学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

ヤル気スイッチってどうやって探せばいいのか?受験生と小中学生の保護者に向けて。

今日は、受験生にならなきゃと焦っているあなたと、保護者の方にやる気スイッチの探し方について、まじめに考えてみたいと思います。

時間が過ぎれば、本人の意志に関わらず、「受験生」になるときがやってきます。かなり早い時期にそうさせられる人もいれば、受験ぎりぎりになって受験生にさせられる人もいるでしょう。

でも、周りがあなたを受験生にしても、周りがどんどん受験生になっても、あなたが受験生になっていないとすれば、それはまだ「受験生」にはなっていない状況ですね。自分でそこが自覚できる場合もあるでしょう。

こうなると「受験生」になったと認めてあげたいところですが、厳しくいうなら、「受験勉強」がはじめられていないなら、状況は変わっていません。「受験勉強が進まないという焦りを感じる」ことと「受験生になる」ことは違います。これを「進歩」と捉えるから、「がんばっている神話」が生まれてくるわけです。まずはそこからスタートしましょう。

 

「がんばっている自分」に何の価値があるのか?

まずは問いたい。

「がんばっている自分」に価値があるのか?

もちろん、「ある」と言いたくなりますね。努力に価値がないなんてことはないし、プロセスこそが重要であるからです。

でも、私はあえて問いたい。

その「がんばっている」は誰が決めているのか?それは「本当に」がんばっているのか?

スポーツでも、音楽でも、練習していれば「がんばっている」と言えるのか?日本全国のクラブ活動をしている人の「がんばっている」は同じなのか?

あるいは、同じ練習をしているクラブの仲間は、みんな同じように「がんばっている」と言えるのか?

一生懸命練習しているかもしれないけれど、あなたの競技と全く関係のない練習ばかりやっている誰かはがんばっているといえるのか?

もう一度聞きましょう。あなたはがんばっていますか?

受験生になろうとしているけれど、なかなか受験勉強をはじめられないあなたはがんばっていますか?

受験勉強をはじめたけれど、なかなかやる気になれず、机に向かう時間だけが長くなったあなたはがんばっていますか?

これを「がんばっている」ととらえてはいけません。あなたが本当に「がんばった」時が来たら、その時は評価してもいいかもしれません。でも、その時がくるまでは、あなたはがんばっていない。では、どうすればがんばることができるのか、考えてみましょう。

 

「やる気スイッチ」は自分にしか押せない。「好きなことならがんばれる」のではなく、「好きなことしかがんばれない」

さて、ようやく「やる気スイッチ」の話になってきました。テレビCMは「見つけてあげるよ」だったと思いますが、おそらくそれは難しい話です。「やる気」スイッチは本来、自分にしか押せません。自分にしか押せない、ということは、自分しか見つけることはできない、ということです。正確にいえば、自分がスイッチを入れた場所がやる気スイッチであって、他人がいくらおしまくっても、その人がスイッチを入れないかぎり、まったく意味のないことなんです。

理論上、「人間は好きなこと、得意なことの方が伸びる」のではないということがわかってきました。それどころではなく、「人間は好きなこと、得意なこと「でしか」伸びない」らしいのです。

どんなにがんばってみたところで、本人が「向かない」「やりたくない」「嫌い」と思っている以上、伸びない。こう書くと身もふたもないので、あとでこれをどうクリアするか考えますが、一番大事なことは、本人が「向かない」「やりたくない」「嫌い」という思いを改善しなければいけないわけです。

もし、あなたが受験生であるなら、まずはその気持ちを変える必要がある。「苦手だから伸びない」のではないのです。「あなたが苦手だと思っているかぎり伸びない」のです。少しでも、好きになったり、得意に思ったりすることが大事。

意外と腹さえ決まれば、できてしまう生徒もいるのですが、まずは「苦手」という思い込みを捨てることです。自己暗示でも何でもいい。あなたはその科目がもともと苦手だったわけではないし、「やってもできない」なんてことはない。必ず「できる」ようになる。思い込みさえ取り除けばいいわけです。あなたが、もし受験生なら、克服できるとかできないとかいったん横において、まずは「苦手じゃない」と思い込みましょう。そのあとに具体的に方法がくるんです。

