学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

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学びのコラム「教員の労働環境とクラブ活動・部活動」ブラック部活を解決するには?その2

教育問題を考えるこのシリーズはテーマは「ブラック部活」です。学校から部活動を廃止して地域に移行する問題点を考えます。

前回のところで、部活動をなくして、それを地域スポーツに移行するというメリット、正確にいうと、部活動がいかに地域のつながりを壊しているかを書きました。

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では、この施策を行うにあたっての課題を考えてみたいと思います。

 

地域スポーツに移行するための必要事項

前回の提案は、

「学校の施設や場所を使って、部活動と同じように活動するが、指導者も含めて学校から切り離す」

というような提案です。

部活動を生きがいにしている学校の先生がいるなら、そこで同じように指導すればよい、ということですね。

ただし、この瞬間にやりたくない先生、専門外の先生は全員解放されます。ボランティアを強要するから訳がわからなくなっているのですから、保護者を含めた地域の人たちで、その運営をしなければいけなくなります。

ここから少しずつ、問題点、クリアすべき課題が見えてきます。

ここで、「組織」が必要になります。

この「組織」が指導者を探し、選び、活動場所や回数を決め、そして費用を決めていきます。スイミングスクールやピアノ教室はかなり営利団体だと思いますし、サッカーや野球はまだボランティア色が残っていることもあるでしょう。

「組織」はかなり公的な色合いを持つものも、営利団体も、あるいはNPOのような形態も出て来るでしょうが、いずれにせよ、まず、この「組織」が大きな権限を持つことになります。

ここで、指導者の選任とペイの問題が決められていきます。場所と施設の提供以外に公的な援助がない(学校の部活動で援助されていたものは使える前提にしています。)と仮定するなら、指導者の給料は当然、月謝から支払われることになるでしょう。

塾やスイミングスクールがそうであるように、施設を時間でわけて効率的に使い、また指導者が何区分かを掛け持ちするというような形で、うまく指導者の給料を配分することになるのだと思います。

こうした作業はおそらく、生徒側のブラック部活問題の解決にはうまく作用するはずです。長時間に渡って、練習するようなことがあれば、当然「お金」の問題に響くからです。長くなればなるほど、場所を占有しますから、うまく収入を得るためには、多くの人数を指導する必要があるからです。また、指導者の選任を組織がするということは、指導の在り方について、選手や保護者が関与するということにもなっていくでしょう。問題のある指導は、淘汰される可能性が高まります。

しかし、こうした作業にはいくつかの決定的な課題があります。

課題1 指導者は簡単に見つかるのか?

まず、こうした問題があがるのは、この問題を「ボランティア」的に考える場合です。子どもの部活動の代替として、この問題をとらえた場合、スポーツ指導員(すでにしっかりと制度化されています)が指導するのは、放課後から夜、そして休日に限られます。

平日の放課後を仮に15:00、16:00スタートと考えると、まず、職業を持っている人は間に合いません。だからこそ、学校の先生を使いたくなるんですね。

仮に夜スタートとしても、この場合は終了がずいぶん遅くなるような気がします。

こういう状況を、しかもボランティア、もちろんアルバイト相当のお金が出るにしても、引き受け手がいるのか?というのは大きな課題です。で、学校の先生…では意味がありません。

もちろん、現状でも日本体育協会はスポーツ指導者のマッチング制度などをスタートさせます。でも、これも厳しい言い方をすれば、「指導をしてみたい」けど、教える「チーム」がないという人に、紹介する制度。つまり、あくまでも「お金はほとんどいらないけど教えたい」ボランティア的な指導者を発掘する制度のように感じます。

となると、スイミングスクールやピアノの先生のように、それだけである程度の生計を立てていただくような仕組みが必要になります。

スイミングスクールであれば、週1回1時間弱×4ぐらいで一人あたり1万円弱くらいとっているのではないでしょうか。ピアノだと個別レッスンのせいだと思いますが、もっと高いですよね。

これさえも、昼間の大人のプール使用とか、イベント開催とか、さまざまな仕組みがあってのことですから、いくら施設設備に公的な援助が入ったにしても、かなりの負担額が前提になりつつ、なおかつ、昼間にどのような指導者の仕事を作り出すか、ということを考えないと、「夕方の2時間だけで生計を立てる」専門的な指導者をつくるか「毎日夕方の2時間を都合に合わせて指導しにきてくれる」というボランティア的な指導者を見つけるか、ということになってしまいます。

学校で、外部コーチという形で指導者をあてようとしていますが、なかなかうまく行かないのはこれがすべて。結局好きな人に、申し訳程度のお金を払うしかないんですね。全面的に任せるとしても、それはその人がほかに仕事を持っていて、ボランティアでやってくれるというレベルなんです。

そんな都合のいい人、いるわけないし、その申し訳程度の費用でさえ、そう簡単には出ないです。だって、生徒からお金はとらず、学校とか市とかがそれを負担するわけですから。

課題2 指導者の給与をどう負担するか?保護者はそれを認めるのか?

