今日は推薦入試・AO・公募・自己推薦などをまとめて考えます。最初は志望理由について考え、推薦入試の性格を理解してもらいましょう。
夏休みも終わりまして(?)、いよいよ受験生のみなさんは、決戦の夏が終わってしまいましたよね。
思ったより、何もできないんですね。夏休み。
でも、それは予定通り。そう書きましたよね。焦らずに残り130日ぐらいをしっかり使っていきたいものです。
というわけで、今日は、切羽詰まると頭をよぎる推薦入試とAO入試を少しずつ説明したいと思います。ちなみに、私が説明するのは、みなさんが「行きたい」と思うような、一般入試で競争が高い、難しい大学の入試についての説明です。
コトバは悪いですが、誰でも入れる、出せば入れる、というような入試であるなら、ほとんど説明する必要はありません。
というわけで、推薦入試の説明です。今日は、心構え、です。
推薦入試の種類
というわけでまずは推薦入試を少し分類していきましょう。
青田買い型1 出せば入る
これは、要は定員が満たされない大学です。世間一般で、「AOは学力が低い」と言われる一因になっているところです。今回はこのあたりについてはあまり説明しません。
青田買い型2 学力試験が必須
必ずしも、定員が満たされないレベルではないにも関わらず、早くから定員を確保したい、第一志望でそこそこの学生がほしい、と思っている大学が使う手です。私立の薬学部などに非常に多いパターンですが、要は0次入試。これらはほとんど学科試験で決まりますから、推薦という名の普通の入試です。ただし、MARCHレベルでも、国語だけ、とか、英語だけ、というような形でかなり負担が軽くなり、また、一般に比べれば入りやすいケースもありますから、学力型なら逃げる意味がありません。受験勉強と同じ準備ですみますから。
志望理由型
一番多いのは、この「志望理由型」です。大学自体も、一般で入ってくるのと違う生徒がとりたいわけで、そうなると「大学で何をやりたいか」ということが重要になります。ところが、この「志望理由」をはき違えている生徒がどれほど多いか…。
あとで詳しく説明します。
ここでいう「志望理由」とは「将来、社会でどのように貢献し、そのためにどのように学び、そして今までどのように学んできたか」ということで、決して「オープンキャンパスの感想」や「大学の魅力」「好きなところ」、「将来つきたい職業」ではありません。
このタイプの大学は、その志望理由を確認するために、
面接
小論文
を課すというのが一般的です。なので、このふたつを考えて対策することが重要なのですが、これらも、
面接=印象よくはきはきと答える
小論文=作文が得意、文章を書くのは好き
みたいな印象でとらえていると最悪です。
要は、ここをしっかり説明していきますので、こころしてください。
実績型1 学部・学科に関わる活動
それをさらに、実績で聞いてくるのが、「実績型」ともいえる大学。千葉大学の養護教員を受けるときには、「高校時代に行った保健や養護に関わる活動」を書く欄が用意されています。そんなの普通にやっててあります?