 

今、勉強をはじめる「やる気スイッチ」は、音読、計算、漢字やスペル練習。そして、勉強のサインを作る。

さて、続いての「やる気スイッチ」問題は、今、はじめる気にならない、ということですね。その日の調子というか、取り組む気にならない時とかありますよね。もちろん、たまに来る調子の悪いときなら、思い切って気分転換というのも必要なことではあります。

しかし、毎日のように気分転換するわけにもいかないし、そういうのはどうやってクリアすればいいでしょうか。

「作業興奮」という奴ですね。最初の一歩が動き出せばいいわけですが、その最初の一歩がなかなか踏み出せないわけです。そこをどのように考えていくか、ということです。

このやり方は、大きくわけて二つのことが考えられます。「作業興奮」の原理を利用して、勉強にいたる「作業興奮」の状態を作ること。ルーティンを作って、できるだけ勉強のハードルを下げていくこと、です。

「作業興奮」というのは、簡単な単純作業をすることで、脳のウォーミングアップをする、といったらわかりやすいでしょうか。簡単にできないこと、大変であること、「快」感情を得られないこと、こういったものに取り組もうとすると、脳がいやがるわけですね。つまり、「やる気」が起きない。でも、これは至極当然のことなんです。

もちろん、中には「難しい勉強が楽しい」という人もいるかもしれませんが、楽しくない方が普通ですから、そうなれば「やる気スイッチ」は入りません。

さて、これはつまり「受験勉強をするのにやる気が起きないのは当たり前だ」ということを指します。この前提に立ってしまえば、まずは「作業興奮」となる、最初の一歩を意図的に作ることが重要になります。

本格的な受験勉強に入る前に、具体的な、しかも簡単な行動をルーティンにすることが考えられますね。

第一段階としては、ルーティンになるような行動習慣を作ることが考えられます。たとえば、「顔を洗う」「水を飲む」「歩く・ストレッチなどの軽い運動をする」「着替える」「学習道具を決まった位置に置く」などということが考えられます。また、各科目の前に、テーマソングのように決まった音楽、決まったアーティストを聞く、というのもおすすめ。さらに、家であるなら科目ごとに学習する場所を決めるというのも、かなり効果があると思います。こうしたことをルーティンとして作りあげることで、「勉強」に向かう難易度が下がる可能性があります。最初の一歩の壁が高いのは、勉強が非日常であるからで、これをまず日常で繰り返すことで、顔を洗うとか、歯を磨く程度の壁にできる可能性があります。たとえば、私は「片付ける」というのが苦手ですが、その場でさっと片付けることがルーティンになると、片付けるということが壁でなくなりますよね。勉強もそういう作業をするということが考えられます。今の生徒にとっては、音楽、場所、勉強の準備あたりが比較的誰にでも聞くところで、さらにレベルをあげると、メンタルタフネスの手法になってきますが、指を握ったり、言い聞かせの言葉を呟いたり…ということにつながってくるわけです。

しかし、これらは厳密には「作業興奮」とは異なる手法ですね。「作業興奮」というのは、具体的には、脳を活性化させて、最初の一歩を踏み出すための手法です。では、どうすれば、最初の一歩を踏み出すことができるでしょうか。

理論上、わかってきていることでいうと、単純な計算であるとか、漢字の記憶であるとか、音読であるとか、そういうことが脳を活性化させ、学習する準備をしてくれるのだそうです。「脳トレ」で一世を風靡した川島隆太教授の書籍によると、計算のスピードを競ったり、音読をしたり、そういうトレーニングをした直後に、学習をはじめると、学習効果が高まるのだそうです。

ということは、「英単語」であるとか、「英文の音読」「古文の音読」であるとか、世界史の教科書の音読であるとか、簡単な数学の計算問題であるとか、そういったものがスタートにはよいということですね。

もちろん、そういうことが好きであって、ハードルを感じないのであれば、いきなり応用問題であるとか、記述問題であるとかでかまわないのですが、どうしても苦手科目の、やや難しめの課題となると、どうしても「やる気スイッチ」が入らなくなるわけです。

であれば、先ほどのようなものをウォーミングアップにすればよいということになるわけです。英単語とか、英文法や英語長文の音読とかが、「アップ」ってすごくないですか?