どんなに工夫しても、最低限スイミングスクールやピアノのレッスン程度の費用は発生します。さらに合宿などのイベントがあるとするなら、スイミングスクールがそうであるように、子どもだけの費用でなく、指導者の費用や給与も当然、全体としてではありますが、費用負担として入らなければ、運営はできません。

スイミングもピアノもそうですが、その他に試合の参加費や交通費、さらには練習道具やユニフォームなどの費用が入ってきます。

そういうことを含めて、指導者が職業として自立できるぐらいの制度を目指さないと、結局、指導者はみつからないと思います。

公的な援助、わかりやすく言えば、こういう人材を公的機関が雇用するとします。

たとえば、指導者の年収を250万円と仮定します。指導のプロとしてこれだけで生計を立てるとすれば明らかに少ないだろうと思われますが、拘束時間が平日の夕方から夜だけであると考えるなら、多少は仕方のないことでしょう。

うまく平日の午後あたりから、たとえばその組織が、高齢者などの一般人の教室を運営し、そこに指導するような業務が入ると仮定して、もう少し給与をあげるにしても、こうした人が10人いれば年間3000万円(私はこれでも少ないと思いますが…)です。でも、何競技もあって、そこに指導者が複数必要で、もともとのチーム数も複数あって…と考えると、とてもそんな人数ではまかなえません。

たぶん、公的機関がお金を出すというのは、限界があるでしょう。援助にしても、既存のスイミングやピアノ教室との整合性を考えると、無理がありますし…

となると、やはり、これは受益者負担。つまり、保護者、家庭の負担というのが妥当です。

はたして、これを出してくれるのか?

たとえば、うちは私立です。後援会組織かなんかを作って、部活動を独立させ、そこから指導者に支払う、というような解決策が浮かびます。学校の教員が指導をある程度引き受けるとすれば、年収ベースでなく、アルバイト程度の時給でいいでしょうから、なんとかなるかもしれません。まあ、完全に引き受けてくれる外部指導者はそれでは見つからないでしょう、おそらく。だから、学校の先生の、業務に見合う手当がつく程度の話です。

でも、こうなった瞬間に、運営のお金は受益者からとるわけですね。全員が部活動に入っているわけではないし。今まではこれを「生徒会費」みたいな形で、全員から集め、当然一部の施設費は、校費でまかない…となっているわけですから、学校の施設費でやる共用のものはそのまま校費としても、クラブ専用の用具となれば、生徒会費から受益者負担に動くのでしょう。公立だと部費を集めたりもしているんでしょうか?こういうものが、後援会的な組織で管理され、用具や指導に関わるお金が支払われるという形。

でも、これってクラブが、外部の、民間の、スイミングクラブのように有料になっていくっていうことですよね?参加者は減るかもしれないし、減れば一人あたりの負担はあがるかもしれない…そういうようなことを保護者がそもそも認めるでしょうか?今まで、ほぼタダだったのに…。

ね。これが問題の根幹。教員はタダで働かすことができる。これがブラック部活なんですね。

まずは、ここでひとつの大きな抵抗が起こる気がします。

課題3 小中体連、高体連というような既存の「組織」を崩すことはできるか?

つづいてです。

世の中には、運営する「組織」というものがあるんですね。こういう類のものはいわゆる既成勢力として大きな力を持っています。一応、書いておきますが、教員の現場とか、スポーツの団体、たとえば、水泳だったら、日本水泳連盟ということになりますが、こういうところにいる人がお金をいっぱいもらってるというのはほとんど間違いです。上の偉い人の話は知りませんが。

たいていの場合、一般的な職業の他に、仕事を与えられてやっているんです。私も実はそういうことをやっているんですが、まず、職務手当のようなものはまったくありません。会議のたびに連盟にいきますが、その時にちょっとだけお金が出ますが、交通費の方がかかります。したがって行けば行くほど赤字です。

大会運営のときには、一応役員をした分の手当てが出ますが、これも交通費より少し多いくらい。自分がチームを引率したりしていれば、そもそもこれも出なくなりますし。全国大会に役員でいくとなれば、交通費と宿泊費はなんとかしてもらえますが、関東で通えるあたりだと、宿泊なんかできなくて、朝早くから夜遅くまでの通いで、しかも交通費でもらったお金が消えていく…って感じです。

おそらく、サッカーとか野球とかは違うのかもしれませんが、多くの競技は、ボランティア的に運営しています。だから、批判なんてする気はさらさらないんです。

でも、こういう、「学校のスポーツをなくす」というような提案をすれば、おそらく大反対になるでしょう。実は、これが一番の敵というぐらい。

全中とかインターハイとかなくせます?