筑波のAC(アドミッションセンターでAC)では、資料をたっぷりとつけることが可能です。
このタイプの大学の特徴は、「活動履歴書」とか「活動報告書」のようなものを志望理由とは別に出させます。時系列だったり、自分の自信のある実績順だったり…つまり、多くの大学が、
志望理由型か実績型のどちらかです。
なので、どちらかとは言い切れず、両方の合わせ技みたいな感じ。志望理由型だとすると、より、選抜としては小論文の比重が高くなり、実績型だとすると、面接、あるいはプレゼンとかそういう比重が高まるんですが、要はこの二つは切っても切り離せない、重要なものであるということです。
実績型2 とにかく実績
これは、スポーツなどの実績でも高く評価する類のところ。
今年からなくなりましたが、早稲田の教育とか、立教の経営とかがそれっぽい感じでした。学部学科に関わらず、「全国で何番か」が大事。これで決めてるっぽいです。もちろん、そのラインを越えたら小論文で決めていたらしいのですが、最初の選考にかかるためには、結果がなければだめ。
こうした大学は、要項を見たときに、「全国大会ベスト8」みたいな要件が多く、「県大会」ぐらいでは受験資格になっていないことが多いですね。逆にいえば、「県大会」ぐらいだとみんな受験できて、そんな実績で選ぶ気は全くない、とも読み取れます。
こういう大学の関係者に聞くと、ほしい学生像として「高校時代とにかく何かに打ち込んでいた人間」とか「大学でもいろいろな活躍をしてくれる学生」みたいなことを語り、学部学科にとらわれない多様性であることが多いようです。
職業は将来の夢=志望理由ではない
さて、ここからAO・推薦の説明です。
志望理由は「志望理由ではない」と書きました。こんなの当たり前のことなのです。
学校の先生になりたい→教育学部
こんなの当たり前です。そうじゃない奴がいたら、教えてほしい。それなら、受かりますよ。
「どうして教育学部に入りたいんですか?」
・先生になりたい
・医者になりたい
・技術者になりたい
・特に希望はない
「はい。一番の人、合格」
という感じです。そんなことがあるわけない。みんな先生になりたいんです。
じゃあ、どんな先生になりたいんですか?
「いい先生です」
当り前です。悪い先生になりたい人があるわけがない。
「どんないい先生ですか?」
「生徒の力を伸ばす先生」「うまい授業をする先生」「生徒のことを考える先生」
当り前です。そうじゃなかったら失格です。
わかりましたか?ここまでは0点。全員同じ。
ここからです。
「生徒の力を伸ばすとはどういうことで、どうすることなのか」
「よい授業とはどういう授業で、そのために何をするのか」
「生徒のことを考えるとはどういうことで、そのために何が必要か」
だから、職業は夢ではないんです。
先生になることが夢なら、あなたは教員採用試験に合格した瞬間、夢を達成します。そんな先生、生徒の迷惑です。
先生になって、何かを成し遂げることがあなたの夢のはずです。その何かは何ですか?
「そんなのわからないよ。だって、まだ大学生じゃないし、専門的な勉強なんてしていないんだから…」
そういうあなたは、一般試験で受けましょう。そんな学生が多いから、多少、学力は低くても、それがすでにある学生をとりたい、というのが、推薦入試なんです。
そもそも大きな誤解が広がっているのは、AOや推薦の学力は低い、ということです。そんなことはありません。
早稲田も慶応も国立もAOや推薦で入学した学生の方が、大学の成績はよい、のです。指定校もそうです。一般入試で入学した生徒が一番学力が低い。(おそらく付属をもっていると付属が一番低い、ということにはなりますが…)なぜなら、AOや推薦の面接や小論文のレベルは高く、大学でやる学問は、一般入試よりも小論文や面接に近いから、です。
まあ、MARCHレベルからは、推薦入試で入った生徒の質はだいぶ落ちてくるようですから、あながち誤解ともいえないのかもしれません。現に推薦から撤退気味の中央や、とろうとし続ける立教、法政というような雰囲気は感じます。
その下になってくると、学力は担保されていない気はしますね。
国立大学の場合、センターで〇%とらないと落とす、という条件がついています。旧帝大で80%ぐらいでしょうか。もちろん、東北大で80%ならおいしいですが、センター80%とれれば、千葉大ぐらいは実力で受かりますよ。落ちこぼれるなんてわけがないんです。
志望理由書は「芸能人と結婚するのに、書類審査がある」イメージ
さて、ここまで理解してもらったとき、志望理由書はどう書くべきか?です。
私は、大学に志望理由書を送ることは、
芸能人=大学、が、結婚相手を募集して、そこに履歴書を送るというイメージに近い、と生徒に説明しています。
芸能人は有名人でみんなが知っている。だから、みんなが応募する。
話をわかりやすくするために、そして、一人が選ばれる。
どうですか?
大学は、あなたのことを知らない。あなたを含めてみんなは大学のことを知っている。
そして、選ぶ権利は100%大学にある。
どうでしょうか。イメージが近くないですか?
さて、その書類選考にあなたは何を書きますか?