で、さらにここまでにタイムプレッシャーの話を書きましたよね?

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で、この間、IMRシートの紹介や、それを使った英単語や漢字の覚え方をやりましたよね?

 

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こういうウォーミングアップについては、タイムプレッシャーを使ってスピードや量を競ったりするとより効果が期待できます。勉強のためのアップが勉強ですよ。よくないですか?

というか、たとえば「歩く」というような行動が「作業興奮」を生むとしても、「勉強」につながるかはむずかしいところがあるような気がするんです。したがって、勉強の準備とか、場所の固定をして、その場所に行くとか、勉強の服装に着替えるとか、勉強のストレッチをするとか、ルーティンにしないと厳しい。

それはそれで重要だとしても、こういう勉強を使った「作業興奮」はその後の学習効果を高めることも説明されているので、一石二鳥になると思います。

 

保護者がこどもの「スイッチ」を入るためにすること~「待ち伏せ」と「ほめる」「しかる」

さて、視点を変えて、保護者や教員の側に回りましょう。

さきほど、たぶんすごく気になることを書きました。人間は「好きなことが伸びる」のではなく、「好きなことしか伸びない」ということです。

これって究極を言えば、人間にはもともとの向き不向きがあって、その中でしか生きていないということでもあります。で、さらに「遺伝と環境では、50%以上を遺伝が占めている」なんて言われるわけですから、身もふたもないわけですね。

でも、繰り返し書いてきましたが、普通に生きている限り、おそらく思っている以上に環境です。たとえば、どんなにがんばったって遺伝的な形質によって、うちの子どもが身長2mになることはないでしょう。太りやすいかどうかもきっと遺伝で決まっているでしょう。でも、男の子だとすれば、両親の身長から考えれば、きっと170cm前後で、その中で大きくなるか、小さくなるかは、食べているものとか、睡眠時間とか、運動とかで決まるでしょう。ダイエットするか、筋トレするかで、体つきなんて変わるに決まってますよね。

勉強に目を向けましょう。英語ができるかどうかだって、もちろん、遺伝的な要素はあるでしょう。言葉に関心を持つかどうかとか、海外志向が強いかとかね。でも、どんな子どもだって、最初から英語圏で英語を使って生活していれば英語は話せるようになっているはずだし、もし学校で英語を習うことさえなければ、一生英語はわからないままですよね。

スポーツや音楽にしたって、どんなに遺伝的に恵まれていたって、まったくそれをやっていないのに、突然才能が開花することはないんです。

つまり、学者の先生の考えを否定する気はないんですが、「50%以上遺伝で決まる」というのは、私たちの皮膚感覚ではきっとまったく違うことを指しているんだと思います。ぼくらが、「ちょっと勉強できてほしい」とか「算数が得意」とか言っているようなことは、ほとんど「環境」マターであると言っていいはず。

もちろん、この本来の話は、早期教育の効果につながってきます。ここまでも書いてきたように、おそらく「早期教育」で重要なのは「非認知的能力」であって、知識や技術そのものではありません。

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そのこと自体は、ある段階にきてから必ず追いつかれます。スポーツ選手でも、いろいろなスポーツや学業をバランスよくやっている選手が最終的に伸びるという調査もあるそうです。

しかし、それでもなお、「早期教育」に一定の効果があるとするなら、それはこうしたことを先にやることによって、後から他者に「すごいね」と褒めてもらえる。「待ち伏せ」という言葉を使うこともあるようですが、そういうメリットが強いと思うんです。

つまり、ちょっと先にやらせておいて、出来たときに褒められる。そういうことが子どもの「好き」を作っている可能性が高い。そして、その「褒める」という行為は、親がとにかく影響を与えているはずです。もちろん、本来、親以外のさまざまな大人がそこに関わるべきなんですが、残念ながらこの日本では、親にその責任がかぶせられてしまいます。

