら、それを実現するための計画を立て、それを確実にやりとげる。目標の設定も常に、自分がそれを実現しうる目標にする。
  • 目標は実現して当然のものなので、実現にいたるまでの過程に、いくつもの「悔しさ」が隠れている。
  • だからこそ、彼はその「悔しさ」にこそ、誇りをいだいている。

というようなことを、私としては受け取っています。

自分のできることをやる。人は関係ないし、比べないし、気にしない。自分がコントロールできるものとできないものを、区別する。

イチローさんの「姿勢」ではっきりしているものは、自分でコントロールできるものと、自分でコントロールできないものとの区分けです。

その意味において、彼の目標は常に、マイルストーンのような、積み上げ型の記録であり、「誰か」ではないのだと思います。だから、シーズンの中で、一位であるかどうか、ではなく、「〇本のヒットを打つ」というような形で目標は設定されているのだと思います。

自分ができることは、後者だからです。200本ヒットを打っても、誰かがそれ以上打てば、勝てないのは仕方がない。だから、自分が立てた目標をきちんと達成するように向かうということがそのすべてなんだと思います。

たぶん、今後、彼の記録が破られるかどうか、自分が一番であるかどうかは、こちらが思っている以上にどうでもいいことだ、という思考ができあがっているような気がします。

もちろん、「試合に勝つ」という部分については、必ずしも自分がコントロールできないものでしょうし、彼の最後の会見なんかを聞いても、「試合に勝つということは関係ない」なんてことはなくて、勝つことのためにやっている。でも、やれることは、自分にコントロールできることをやること。

スポーツがおもしろいのは、やることをやれば結果が出るわけじゃなくて、さまざまな要素があって、勝負が決まる。それこそ、運とかね。イチローは決してそれを嫌っているのでなく、それがあるからこそ、野球を選んできたんだな、というのを感じました。

でも、そのことと彼の準備は別問題。いくら「運」というようなものがあったにせよ、そんなものがあるから、「やっても仕方ない」ではなく、自分がコントロールできるものに対して準備をし続ける。

ともすると、彼が個人主義のように、受け取られたり、チームで孤立しているかのように報じられるのは、こういう部分なんだろうなと。

でも、たぶん、彼自身はそうでない部分を、何よりおもしろいと思っているから、野球をやっているんだと会見を聞いて思いました。

 

「目標」を立てて、それを実現するための計画を立て、それを確実にやりとげる。

さて、次のポイントは、彼が明確に目標を立てて、それを実現するための計画をしっかり立て、さらにそれをやり遂げるという姿勢です。

だから、彼のスタンスは、「有言実行」です。「言い続ける」というような表現を使うことが多いですが、周りに宣言して、それに向かって積み上げるという形をとることが多いです。

「目標」と今、私は表現しましたが、「マイルストーン」の方が適切であるような気はしています。彼が実現しようとしている「目標」は、マイルストーンそのものではなく、もっと先にある何かであると思われるからです。

でも、それではやっていけない。だから、彼は一つずつ、マイルストーンを設定して、そこに向かって一歩一歩、歩みを進めてきたわけですね。

一つのマイルストーンに到達したら、次のマイルストーンを設定する。ぼくらには見えないところで、そのマイルストーンに到達するためのマイルストーンが置かれ、彼は、それを一つずつクリアしていく…。そうしたら、とてつもないことが起きていた…という感じです。

おそらく、このプロセスがすごく細かくて、そして、自分がやるべきことをやり遂げ、つまり、準備を完璧にして臨めば、あとは「運」というレベルに至るはずなんですが、極限まで、自分のやれることをやりきっていく、というのが、あの「ルーティン」という言葉になっているような気がします。 

「目標」は実現するもの。だからこそ「悔しい」思いがそこにある。

しかし、この「目標」、あるいは「マイルストーン」は、自分が実現できないところにあることが重要です。

子どもたちや、あるいは親、先生についてもいえることですが、「自分がやれる」ことを目標にしても意味がないんですね。「目標」なのか、そのための「手段・方法」なのかが区別されない。

「一日に2時間学習する」というのは目標ではないんです。目標は、そうではない、今の自分にはできないことができるようになっているイメージでないといけないんです。

一歩進んで、「成績そのもの」が目標になっていたとしても、それが、今からの「進化・改善・成長」が必要になっていないものであるとするなら、それは「目標」ではなくて、ただの生活です。