「大学のパンフレットを熟読して、よさを書く」
それはきっと、「私はあなたの大ファンです。ほめまくります」という履歴書ですね。
「オープンキャンパスとか死ぬほどいきました。何回も行きました」
それはきっと、「私はあなたの大ファンです。何度もライブ行きました。何度も映画みました。最高です」という履歴書ですね。
それを両方合わせたら「私、あなたのことなんでも知ってます。大好きなんです。だから私を選んでください」っていうほぼストーカーですね。
さあ、芸能人になってみましょう。何を基準にしますか?
そうです。
まずは「相手のことが知りたい」はずです。
「どんな人なんだろう。どんな考え方してるんだろう。趣味は?性格は?…」
違います?
「ぼくのこと、どれほど知ってるんだろう?」なんて思います?
次です。
きっとこだわりどころがあるはずですよね?
たとえば、「家事は全部やってほしい」とか「英語が話せたらうれしい」とか…
時代錯誤?いえいえ、野球選手がメジャーに行く、サッカー選手が海外移籍する、なんて考えていたら、結構な選考基準ですよ。
その選考基準にあわなければ、「今は共働きで、男女同権で、家事は分担」というのは、どんなに正論でも、結婚相手としては選ばれませんね。
さあ、その選考基準は?
それが、「アドミッションポリシー」です。だから、まずはこれをしっかり読んで、「自分はそれに合う人間です」って書ければ、だいぶアピールできるわけです。
やってなければ熱意をアピール???
そうなってくると、自分がそうでない人間で気が付くことが多いですね。
料理がうまく栄養管理を望んでいるスポーツ選手と結婚したいけど、料理はまったくできないし、してない…なんてケースです。
そうすると、変なことを考えます。
「私、今までは料理なんてしてませんでした。でも、私は、あなたが好き。この愛があるから、私は嫌いな料理を死ぬほどがんばります。これが私の愛の深さ。わかって」
みたいな感じです。
だめです。こんなことを書いたら。
これで「料理のできない女」アピールをしてしまうのです。
1000人結婚できるならこれでいいです。結婚相手は一人です。
ライバルに、毎日料理をしているやつがいたら?管理栄養士がいたら?料理コンテストで賞をとったやつがいたら?とにかく目の前でおいしい料理を作るやつがいたら?
とにかく不合格です。
考えられる手はふたつです。
1 あきらめる。あなたには合わない相手です。違う人を探しましょう。世の中には料理を要求しない人もたくさんいるのです。
2 残り時間で料理ができるようになりましょう。やるしかありません。相手は料理で選ぶのです。料理をやるしかないのです。
「キャリアデザイン」を考える
いまのは極端な2択かもしれません。
しかし、これが大学のほしいイメージなのです。
- 将来、自分がどのような役割を担い、社会に貢献するかのイメージを持っている。
- だとすれば、大学に入ったあと、それをどうやって実現するかの計画を持っていて、それを語れるはずである。
- だとするなら、すでに高校までも、その計画にしたがって、いろいろなことをやってきているはずである。
だからこそ、大学が要求するのは、
- 志望理由=将来
- 大学で学びたいこと=課外を含めた主体的な学修計画
- 高校までの実績=そのためにすでにやったこと
という3つになることが多いんです。そして、わかると思いますが、1~3は実は同じこと。時間軸が少しずれているだけで、専門を含めて、専門外の計画、人間性、コミュニケーション力などなど、あなたという人間全体が問われるわけです。
1の将来に収束されるのであれば、旅行で得た経験も、文化祭で得た経験も、クラブで得た経験もすべてが、書くべき意味のあることになりますが、「そういうこと書いて受かったよ」なんていう情報だけで、将来が何もないのに「クラブに打ち込んだので、努力する力とコミュニケーション力があります」と書いておちる生徒がいっぱいでてくるわけです。
大学が求めているのは、「将来像」「大学で何をどう学ぶか?=学修計画・ビジョン」「今まで何をやってきたか。」
なんとなくわかりますか?
というわけで今回はここまで。次回以降はもう少し具体的にしてみたいと思います。