学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

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オンラインができてしまった大学の、大学生の不幸~日常生活を考える

9月に入って、学校はコロナの影響で様々な行事日程の変更が続きながら、それでもより平常に戻ろうとしています。今日は、大学生について考えます。

9月に入り、まだまだ残暑が続きます。台風も心配です。

コロナの対応はどうなるのかなと思っていたら、安倍さんの辞任で、なんだか扱いがずいぶんと減ってしまいました。

その割に、「無症状で死にいたった」とか不安をあおるようなニュースは相変わらず流れています。

結局、ぼくらは、なんらかのものを、ニュースにしながら、問題にしながら、大騒ぎしながら、生活を続けていくのかもしれませんね。

さて、今日は大学生について、考えたいと思います。

オンライン授業の功罪~登校できない大学生

小中高校では、オンライン授業なんていう言葉はどこかに消えたんじゃないでしょうか。私自身も、3月下旬から取り組んだzoom授業も、5月いっぱいの休校期間を経て、ほぼやらなくなりました。

8月の短い夏休みに、必要のない生徒の登校が禁じられたために、臨時的にzoomで補習をやりましたが、せいぜいそのぐらい。

あとは授業が普通に行われているわけです。

考えてみれば、オンラインの授業が行われるといっても、学校では長い時間を要しました。大部分の先生、そして学校としての教員への指示も基本的には「課題」であったと感じます。

何より、多くの方々にとって、オンラインで授業を行うなんていうのは、想像もつかないことで、不可能なことで、大変なことで、取り組みたくないことで、だから「ゴールでウィーク明けにはなんとかなるんじゃない?」とか「zoomって危ないらしいから禁止」とか「生徒はデバイス持ってないし、環境整ってないし」とか「オンライン授業だと時間が固定されて不親切。そういうのはやめた方がいい」とか、いろんなこと言って、課題の山を築こうとしたわけですね。

さすがに、ゴールデンウィーク明けたあたりになると、「いや、さすがに課題出すだけで何かしないとまずいでしょ…」という人たちが増え始めたものの、コロナははっきりと、学校の保守性を浮かび上がらせたような気がします。

さて、そんな中うらやましく眺めていたのが大学でした。私の奥さんが大学関係で仕事をしていたこともあり、私の方がはやくzoomでの授業をして、教えたり、資料あげたりしたにも関わらず、結局は大学は、最初っからzoomで全部やる、というように逆転してしまったわけですから。

大学生はいいよなあ。オンラインで授業ができて。と思ったものです。

しかし、蓋をあけてみれば、大学生は結局、「前期の間オンライン」という当初の方針が覆ることはなく、最後の最後までオンラインだったようです。

卒業生に聞いたところ、結局「入試以来、一度もキャンパスに足を運んでない」とのこと。

そして、ある国立大学では、「後期からは20人以下の授業については対面」という方針だと教えてくれました。これは、「1年生のぼくらに20人以下の授業はないので、いくつかの授業で少人数での授業を考えてくれているらしいんですけど、今のところ、全部20人越えてるんで、オンラインみたいです」とのこと。

これは、ある意味で悲惨ですね。

確かにリモートワークなんかもそうだと思うんですけど、「リスクがある以上、リモートできるならリモート継続」というのはわかることですが、学びの場が果たして「リモート可能」なのかは真剣に考えるべきところです。

まあ、確かに、大学の授業って、講義垂れ流し型が多いのかなあとは思いますが、時代も変わりましたし、双方向のやりとりや討論とか大事だと思うんで、まあ、それさえも、ブレークアウトすればいいよね、画面共有すればいいよね、みたいなことかもしれませんが、オンラインの対応をすすめた結果、大学に通えなくなるというのは、非常に不幸なことのように感じます。

小中高校は、結局、「アナログの世界」と「子ども預かり所」なのか?

では、どうして、小中高は、こんなに早く、普通に授業をしているんでしょう?

それは、わかりやすくいうなら、オンラインの授業ができなかったからではないでしょうか。

多くの学校がやっていたオンラインというのは、結局、「動画作ったから見てね」とか「課題、オンラインで出したからね」とかいう程度だったのではないでしょうか。

そして、保護者からすれば、「いつでもいいから動画見てね」より、「時間割通りに子どもが先生とオンラインでつながる」ことを望んでいた気がします。動画を見せるのも保護者、課題をやらせるのも保護者。場合によっては、はじめてやる単元を教えるのも保護者だったりしたんじゃないでしょうか。

zoomでつないで授業をすれば、すくなくともその1時間は授業で拘束されるわけで、そういう感じがなかったからこそ、保護者の負担も限界に達してくる。

というより、社会活動が動くためには、子どもの面倒を誰かがみなければいけなくなる。

だからこそ社会活動が戻るタイミングで、学校はなんとか再開しなければいけなかったわけです。

学校の事情からすれば、オンライン授業なんてとてもできなかった、というか、やる気がなかった。

家庭の事情からすれば、誰かが子どもの面倒を見てくれないとやっていかなかった。

この奇妙な接点から、私なんかの心配をよそに、学校は「普通」に始まったんです。

文科省のマニュアルが、つい最近、「2m」が「1m」のソーシャルディスタンスに変わった、とありますが、正確には最初から、「2m必ずあけろ」なんて書いてありません。「できるだけ2m程度」とか、もっと具体的に「1~2m」なんていう風に、県などで指示されているケースもあります。

