学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

「経済か、命か」から、「生活か、命か」へ。コロナ後、コロナのある「学校」を考える。

緊急事態宣言もそろそろ終わる気配が見えてきました。一方で、コロナ以後の学校がどうなっていくかを考えなければいけなくなっているような気がします。意外と深刻な、コロナ後を考えておきたいと思います。

どういう理由かはわかりませんが、コロナはいったん収束の気配を見せてきました。その一方、各国の状況を見る限り、やはり普通の生活に戻ろうとすれば、いったん収まったコロナがまた一定数ぶり返してくる様子も見えています。

そんな状況の中、日本では「新しい生活様式」なんていう言葉も使われています。

さて、コロナ後、あるいは、コロナのようなものが常にそばにあることを意識するような、そんな生活がどのようになっていくかを、教育、学校の観点から考えていきたいと思います。

 

「経済か命か」から「生活か命か」へ~コロナ後の生活をどう考えるか?

「コロナ後」と書くには、まだ早いのかもしれませんが、しかし、そろそろ私たちがどうやって日常を取り戻すのか、どうやってかつての生活を取り戻すのか、ということが議論されるようになってきました。

とはいえ、まだ正直言って議論と呼べるようなものではないでしょう。

単純に、「まだ早い」とか、「もう持たない」とか、言葉は悪いけれど、それぞれの立場による、「戻るか戻らないか」の主張に過ぎず、「コロナ後」ということでいうなら、どのようなプロセスで戻っていくのか、あるいは戻るためにどのように生活を変えていくのか、ということが本来的な議論であるはずです。

もちろん、このコロナがどのように収束していくのかが見えない以上、どこを目標にするのかが見えないわけですから、ある意味いたしかたのないことです。しかし、その間のわずか数か月であっても、商売をしている人や教育を受ける子供たちにとっても死活問題で、収束が見えてきたからこそ、少しずつでもそのプロセスを議論する時が来ているような気がします。

「経済か命か」なんていう言葉によって、「それは命でしょ!」というお叱りがはじまってしまい、結局、それは「戻るか戻らないか」というところで止まってしまいます。まだ早い。いやもう持たない。

そうではなくて、「生活か命か」です。こうしていけば、「どっちも大事」とか「どういう生活なら両立できるか」という議論に進むのではないかと思うんです。たとえば、ロックダウンのような状況というのは、「命のためには、日常生活は我慢してください」ということでしょう。海外では外出もできなければ髪を切ることもできなかったわけですから。仕事ができなくて収入がなくなったとしても、命のためには仕方がない。しかし、今の感染者数や死者数で、そこまで必要なのかはやはり「生活か命か」で考えていくことで少しずつそれぞれの人の立場が見えてくるでしょう。

「不要不急」と位置付けられた数多くのもの。飲食店もそうだろうし、ファッション関係もそうでしょう。ジムや娯楽施設もそうでしょう。その人たちの生活か命かで考えて、それでもやはりそれらの仕事を奪う必要があるとするなら、それはいつまでか、一生であるなら禁止や廃止であり、転職であり、そういう日常を考える必要が出てくるわけです。

 

新しい生活様式「ソーシャルディスタンス」は、どこまで、いつまで続けるのか?

テレワーク、リモートワークのように、今回のことを契機に社会のシステムが一気に変わるというようなことも確かにあるかもしれません。元のような生活に戻れるにしても、今回のことがきっかけで大きく社会が変わったというようなことですね。

しかし、それ以上に大事なことは、元の生活に戻れるのか、あるいはいつまでこれを続けるのかということです。

たとえば、「ソーシャルディスタンス」のようなことをいつまで求めるのかということ。

  1. このコロナが収まったとしても、同じような感染症が必ずやってくる以上、この社会を「ソーシャルディスタンス」を保つように変えていかなければならない。たとえばラッシュなんてありえないし、カラオケボックスのようなものは今後利用できない。
  2. いったん収まったにしてもワクチンや治療薬ができるまでは、維持するべきである。そうしたものさえ開発できれば元の生活に戻れるが、当面はソーシャルディスタンスなどに配慮しなければ再開できない。
  3. ある程度収まってきた以上、注意はしつつも、再開してかまわない。ソーシャルディスタンスはあくまでも努力目標であって、守れなくても、元の生活を取り戻すためには仕方がない。