となると、親がどう褒めるか、ということが問題になります。

 

褒めるときは「過程」を、「目を見て褒める」、しかる時は「目を見ずに耳だけにする」

どうやって、「褒める」かということですが、これは「目を見て褒める」ということが最も重要なようです。逆にいえば、「目を見てしかる」というのは強すぎるということのようです。教員の面談などでも使う手ですが、正面に座るというのはよくない。まじめな話ほど、横に座る方がいいんですね。よくお父さんにアドバイスするんですが、お父さんが登場するのは、「しかる」とか「正しい方向に進ませる」とかいう場面が多い。お母さんがそういうことをしていないというのでなく、お父さんが登場してくるとより非日常的な、深刻なムードが漂うことが多い。そういう場面では、正面に座らず、たとえば、電車の中とか、たとえば、車を自分は運転してとか、リビングだったらお父さんはお酒飲んでテレビを見ていて、子どもは後ろに座っているとかそういう感じがいい。学校の面談はさすがに横に並ぶと変なので、L字に座ることが多いですね。目を見ないですむところです。たとえば、生徒指導が必要な深刻な問題であっても、本当に自分が伝えたいメッセージは、生徒に何かを書かせながら、自分が横とか後ろとかに行っても大丈夫なシチュエーションをあえて作って、書く手だけをとめさせる…なんていうのは、戦略的に使う手です。

お母さんなんかだと、しかる場面が多くなりますよね。本当に命に関わるような場面では、目を見てということも必要かもしれない。でも、ちょっとしたイタズラや忘れ物などのミス、約束をちょっと破ること(もちろんいけないですよ)、まして試験の成績が悪いぐらいは、目を見てしからない方がいい。重すぎるんです。本当に目を見て真剣にやっていたなら、子どもの逃げ場がなくなるし、そうでないなら、つまり日常になりすぎて、本当に重いことがわからなくなります。

そもそも、「怒る」ということは子どもにとって「報酬」の一形態ですからね。愛情の反対は無視。でも、本当に無視したらこれはこれで、「いじけ」つまり「愛情がない」というメッセージになりますから難しいですね。でも、「怒る」というメッセージは、「かまう」ということでもあり、こうすれば親の注意を引けるということにもなりかねませんし、それを目を見て、ということになれば、今書いたような問題につながる可能性があるわけです。

でも、褒めるなんていうのは、目を見てあげるといい。というか、目を見てあげないと褒めていることにならない。もちろん、もっと戦略的なのは、他の人を使って、他の人から耳に入るようにするというのもあるんですが、これが使えるのは教員だからですね。教員が親とか他の教員に褒めていることを伝えてもらうという手はすごい効果的なんですが、これはその人が「きっと目を見て褒めてくれる」ということなんですね。

でも、親はね…。なかなか難しいですよね。お母さんが、ばあばとか、お父さんとか使っても「フォローしてんでしょ…」ぐらいになったりしますからね。でも、それでもこの手は使う価値があるんですが、それはそれとしても、自分が褒めるとしても、「目を見て褒める」は重要です。この手が使えないのは、思春期の男子の一部でしょうか。最近は思春期の男子でも、お母さんと仲良しならこの手が使えますが、反抗期的になかなかちゃんと話せないとなると無理ですね。

その場合は、やはり他人に伝える作戦が聞くはずです。あとは目を見れなくても、褒めといた方がいいですね。ちゃんと聞いてます。

そして、次なんですが、褒めるのは、「過程」にすべきです。決して「結果」ではなく。結果を褒めることばかりをしていると、がんばったのに結果が出なかったときにふてくされてしまいます。

こう書くと、「結果が出ない時に褒めるの?」という気がしますよね?必ずしもそうではないです。だって試験の結果が悪いとき褒めるのは難しいですよね。もちろん、それでもいつになくがんばっていたなら褒めるべきです。でも、いつも通りで結果が出てないのに褒めちゃだめです。

私が書きたいのは、結果が出たときこそ、「結果」ではなく「過程」を褒めてほしいということ。それも「がんばったら結果が出るんだよ」というのでは、結局「結果」です。我慢して「今回よくやってもんね。勉強。」ぐらいです。できればそのあとに「あれだけ準備してくれれば、結果出なくても気にしないわ」ぐらい、余裕でつけてあげるといいです。

