学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

1才と4才の子育て。くもんの「玉そろばん」で数を教えはじめる。

今日は久しぶりに、自分の子育て、乳幼児教育、早期教育の話です。くもんの「玉そろばん」を買ったお話。

ここのところ、大学受験に偏ってしまっております。もともとは、大学受験だけでなく、入り口にあたるところの中学受験や高校受験、そして早期教育のような子育て、親の心構えなどまで広げていきたいのですが、最初のころはなんとなくそんな話も書きつつ、徐々に仕事柄、出口ばかりを書くようになってしまいました。

新年を迎えて、少しばかり初心に戻りつつ、こうした自分の子育ての話も混ぜていきたいと思います。

というわけで、年末、思いつきでくもんの「玉そろばん」を買ったお話です。

 

我が家の早期教育~お姉ちゃんは、ドラキッズ、水泳、英語、弟は、くもん、水泳。

さて、ずいぶん久しぶりなので、おさらいです。

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我が家の習い事は、私が水泳をやっていて、今も関わっていることもあり、まずはスイミングスクールが必須となっております。とりあえず喜んでやっているから、今のところはいいかなと。まあね、運動はさせておきたいし、何か得意なものをひとつぐらいは作ってあげたいから、やらせておこうという感じです。

次に英語。

これは、奥さんの希望でもありました。英語ははやくからやっていたら、もうちょっと違うんじゃないかっていう。

これは私も賛成。でも、上の記事でも書いたけど、我が家では、ひとつここで決めたことがあります。簡単に言うと、英語続けさせようね、ってことです。私の予想は、英語をいくら早くはじめても、たとえば小学生ぐらいになってやめちゃったら、たぶん戻ってしまうだろうと。だとすると、ここでがんばらせるのはあまり意味のないこと。

それこそ、高校生になってから自分の意志で英会話教室に行ったり、短期留学したりした方がいいだろうし、それこそ大学生になって海外留学すればきっと英語は話せるようになるだろうということ。逆に言えば、もし早期に英語に取り組ませても、小学校、中学校あたりでそういう手をうたないと、たぶん学校や塾だけで英語を勉強するようになるだろうということ。

英会話教室にずっといかせるかはともかく、しまじろうの英語でも、近くの英会話教室でもなんでもいいけど、英語はずっとやらせようね、というあたりが、始めたときの確認事項です。まあね、つらくなったらやめてもいいわけで、そういうものとしてスタートしよう、ということなんですね。

で、もうひとつが幼児教室。これ、なんとなくやっておいたらいいかな、ということで、たぶん今ぐらいの季節から、ショッピングモールで勧誘のブースが出るんですよね。当時のお姉ちゃんが、そのブースで、確か穴に紐を通したり、ストロー差し込んだりぐらいの、手作りのおもちゃで遊ぶだけなんですけど、こういうのならいいなと思って探したんですね。

小学校受験を意識したかなりスパルタっぽいものから、遊びを重視したコミュニケーション型のところまでいろいろあって、うちは方針から考えると、遊び型、コミュニケーーション型がいいなと思ったんですけど、家から離れていたりとか、共働きなので通える曜日と開講している曜日の兼ね合いとかで、結局ドラキッズを選んだんです。

ドラキッズは、たぶん中間型で、そんなにあくせくしていないし、スパルタっぽい感じがしないんですけど、一応字とか計算とか、今だとプログラミング思考みたいなことまで入るので、バランスがいいかなと思っています。

で、弟です。

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ここで問題となるのが生まれ月。

お姉ちゃんは、ほぼ早生まれ。つまり、与えられているものが4月生まれの子に比べると、かなり早くくる。感触でいうと、「先取り」している感覚になるわけです。

今、彼女は4才になって、一人で教室に入っているわけですが、4月の感覚では3才になったばかり、ですよね?その1年前は3才のクラスなわけですが、そこは2才になったばかりで始める。で、2才のクラスは親と一緒でしたが、そこは1才になったばかりから、2才になるまでやった感じなんです。

わかります?1才になって親と一緒に通って、2才になって一人で3才コースに入ったってことですね。

これ、5月すぐに生まれた弟の場合どうなるかというと、もうすぐ2才だよっていう段階で、はじめて親と一緒に3才になる直前まで教室でプログラムを受ける。そして、もう3才になるぞっていう段階ではじめて、3才コースに行くわけです。