単純に考えて、こんな感じではないでしょうか。もちろん、いつ緊急事態宣言をやめるのか、そして自粛要請をとりさげるのかということは、時期をみながら段階的に、ということだと思うんですけど、一番緩い状況でも、この3つの段階にざっくりとわかれる気がしています。

上に書いたのは、あくまでも、安全が確認された状況についてであって、現段階であれば、当然「命優先!自粛!」という声が出てくるわけで、今どうするかではありません。少しずつ封じ込めに成功したと見えたときに、私たちは上の3つのどこを落としどころにするのか、ということです。

1の観点で見た場合、明らかに社会は変わります。ラッシュによる通勤はありえないし、居酒屋で密集して飲む、なんてこともないのでしょう。立食のパーティは危険だし、ディズニーランドのような施設は予約制、人数制限にでもなるのでしょうか。スポーツ観戦は、競技上の座席配置が換わるでしょうし、場合によっては収益構造が変わって成立しなくなるかもしれません。要は、なくなる仕事、成り立たない仕事がたくさん出てくるということでしょう。逆に必要となる仕事もたくさん出てくるかもしれません。

2の場合、それまでの間、どのように耐えるのかという戦略が必要です。結局は1と同じだと感じる人もいるかもしれません。だって、休業が長くなればとてもじゃないけれどもたないし、それ自体が1のように感じるならば、やめたほうがいい…となる可能性もあるでしょう。

3だって、長くなれば2と同じ。たとえば、「感染者が0にならないとだめ。東京に感染者がいれば首都圏は移動するからだめ。やってもいいけど、できるだけ移動しないでね、行かないでね」という感じだとするなら、商売にならない人も出てくるでしょう。

というわけで元に戻そうとすると、今度は感染リスクみたいな話になります。

なんとなく、政治の方々は、「もとに戻します。でもソーシャルディスタンスとかに配慮してね」というあたりに落とし込むと思うんですけど、これがどのくらいかってことですね。

だから、結構重要なのは、本当に「コロナ後」に、私たちはどの程度「新しい生活様式」にどの程度対応する気があるのかってことなんです。仮に目標は、元の生活であったとしても、それがまだ1年続くようなイメージだとすると、維持できないものがたくさんあるはずなんです。

それでは、「学校」について考えていきましょう。

 

考えられる問題点~学校の教員と教室は?

ソーシャルディスタンスなんて、本当に言われたら、都市部の多くの学校は、教室不足になるはずです。もともと少子化がすすんで、教室が余っているならともかく、そうでないなら、教室が足りません。どうやってソーシャルディスタンスに配慮して、もとのような教育に戻るのでしょうか。

仮に、教室が余っていたとして、たとえば40人がソーシャルディスタンスをとって入りきるとてつもない大きな教室がたくさんない限り、それは単純に教室に入る人数が少なくなるだけです。そうなると、従来と同じように学校を進めようとする限り、教員が倍必要になります。あるいは教員の持ち時間が2倍になります。

要は、9月入学と同じような話で、今まで進まなかった少人数クラスが突然実現するようなものです。

ちょっと考えればわかりますが、ただでさえ教員不足の時期にこんなことが突然実現することはありません。

ということは、「ソーシャルディスタンス」に完璧に配慮する限り、登校にかかわるラッシュも含めて、当面もとに戻ることはない。

もとに戻るためには、「ソーシャルディスタンス」が努力目標で、守れなくても仕方ないよね、となるしかありません。

 

考えられる問題点~オンライン授業を継続するのか?リスクをとるのか?