とにかく、「過程」をほめる。結果が出た時だけでない方がいいんですけど、とにかく本人ががんばったと思うタイミングで目を見て褒めることが「好きなこと」につながっていくはずです。

たとえば、国語が得意で、算数が苦手であったとしても、点数のよい方でなく、がんばって準備した方を褒める。そのことが苦手を克服する第一歩になります。

すでに「苦手」があるとしたら…どうしたら、興味を持たせることができるのか?親の役割を考える。

ここまで「待ち伏せ」とか「ほめる」「しかる」について、書きました。子どもの得意や苦手に、今までの親の評価、つまり「ほめる」「しかる」が影響しているのではないかという心当たりのある方もいるかもしれません。

では、すでに子ども自身の中に、得意とか苦手が芽生えていたらどうすればよいでしょうか。

しかも私は「好きなことしか伸びない」と書きました。もちろん、苦手を気にしない道が開拓できればいいですが、たとえば、英語が苦手になると今の大学受験では大変な事態になりますし、中学受験や高校受験では、算数や数学、漢字、歴史などの暗記や理科、あるいは記述問題とか、いずれにしても苦手があることは大きな問題になるでしょう。

理論的にいえば、苦手をつぶす第一歩は「好きになること」。そして、「好きになる」ためには、「他者が褒めること」。そして、「苦手は結果が出ない」わけですから「過程」をほめること、です。逆に言えば、

「結果で判断する」「しかられる」「苦手になる」というプロセスを踏んできている可能性が高いです。もちろん、本人の先天的な興味関心の可能性があります。それがないなら、他人に比べて何度もやっている。でも、何度もやっているのにできない。それなのに、「しかられる」とすれば、救いがないですよね?

「うちの子は〇〇さんに比べて何度やってもできない」ではなく、「うちの子は〇〇さんと比べて何度も取り組んでいて偉い。あんまり得意じゃないことを何度も繰り返して偉い」と考えることはできないでしょうか。

苦手は、宿題や補習を含めて、普通の子よりやらされます。そこに楽しく取り組むことが大事です。そのためには、まずは過程を褒めること。

次に気にするべきは「成長」です。苦手を得意教科と比べたら、できなくて当たり前。他人と比べてもできないのは当たり前。でも、本当に伸びていないのでしょうか。

もともと得意科目だったものを、いつもより勉強しないで取り組んで、でも余裕で平均点以上をとった。それに対して、苦手科目はいつもよりがんばって取り組んで、平均点のはるか下だけど、ちょっとだけ順位や得点があがった…。

どっちを褒めるべきでしょうか?

このタイミングで、得意教科を褒めたりするから、得意がさらに得意になり、代償として苦手が作られてきたわけですね。

仮に、得意科目ばかり勉強して、苦手科目はその科目に比べたら、かけた時間が少ないように見えることもあるでしょう。得てしてそういうもの。今回の最初の「作業興奮」の話です。でも、もし結果が出たなら、逆にいえば、何か前回より苦手への取り組みは向上したのではないでしょうか。たとえば、家では全くやっていなかったとしても、授業の受け方がよかったとか。親の見えないところで、「過程」が変わっているのではないかということです。

いえ、親と議論しても仕方ない。まったく、やっていなくても、「私の見えないところで、取り組みが変わったんじゃないの?それはすごいことだよ。ちょっとかもしれないけど、きちんと伸びたんだから」と声かけをすることが大事。それが仮に嘘であっても、そこから苦手意識が払拭できれば、第一歩の壁がくずれるのですから。

本当に何も勉強していなかったとして、成績が伸びるなら、それこそ「苦手の壁」がくずれかかっているチャンスなのですから、ここで褒めなくてどうするのか、ということです。ただし、くれぐれも結果だけを褒めることがないように。そんなことしてるとインチキしようとする子になる可能性さえありますから。

 

というわけで、今回は「やる気スイッチ」について考察しました。参考になれば幸いです。