これが、上の記事で書いた、もしかしたら早生まれの方が勉強ができるようになるんじゃないか、という理論です。

もちろん、教室に入ってしまえば、5月生まれの弟は、その教室の中で一番に近いぐらい、いろんなことができるでしょう。でも、その代償として、彼は3才になるまで、何も与えられていない。「できない」と評価される早生まれは、実は2才の段階で、3才に与えるものが与えられている。そして、おそらくその与えられるものは、2才でも「できる」もの、与えても大丈夫なものが与えられている、ということなんですね。

ここに思い至って、うちは考えたわけです。

お姉ちゃんは1才になってすぐはじめたものが、弟は2才直前まではじめられない。これは待つべきなのか?お姉ちゃんの経験で言うと2才になったら話し始めるし(これは結構遅い方のはずです)、字もほどなく理解していく。そこまで何もしないでいいのか。いや、何もしないのはともかく、そこから、あのお姉ちゃんがお母さんと一緒にやっていたことでいいのか?という、そんな感じのことが疑問になったんですね。

これ、なかなか実際の子どもを見ないとイメージできないかもしれません。

あのころの子どもって、本当にわずか数日で成長するんですよね。仕事柄、泊りの出張に行かなくちゃいけなくなって戻ってくると、「えっ、こんなことができるようになっているの?」っていう感じ。だから、1年ぐらいの差と考えるととてつもなく大きく感じるんですね。

というわけで、うちの弟は、年齢関係なくスタートしていく、くもんにしたわけです。まあ、ちょっとした縁みたいなものもあって、いいかなと。

くもんのイメージというのは、宿題というか、ちょっとスパルタ的というか、多少どうなの?と思うところもあるわけだったんですが、冷静に考えれば幼児教室のうちは、そんなに勉強に傾くわけでもなく、しばらくはお母さんといっしょに通わなくちゃいけないあたりを考えてみても、むしろ情操教育的な部分もしばらくは強くあるような感じがして、結局弟は1才になる前からくもんに通っているのでした。

とはいっても、1才になったばかりでは、当然話さないし、字も読めないし、要は座ってただ聞いているだけ、というか、一応、発表の時間とかもあるんですけど、これもこの1年は親が代わりにやっているというような状況で、ようやく最近、彼自身がサイコロをころがしたり、字をさしたり、数を手で追ったり…というような真似事ができるようになったレベルです。

 

国語の先生は、言葉と字を教えるのは強いけれど…数字は…

さて、今度は私の方の問題です。

私は国語の教員ですから、字であるとか、言葉であるとか、読書であるとかについては、こだわりもあるし、仮説も持っているし、要は我が子で実験してみたいことがたくさんあって、とにかくやってみたわけですね。

で、「遊び」とか「分類」とかそういうような仮説までは想像がついて、いろいろなことがやれたわけです。要はパズルのようなものとか積み木のようなものを使って、どう遊んでいくか、ということですね。

当然、数を数えることだって、最初の内はほぼ言語と一緒ですから、そのぐらいまではなんとかなるわけです。

これ、感覚的にいうと2才から3才になるくらいまでは、これで済むわけです。数を順番に数える。数字を見て読めるようにする。こんなことで済むわけです。

ところが、3才をすぎたあたりから、明らかに数学的要素が入り込みはじめる。たとえば、10のあと11、12…と数えて、20にいく。これって、もちろん、ただ丸暗記させることも必要だけど、どこかで、「理屈」が入り込みません?たとえば、うちの子どもがもっている「しつもんブック100」。

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しつもんの番号が、下に大きくのっているんですよね。彼女は数字は読めますし、どうも、10番台ぐらいまでは順番に覚えているようで、「8」とか「15」といった場合には、順番にページをめくって探していけるわけです。

ところが、「25」とか「43」とかになると探さない。つまり、どこらへんにあるか見当がつかないようなんですね。これが「理屈」。「1、2、3、4、5…」という順番は理解していても、「10」番台の次に「20」番台がくるっていうのは、わかっていない。

数は数えられるようになってきたわけだから、次はたぶん、こういう数学的な部分に入らないと、これはいつまでも文系的な暗記になってしまうぞ、というのが私の感じていたことでした。