そうなる限り、今のような何らかのオンライン型、課題型の授業が継続するか、リスクをとってでも普通の授業をするかのどちらかしかありません。

もっと端的に書くなら、リスクをとるだけの世論ができない限り、学校は正常にはならない、ということだと思います。

登校ができたとしても、ソーシャルディスタンスに配慮する限り、学校で授業ができるわけではないということです。

分散登校というやつですね。

特にソーシャルディスタンスなんて言われたら、学年別登校も難しいでしょう。むしろ、クラス別に登校して、細分化されたクラスに学年の先生が手分けしてあたるようなイメージになるのではないでしょうか。

これについては、いくつか書いてきましたが、

  • 登校した時ほど、友人関係や行事や委員会活動のような、学校で集団で学ぶものを重視する。
  • たとえば体育のように、ソーシャルディスタンスが確保できるものを優先する。
  • 普段の授業ではなく、質問や面談などを中心に行う。
  • オンラインの環境がない生徒を中心に毎日でも呼んで、学校でオンラインの授業に参加させる

などのことが中心になるような気がします。

もともと、教室に余裕があって、少人数のクラスが実現できる学校はもとに戻れますが、1教室40人入っているような学校は、どうすることもできないということでしょう。

これをいつまで続けるのか。

9月からは普通に教室に入れていいのか?

ワクチンや治療薬が出るまではだめなのか?

おさまっている間はいいけれど、また第二波が来たらだめなのか?

これからずっとこうなのか?

いや、今すぐ普通にやってもいいのか?

特に最後の二つは、まったく真逆なわけで、これだって支持する人はそれぞれ一定数いると思うんですよね。

少なくとも当面、こんな極端な意見が両方ある中で、うまくバランスをとって落としどころを見つける作業が必要なんでしょう。

「生活か命か」っていうことが、長引いていけば、だんだんみんなの妥協できるラインが見つけられるとは思いつつ、当面はいろんな意見が混在する中で、工夫することが求められているんだと思います。

 

考えられる問題点~来年の入試定員は?

さて、実はもうひとつ大きな問題点があるんです。それは、いくら当面であったとしても、来年の入試をどうするか、ということです。

もちろん、ソーシャルディスタンスなんて言葉がありながら、インフルエンザが流行る冬にどうやって入試を行うのか、ということでもあるんですが、これは極論を言えば、その1日だけ、ゆとりをもって教室を作ればいいわけで、まだ手はいくらでも考えられます。

そうではなくて、入試定員の問題です。

そのころに、すでに「1教室40人いいですよ。ソーシャルディスタンスは努力目標ですから」ということならいいんですが、そうでないとすると、定員通りとればとるほど、普通の学校生活は送れなくなります。

もちろん、定員を満たせなければ私立は経営問題に直面しますから、そう簡単には定員を下回っていい、なんてことはありません。しかし、定員通りとるとソーシャルディスタンスが確保できず、その間はオンラインとなりかねないわけですね。

公立の場合、いざとなればプレハブ建ててでも…とは考えられますが、だからといってクラスの人数を20人にできるかどうかはまた別問題のような気がします。

つまり、そもそも来年1クラスの人数を減らせるのか?減らせるとした場合、教室や教員は確保できるのか?私立だとすればそれで経営が持つのか?そうでないとするなら、オンライン授業を続けるのか?

「生活か命か」と書きました。

こう考えてくると、どう考えてみてもリスクを受け入れるしかないような気がしてきます。しかし、もしかしたら、その社会的合意形成ができる前に、ソーシャルディスタンスに配慮する形で、教育を提供するスタイルを確立できるかどうかは、学校選びに大きく影響する可能性もあるでしょう。

ラッシュを敬遠して私立中学を敬遠することもあるかもしれません。オンライン授業を考えて公立高校より私立高校を選ぶという選択も起こるかもしれません。

本来、学校選びが始まっていく季節ではありますから、学校は今、目の前の授業を成立させるだけでもものすごく大変な状況ではありますが、一方で、来年をどうするのか、どうやって受験生に自分たちの学校をアピールするのかが問われます。

今、目の前に生徒に何ができるか。そして来年以降どうしていくのか。

もとに戻れることを期待しつつも、変わることも視野に入れておかないといけないのかもしれません。