要するに、多少の短縮や多少のカットや多少の分散はあったものの、だんだん普通になっていったんですね。

実際、これだけ学校が始まっているのに、大きなクラスターが頻発するような状況にはなりませんでした。もちろん、季節も影響しているかもしれませんが、少なくともインフルエンザなら、ひとつの学校で、何学級も学級閉鎖になったりするんですから、それと比べると…。

子どもだからか、季節のせいか、それともコロナ自体の特性か、理由はわかりませんが、普通に始めてみた結果、大きな問題は起こらなかった。だから続けている…といったところでしょうか。

今後、自分の学校でも感染者が出るような状況は、長期でみれば必ずやってくるでしょう。

ただ、ともかく、学校は普通に始めるしかなくて、始めるためには指示された下限で解釈するしかなく、つまり、1m程度と解釈して、マスクしたり、フェイスシールドしたり、消毒したり、グループ学習やめたりしながら、実質は「普通」に学校を始めているというところなんですね。

で、結果として、大きな問題は起きなかったと。

オンラインができてしまった大学の不幸

オンラインでできてしまった大学は、だからこそ、指示の上限で動いているように感じます。

「オンラインを継続したい」かどうかは、わかりません。

リスクを少しでも回避したい。万が一クラスターが発生したら、致命的なダメージを受ける。

オンラインで授業する方が楽。

大学生は、移動もするし、遊ぶし、バイトもするから感染リスクが高い。

あつまる人数が小中高に比べて圧倒的に多い。したがって感染者が出る可能性も高いし、クラスターになる可能性も高い。

オンラインで授業してもたいして変わらない。

いろんな考え方があるんだと思います。ここに書いていない理由もあるのかもしれません。

しかし、皮肉なもので、学校に子どもを預けるという発想がなく、ネット環境は整っていて当然であった大学生であるからこそ、いつまでもリスクを避けて、オンラインで授業が続けられるという事態を招いてしまいました。

結果、入試以来、一度もキャンパスに行くことができない大学生が作られたわけです。

たぶん、大学は小中高のように、「そうはいってもやらないわけにいかないよね」という感覚がない。小中高は「そうはいってもやらないわけにはいかないよね」と思っているから、ソーシャルディスタンスだって、「できるだけ」だよな、とか、「マスクを義務付けているならある程度はいいんだよな」とか、下限で物事を考えざるをえません。とにかくやるしかないからです。

しかし、「やる」という選択肢が絶対ではない大学は、「できるだけ」リスクを避けるならば「オンライン」だよな、という、上限に近い解釈で、リスクを避けてしまっているのだろうと思います。

大学生とリモートワークの違い

リモートワークと比べて考えた時に、どうして大学生がオンライン講義ではいけないのか、わからない人もいるでしょう。

しかし、世のリモートワークというものは、第一に、人間関係ができてチームとして動いている中で、一部がリモートになっているわけです。第二に、必要であれば、当然、出社したリアルのオフラインの交流もとっているはず。

絶対に会えない、なんていう、リモートワークは存在しないはずです。

仮に新入社員がいて、いきなりリモートワークになったとしても、その環境の中で人間関係の構築は課題として取り組んでいたはず。それこそ、「zoom飲み」というような、いいんだか悪いんだかわからないようなものも含めて、戦略として、研修から何から、人間関係の構築は考えられたはずです。チームで行う仕事であるならば、仕事を通して、人間関係が構築されていくという作業もあったはずです。

しかし、今年の、特に大学1年生は、おそらくそうした作業をないがしろにしながら、これだけ長期の間オンライン講義が続いたわけです。もちろん、大学の方も、人間関係の構築を工夫したのかもしれませんが、仕事と違って、先生が知識を提供する、しかも、特に大学1年生のような授業では、学びを通して人間関係を構築するという作業は非常に厳しいと思います。

私はオンラインで、ブレークアウトを入れて生徒たちの時間をとりますが、それで人間関係ができるとはとても思えません。

これ、後期も続けるんでしょうか。

なんだか、大学生は、ここに来て、もしかしたらもっとも影響を受けている世代なのかもしれません。

3年生や4年生は、就職の問題があるでしょうし、1年生や2年生はより大学に通えないという影響を受けていく。

これ、いったいどうするつもりなのか?

しかも、全般的にはどんどん普通になっていく中で、です。

もちろん、コロナに対する構えが必要である以上、リスクを回避するような動きは必要ですし、そうした報道も必要なのかもしれませんが、結局、全体的には普通になっていきながら、いくつかのところをスケープゴートのようにして、「withコロナ」なんて言っているのではないでしょうか。

大学生になったんだから、そういう問題は自分たちで声をあげるべきだ、というような厳しい意見もあるかもしれませんが、それにしても、もう少し、大学生の問題は触れてあげるべきだと思います。

もちろん、リスクを回避したい、軽減したい、という考えが間違っているとは思いませんが、一律、講義はオンラインです、というような状況は、他のさまざまなことと比べると極端であるような気がします。秋に向けて、また感染拡大するのではないか、という危惧は当然ありますが、そうであったとしても、やはり、オンライン以外の学びというものも真剣に考えてあげるべきだと思うのです。

なんとかなりませんかねえ。

いろんなリスク考えて、オンライン併用というのは妥当であったとしても、大学に行ってもいい体制、ある程度大学に通わなくちゃいけない体制って、結構、大事だと思うんですけど。

 

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