ね、無理ですよね…。

私だって、別に今の仕組みが悪いと思ってませんから。いけないのは、学校の教員に部活動をやらせて、それで地域スポーツの代替にしてるってことだけで、全中とかインターハイをなくしてほしいわけではないんだから。ただ、学校から部活動がなくなると、こうした組織の存続にかかわってしまうというだけで、この組織の批判をしているわけではないんだから…。

でも、こういうことって、こういう施策の一番の問題になると思います。

一応、解決策をあげるとするなら、こうした組織や大会は既存のまま維持して変えない、というのが一番だと思います。

現在でも、合同チームなんかにはかなり寛容になってきていますし。当面、学校の枠組みを中心にチームを設定し、合同チームを拡大しながら、大会を変えていく…

気が遠くなるような作業です。これだけ考えてみても、私の案はやっぱり無理なのかなあ…という気がします。

課題3 公務員の「副業」になる以上、どのようにこれを解決するのか?

そして、根本的な問題がこれ。

どんなに部活動を学校から切り離してみても、学校の中に、私もそうですが、部活動をやりたい教員がいて、活動に価値があると思っている教員がいる。

たとえば、私立に勤めている私であれば、学校さえ認めてくれれば、私が設計した制度の中でやりたい人が勝手にやりたい場所で、ある程度の報酬を得ながらやることが可能になります。教育的なことであれば、比較的認められるかもしれません。

ところがですね。公立の先生方は公務員ですから、そう簡単にはいかない。もちろん、模試の監督とか英検の二次試験とか、許可が通ればいいんですが、模試の監督ぐらいでも大騒ぎの面がありまして…

もし、年間の指導で何百万という状況になったら…はたして…。まあ、それだけの収入にもしなれば、私立でもあやしいですけどね。

でも、この金額があがらない限り、外部指導者は厳しいでしょう。いや、ボランティア的な指導者であるとすれば、スポーツの指導というのは、あくまでも趣味であって決して職業として自立するものではない、ということになります。

公認スポーツ指導者の資格だって、研修受けるのに、時間とお金がかかります。登録料とかも取られます。でも、あくまでもアルバイト程度で趣味でやってくれ、と。

なかなか不幸です。

先生に、スポーツの指導やりたいなら、先生やめて指導者になれ!と迫れればいいんですが、現実問題なかなか…

ちなみにですが、現状は部活動は公立では、業務でさえない。時間外に校長が命じることができる仕事の外に出ているんです。よく問題にされる特別措置法ってやつでさえ、これはその外で、あくまでも自主的に勝手にやってると…。

やっぱりかなりブラックです。

 

どう解決をするのか?問題の本質は?実は部活動だけでなく…

いずれにせよ、組織が独立し、アルバイト的な指導者か、職業として自立するか、それもふくめて、組織が費用と指導者を考え、そこに教員だけでなく、地域も巻き込んでいく。施設や用具に関しては、地方公共団体、つまり学校が協力をしていく。

それしか手は思いつかないんです。

  • 地域に活動する場所がない。
  • 指導者は探したいけどなかなか見つからない。
  • 教員としては部活動の教育的な意味を捨てきれない。
  • そういう活動の援助をすることに価値を見出す教員が一定数いる。
  • そうした活動で評価を受けてきた教員、組織がある。

このひとつひとつがすべて生徒のためであることは間違いなく、これが結果としてブラックなものに加担するような形になる。

強いて言うなら、もし、私がいうような形に落とし込むと、

  • 受益者負担として、営利団体なみの月謝と費用がかかり、ペイも同様に行われ、職業的指導者が職業として一定の権利を得る
  • 地域スポーツはボランティアとして運営される。したがって、ボランティア意識のある指導者が、学校、学校以外を問わず必要とされる

のどちらかになります。

前者であるなら、ありとあらゆるものからボランティア意識を除外するような考え方ともいえます。

これに無理があるなら、結局、多少なりとも後者の考え方が入り込みます。そうなると、今ブラックに加担しているような人の存在が必要になるわけで、だから、これを果たしてブラックと片付けていいのか、という問題でもあります。

ただ、少なくとも、ほかにやる人がいないという無言のプレッシャーが、教員にかかっているとすれば、まさに不幸なことです。やりたくない人がやりたくないといえないようでは、ボランティアではないんですね。

要求するなら、教員以外にも要求すべき。

でも、もし、これを教員以外に要求したら、絶対大きな問題になりますよね?もっと大きな声で、ボランティアを強要するなって叫びますよね?