引退の記者会見を聞いていて、印象的なところが2か所ありました。

ひとつは、あの有名な小学校の卒業文集を書いた自分に、言ってあげたいことは?という質問についての答え。

「お前、一億円もらえないよって」のあとに「夢は大きくって言いますけど、なかなか難しいですよ」みたいなことを言っていました。

つまり、本気だったんですよね。

大きい夢、ではなくて、実現すべき夢。これが重なりあっているのがイチローで、だから、ここは「挫折」だっていうんです。しかも、引退する「今」。

だから掲げたことは、絶対に実現すべくやっていた、ということですね。

もうひとつは、50歳まで現役っていうところを聞かれた答え。

「最低50歳までって本当に思っていたし、それはかなわずで有言不実行の男になってしまった。言葉にして表現することが目標に近づく1つの方法だと思う」という部分。

やっぱり、意図的にやってたんだろうな、と思いました。これってすごい難しいことなんですよね。場合によっては、さっきの答えと今の答えで「矛盾」ととらえる人もいるんだと思うんですが、「マイルストーン」が今の自分より先に置かれれば、簡単には到達できないわけです。そこには「成長」が不可欠だし、そのための「努力」が不可欠。できないことをできるようにするわけだから、「できない」という体験を何度も繰り返さないといけない。

イチローの、達成したマイルストーンの裏側には、そこに挑んでできなかった、はじきかえされた、それよりもはるかに多い、失敗や苦しみがあるわけですね。

ただ、高い目標を立てればいいんじゃない。だから、本気で達成しよう、達成できると思っていなければいけない。でも、それは簡単にできることではない。だから、大変な努力、苦しみ、あるいは目に見えての失敗がそこに積み重なる。その経験を通して、少しずつ成長し、達成されていく。

ただ高い目標を掲げてもだめだし、簡単に達成できる目標でもだめ。

つまり、それは達成できない自分を追い込んで達成できるようにするという仕組み。

「50歳まで現役」は決して、高い目標ではなくて、掲げた以上、「絶対にやりとげる目標」。でも、現実には達成できないこともたくさんあって…。そうなれば「引退」というのは、すごく論理的な話です。

イチローが、おそらくその目標を達成できない「悔しさ」を「悔いはない」といいながら、それでも、「言葉にして表現することがひとつの方法だ」というのは、自分としてもしっかり受け止めたいなと思った部分です。

 

誰にでもできることだけど、誰もできないレベルでやり続けたこと。

 イチローさんのやった手法は、たぶん、誰にでもできること、やれることだと思います。だから、天才ではない。努力することを才能とよぶ人もいますが、それもちょっと違うような気がします。

たぶん、本当に誰にでもできることです。イチローさんにしかできないからすごいのではない。たぶん、誰にでもできるんです。あの方法論は。

イチローさんだから、その方法をやり遂げられたのでもないし、それをやり遂げる強さが、ほかの誰もができないものだったということでもない。

それをずっと続けていったら、周りの人が、誰もできないぐらいやり続けてここまできた、というのがイチローさんなんだと思います。

だから、真似ができないわけではない。イチローさんだからできる、というのは違う。ぼくらは彼の背中を追えるはずなんです。遠いと思うなら、マイルストーンを置けばいい。

でも、彼は、ついにここまでそれをやり遂げました。他人と比べないというのが、彼の教えなら、彼の偉業を見て、「とてもできない」なんて思う必要はないはずで、ぼくらはやり続ける必要があるはずです。

彼がチームの中で孤立しているかのように言われたり、この「50歳まで現役」という言葉もなめている、と言われたりするように、もしかしたら、この方法は周りとの軋轢や誤解を生み続けることなのかもしれません。

「ぼくは人望がないから監督は絶対ない」というイチローさんの気持ちもわからなくはないです。きっと、こういう思考って、日本だけでなく世界でみたとしても、異質なのかもしれません。「できないこと」を「できる」と思って、そこに至る準備を徹底する。そこに横たわる「運」とか「偶然」とか「他人のがんばり」とかを排除する。個人競技ならまだしも、それがチームスポーツですからね。軋轢を生まないわけがない。監督を望んでいる人だって、イチローの成し遂げた成績をもとに評価しているような気がしますからね。

こういう目的に向かって厳しくあろうとするプロセス重視の方法が、人間関係のようなことで捉えられるとすれば、やっぱりなかなか難しいんだろうな、と思います。

スポーツ選手の中には、興味深い成長を遂げていく人たちがたくさんいて、その人たちの情報を手に入れることができます。スケートの小平さんとか、大谷くんもそうだし、羽生くんも興味深い。教育的な視点でいえば、池江さんとか紀平さんとかも関心があります。

でも、イチローさんぐらい、わかりやすい言葉、論理的な思考はないような気がします。達成したことは誰よりもすごいのに、なんだかそこに、到達するための言葉がある。

他の人の方が、才能とか環境とかがそこにある気がしてしまって、でも、イチローさんは誰よりすごいのに、惜しげもなく到達するための方法を教えてくれている。

だから、本当は、指導的、教育的役割をイチローさんを、やっぱり見てみたいですね。