学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

平成が終わって令和になった…カセットテープが昔、あったよね?

あっという間に令和がやってきて、昭和、平成の時代の変遷と教育と学びを考えるシリーズです。今日は、カセットテープを考察してみたいと思います。

気が付くと、「令和」がやってきてしまって、「平成が終わる」シリーズも書きにくくなってしまいました。こうして、時代は過ぎていくんですね。

というわけで、今日は「カセットテープ」を考察してみたいと思います。

 

「カセットテープ」がなくなって、何が変わるのか?

カセットテープって知ってます?そうなんですよね。カセットテープとビデオテープがなくなって、「巻き戻す」なんていう言葉の意味が徐々に通じなくなっているんですよね。

怖い、怖い。

カセットテープは、私にとってはウォークマンとセットでした。好きな曲をカセットテープに集めて、そして、ヘッドフォンで聴く。

音楽の聴き方が決定的に個別化された瞬間です。

www.kokugo-manebi.tokyo

この辺は、「国語の真似び」の方で、まとめました。メディア・イズ・メッセージ。つまり、メディアとの付き合い方こそが、私たちのありようを決める、ということです。

音楽の場合、このウォークマンの登場によって、みんなと共有するものから、個別で楽しむもの、そして、作り手の提案から、個人が好きに切り取っていくものへと変質していきました。

カセットテープとウォークマンは、この音楽の「個別化」の急先鋒です。でも、昭和から平成、令和という変遷で見た場合、CD、間にMDをちょこっとはさんで、ダウンロードとストリーミングっていう流れは、音楽の個別化の延長線上で、さらにそれが進んでいくだけの話。

では、カセットテープの時代にあって、今、失われているものとは何なのでしょうか。

 

自分の好きな音楽を他者へ提案する力~プレゼンテーションと編集

カセットテープを愛用していた私のような世代の恥ずかしい思い出は、自分の好きな音楽を編集したカセットテープの存在です。もちろん、大半のカセットテープは、「LPレコード」の「アルバム」を、そのままカセットテープに録音したものです。「A面」「B面」をそのまま録音するわけですね。わかります?レコードには表裏があるから、「A面」と「B面」です。

でもね、消し去りたい恥ずかしい記憶の中にあるのが、自分で好きな音楽を集めて作ったカセットテープだったりするんですよね。

これ、曲順とか結構考えて、で、当時はパソコンもなく、ワープロも最初はなかったから、レタリングのシールみたいなのがあって、それで頑張ってラベル作ったりするわけですね。

いやあ、恥ずかしい。

これ、誰のためにやるかって?それはね、もちろん、自分のためなんですけど、やっぱり、他人を意識してやってるわけで。

必ずしも、女の子とは限らないんですけど、他人にそれをあげる、あるいは見せる、聞かせる、っていう感覚があることは間違いないし、「必ずしも」っていう表現の裏には、当然「女の子にあげたことがある」あるいは「あげられたらいいな」なんていう感覚があるはずで、カセットテープ世代なら、きっとうなずいてくれると思います。

ちょっとしたラブレターだったわけです。カセットテープがね。

いやあ、恥ずかしい。

こういうのは、男の方がきっとだめで、この思い出のカセットテープ、まだ実家に大量にあるはずです。捨てられないんですよね。女の子は、きっと捨ててます。さっとね。

この差も、きっとカセットテープが、恋愛の象徴だったからで、男が引きずるのに対して、女の子は終わったら捨てますからね。

いやあ、恥ずかしい。

でもね。

こういうことによって、「他者」を意識して、編集する力っていうのが養われたことは間違いないと思うんです。

今になって思うと。

まず、アルバム、A面が終わってB面にいくっていうメッセージのお手本がそこにあって。その展開を学んで、自分も真似をしていくっていうか。

曲もいっぱい聞かなくちゃいけないし、センスもつけなくちゃいけない。

で、そこから曲を並べるセンスが養われていくわけです。

それに比べて、現代は…。

いや、そもそもダウンロードとストリーミングだから、相手に渡すっていう動作がない。すでに音楽は、ラブレターの代わりにはなりえないんです。

ダウンロードとストリーミングという時代に、音楽はやはり、圧倒的な流行から耳に入ってくるはず。見つけるというよりは、流行っているものが押しつけられてくるという感覚に近い。