だから指導者は地域にいない。見つからない。だから私は前者の案を提案します。

しかし、そうなると、お金が発生するし、地域組織が自立しないといけない。だから、ボランティアの後者がいい。だとすると、使えるのは教員…。

これがこの問題の本質ではないかと。

実は、地域でボランティア的に、「政治参加」する覚悟はない。できれば、行政にこれを肩代わりしてほしい。でも、そういうところに、自己責任で自分でお金を払うのでなく、できれば親の個人的な時間を確保するためにも、子供の面倒は行政のお金で、行政の責任で見てほしい。行政のお金は税金だから払った意識はあるんですね。

これ、一般の方を批判しているのではありません。教員も実はそうだから、問題になってきた。実は教員も、一般の方も同じです。

昔は、子どもを育てるのは、地域全体のことであり、仮に教員が肩代わりするにしても、それはボランティアでまかなわれていることぐらい、みんな知っていました。いいかどうかはともかくとして、たとえば、部活動に顧問がついていないなんて普通でした。先生がいない中で、安全どうするんだって言われればそれまでですが、面倒みることが当たり前、なんて思ってなかったはず。実際、自分が大学受験するときだって、ろくに面談なかったし、そのことに「面倒見がわるい」なんて思ってないどころか、「面倒見てくれるいい先生」ばかりだと思っていました。困ったら相談にのってくれるし。困らないから別に面談なんていらないっていうのが、保護者も生徒も持っていた感覚。すべてが「ありがたい」から始まっているんですね。

当時の先生がどう考えていたかはわかりませんが、「昔はよかった」という話はよく聞きます。楽だったということでしょうね。

でも、たぶん今は違います。

税金を払っていて、その分教員が見るのは、当然なんですね。一般人の感覚としては。税金を払っている。だからむしろ対価としてサービスを受け取る権利がある。むしろ、サービスされていないことは許されない。こういう論理なんでしょう。だから、やらなければいけないことがたくさんある。ちょっと油断すると、すぐ改善を要求されちゃいます。

ここにも十分問題はありますが、仮にそうであるなら、働く側は労働に合わせて対価を受け取るべきですし、過重労働なら人が補填されるべきです。でも、そんなことは一般人にはわからないですから、適正な対価かどうかも考えず、税金払ってるんだから無限に奉仕しなさいぐらいの感覚になっているんだと思います。

教員以外のありとあらゆる人にとって、学校がありがたいんですね。だれも悪いなんて思ってないと思います。そういうゆがみの中で、誰がやるのって、先生がやればいいんじゃない?っていう感じ。

これ、またやっかいなのは、部活を熱心にやりたい人が無意識にこれに荷担するんですけど、「部活は業務じゃない!本来の業務をしっかりやるべき!」って声をあげる人も似たり寄ったりだったりします。

たとえば、補習とか、面談とか。

でも、実際には、この「副業」問題は、本当は補習とかでも同じはずなんです。どうして学校の先生だと、朝や放課後に補習をしなければいけないのか?(私のような私立はまた手当がついてしまいますが)これも「ブラック補習」です。面談だって同じ。「ブラック面談」。

この問題は結構やっかいなんです。

 というわけで、ともかくも、今、現代は大きな二つの選択を迫られます。ただ、その一歩は学校が必要最低限の業務に絞られるべきということです。そうして、学校の業務から切り離した上で、

  • できるだけ安価におさえる。つまり、教員や指導者や保護者がみんなでボランティア意識を持ってみんなで社会参加するようにして課外活動を運営する。
  • ありとあらゆるものを受益者負担にして、指導者が生計を立てられるような、月謝をきちんと徴収していく。

ぼくたちは、政治参加、社会参加を確実にして、そして、個人の自由を多少なりとも、みなが差し出すような社会になるのか。しっかりと費用を払って、個人の自由を確保するために、誰かが職業として受け持つのか。

女性が、母親として子育ての役割を押しつけられながら、母性という言葉で、あたかもみずから望んでその役割を受け持とうとしているかのように、教育の現場では先生が積極的に教育に関わることが善であるかのように進められています。

最後は、現代文の講義のようになりました。

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でも、解決をするなら、このどちらか以外ないんじゃないかと私は思っています。