もちろん、数学だってある程度暗記の手法が大事なことはわかります。たとえば、くもんに通っている時に「たしざんのうた」っていうのを聞かされるんです。「線路は続くよどこまでも」の替え歌で、「1+1=2、1+2=3…」てずっと歌っていくんです。

ああ、くもんの手法ってある種の暗記なんだなって思いました。確かにそうで、概念の理解は大事でも、いちいち頭で計算しているかっていえばそうではなくて、九九がそうであるように、まず覚えてしまうということで、いくつかのものを単純化したりしているんですよね。

でも、それはそれとして、概念の理解にそろそろ入り込むんだなあ、と思っていたわけです。

 

ひさしぶりのくもんで、数字の勉強をしていることに思い至って…「玉そろばん」て言うんだ…

というわけで年末です。弟は土曜日に通っておりまして普段学校のある私は見ることができません。この辺はひたすら奥さん頼りです。

ところが年末、くもんは最終週までやってくれまして、全日まで泊まりで大会引率に行っていた私は申し訳なさもあってずいぶん久しぶりにくもんに行って来ました。

だいたい記憶にある通りプログラムは進んで行きます。

そう思っていたら、数字が始まりました。

そうだった。数字をやっていたけど、字を見ていたんじゃなかった。このなんだかわからない道具を使ってやっていたんだ…。

なんだか鮮明に思い出しました。

そもそも前行った時は夏でした。たぶんそうなると一才越えたぐらい。だからそもそも弟に対しては「難しすぎる」と私の頭に入らなかったのでしょう。お姉ちゃんが一緒にいればまだしも、いなかった。当時のお姉ちゃんに対しては「数字が弱いよなあ」という印象こそあれ、それは「20越えるとまだ飛ばしたりしちゃうもんなあ」というぐらい。

だから数字の概念をちゃんと教えようなんて思ってなかったんですよね。

先生はその道具を使って、数を数えて行く。最初は一つずつ。次に二つずつ。その次は五つず、つ。で、十ずつもやったかも。

ああ、こういう道具があって、こうやればいいんだ…と思ったんです。

さて、そうなると、次に必要なのは、あの道具をゲットすることです。最近のおもちゃや、本屋の傾向からすると間違いなく商品化されているはず。

たぶん買えるんだろうな、と思いながら奥さんに聞いてみると…

「ああ、玉そろばんでしょ?」という返事。あっさり玉そろばんだと判明しました。

ただ、奥さん曰く、もともと手に入れるのが難しく海外から取り寄せて…なんてお話を先生がしていたということで、とりあえず検索してみると、あっさりと出てきました。

というわけで、あっさり購入することができました。

 

玉そろばんを使ってみると…

実際に使ってみると、思った以上に大好評で、要は子どもにとっては「玉が動くおもちゃ」なんですよね。二人でとりあって動かして遊んでいます。

やりたかった数の確認はあんまりできません。

ただ、一列に赤い玉が5つ、青い玉が5つ。で、仕切る板もついていて、適当に分けたり、真ん中で分けて二人でやったり…ということができるようになっています。

たぶん5つぐらいで色が変わっていると、玉を適当に動かしても残っている玉の数が無意識にインプットされるような気がします。

なので、実際にどんなことができるかはこれからです。教室では、動かしているのをただ見ているだけの弟は、自分で玉が動かせて大喜びという段階ですが、たぶん少しずつ数を意識できるだろうし、お姉ちゃんは数を覚えたいという気持ちは強いようなので、こちらも徐々に学習モードに移るだろうな、という予感がします。

実際に赤5と青5の玉で一列。これで10個の玉。

これが12列あって、120まで数えることができます。

真ん中の仕切り版をつかえば、親と一緒に数えることもできるし、あるいは残りの数を数える。つまり、10を基準にして、残りの数を数えるようなこともできる。

後ろに紙のボードをいれるような溝がついていて、裏表の2枚のボードがついているので、それに合わせてやることもできます。数字が書いてあったり、絵でそれに合わせて玉を動かしたり…。

というわけで、今は勝手に遊んで、まるでままごとの道具のよう。

というか、サンタさんが彼女に持ってきたプレゼントより、こっちで遊びはじめているので、私としては最初からこっちをサンタさんにお願いすればよかったな、と思うしだいです。

最近のおもちゃというか、学習道具ってよくできているなあ、と思いました。

 

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