そして、音楽の好みまで分析してくれて、おすすめを提供してくれるのがネットの時代。仮に音楽がプレゼントになったとしても、それは1曲であって、編集作業はないですよね。

おそらく、この時代、音楽はひたすら、受けるもので、発信するものではなくなったんだと思います。

 

現代の「編集」力はどこに向かったのか?

では、現代の子どもたちや学生たちは、「編集」してプレゼンテーションする力がなくなったのか?といえば、まったくそうではありません。

彼らにとって、今、すべてはスマホの中におさまろうとしているからです。

彼らは私たちがまったく手をだそうとしなかったものを、毎日のように編集してプレゼンしているんですね。

それが、「動画」。

インスタのストーリーから始まって、Tik Tok、下手すりゃ、Youtubeにあげるレベルまで。信じられないくらい、動画を編集してあげていくわけで、音楽どころか、映像と文字などの演出を効果的に使って楽しむわけです。

考えてみれば、そもそもビデオカメラが、スマホについているんだから、恐ろしい話。これをどんどん編集して、他人に見せる文化が普通になったわけです。

 

カセットテープと動画編集の違いは…消費する時間と他者の反応

そういう意味においては、今の子どもや学生の編集力はおそろしいものです。ぼくらが作っているのがラジオ番組なら、彼らはテレビ番組が作れるわけで、しかも、音楽だけでない、さまざま要素を必要とするのだから、よほど高度です。

でもね。

かつてと今で、当然、それ以上の違いがあるわけで。

まずは、カセットテープで作った人ならわかりますが、カセットテープは、45分、60分、90分だったんですよね。

ここに録音する。

もちろん、ちょー短いテープもありましたけど、最低2曲必要なんです。A面、B面だから。

で、おそらく、このテープを作るために必要な曲は、10曲から、なんですよね。

これを演出する。

現代は、瞬間消費ですから、きっと下手すれば、10秒でしょう。45分の作品なんて、誰もみないですよね。

そして、これが証拠として残る。モノだから。

現代は、ストーリーが典型であるように、消える。

つまり、特定の相手がずっと持つだろう、何度も何度も聞くだろう、という前提で、45分から90分のテープを作っていたし、受け取る方も受け取る方で、それを聞いていたわけです。

考えてみると、こんな恐ろしいことを自分たちの世代はやっていたわけです。

だから、きっと相手に渡したいけど、渡せなかったテープなんていうのも、あるんじゃないですか?

ああ、恥ずかしい。

瞬間、瞬間を切り取って、それをみんなで、その場で消費して、あとくされなく葬っていく…。

自分からするとせっかく作ったら、とっておきたくなるけれど…。もちろん、今の子どもたちだって、大事にとっておきたいものもあるんだろうけど、交流の場がネットそのもので、みんなに共有されるから、下手すれば黒歴史として、いつまでも残っちゃうわけで。きっとそういうことは感じ取っているから、当たり障りのない、残っても恥ずかしくないようなものをなんとかあげて、それでさえ、やっぱり恥ずかしくなって、その反省の上に、無難なものがよりつくられていくわけで…。

今の子どもたちはある意味で大変な時代を生きていますよね。

そして、カセットテープに、好きな曲を集めて、曲順考えたり、勝手にベスト盤を作ったりして、友達や女の子を意識していたあの頃を急に懐かしくなりました。

この時代に、もう一度、ああいうイメージのメディアを再現できないかな?

写真だって、チェキのようなものも受け入れられるし、LPとかまでは復活しそうな気もするけれど、カセットテープって、どうやったら復活できるのかなあ。

真剣に考えてみてビジネスチャンスをつかんでみたい今日この頃になりました。