世の中は、コロナで大変な状況になってきました。私の周りでも、いくつもいろいろなことが起こっています。
今日は、こういう中で「学び」の状況について考えます。
世の中は新型コロナで大変な騒ぎとなっています。
こんな状況がいつまで続くかはわかりませんが、ここで自分自身の状況をまとめておきたいと思います。
どんどん悪化していく状況の中で…
全国一斉の休校になった当初、あるいはそれを感じていた直前。おおげさな議論は、慎重であるべきだと思っていました。
たとえば、休校になったとしても、4月にあの時の状況より悪くなる可能性が高いのに、休校するということは、おそらく再開するときには、みんなが慣れて、「危ないけれど、その中で日常生活を送ろう」ということになるのを待つということなのではないか、なんて思っていました。
そのころの議論はオリンピックの延期ですね。実は私は、オリンピックにもちょっと関わっておりまして、テストイベントとか含めてどうなるんだろう、とやきもきしていたんですが、その頃に考えていたことは、「オリンピックを延期するとか言っているけれど、8月まで、他のプロスポーツをやらないなんてことができるの?もしそうなら、それこそ、休校が続くってことだし、インターハイとかだって、やれないよ。そうならないと思っているなら、判断を焦る必要はないんじゃない?」というようなことでした。
ところが、情勢はどんどん変わっていきました。
ヨーロッパやアメリカのチームが4月に日本に来ることをいやがる状況から、あっという間に、来てもらうような状況ではなくなり、実際に、ありとあらゆるスポーツがとまりました。
ということは…です。4月に学校は始まらないのではないか。
しかも、下手をすれば、それは夏を越えるのかもしれない。
たぶん、ですけど、私の予想は当たっていて、楽観的な方でなく、悲観的な方で、オリンピックが延期になるような状況になってしまって、おそらく夏までのスポーツイベントはなくなるってことですよね…。まさか、こっちにぶれるとは思わなかったけれど…。
その間、今と同じように、ブログを示しつつ、グーグルクラスルームとかスタディサプリとかで指示していくのは、限界がありそうです。
要は、本当の意味での授業を彼らにする方法を実現しないといけない、というのが、私が考えていたことでした。
おそらく、この4月に再開するところと、始まらない、延期するところがあると思いますが、普通に考えれば、再開できるところも、流行が始まれば、きっと同じように学校から遠ざかる時期がやってくると思います。
その意味でまさにまだ1年は戦いは続くのではないでしょうか。
映像授業と授業の違い
幸い、現在の社会状況では、ありとあらゆるものが用意されているように感じます。
たとえば、映像授業は、スタディサプリや東進、マナビスなどを含め、Youtubeなどでもあがっていますから、生徒がその気になれば、何でもあります。
そもそも、webに頼らなくても、参考書の充実ぶりはすごいものがあります。つまり、本人がやる気になれば、いくらでも、勝手に学べる状況になっている。
でも、実際はそうでないわけで。
「本人がやる気になれば」というここが難しい。子どもにやる気があったとしても、「自分でできるか」というレベルになれば、保護者としてもそうはいかないわけで、だからこそ、学校とか塾の役割が出来てしまうわけです。
ここでも、本当は二つに分かれます。
「子どもはできないのだから、強制的にやらせる仕組みが必要」
「子でもが自分でやることを見つけるために、補助する仕組みが必要」
ですね。
私は、後者の立場に立っていますから、すごく口うるさいんですけど、それはあくまでも「自分で学び方がわからない子どもたちに、学び方を教えていく」という立場のつもりでいます。まあ、そんなにうまくできているとは思わないですけど。
いずれにせよ、こんな緊急事態、非常事態になってしまうと、すでに自分で学ぶ姿勢が身についている子どもにとっては、自分の身の周りに学ぶものがあふれていて、いくらでも使うことができるわけですが、そうでない子どもにとっては、「宿題の提出」ということぐらいがせいぜいで、これだけ「教材」がある状況でも、たくさんの教材が紹介されていても、どう使っていいかわからない、何をすればいいかわからない、というような状況になることでしょう。
だからこそ、頭がいい、ということは、こういう状況でも何をすればいいかがわかること。つまり、目標を決めて、分析して、手段を考えていくことができるっていうことなんですね。
とはいえ、子どもの立場に立てば、「できないことをできるようにする」のが学習であり、学びの場ですから、休校であったり、塾が封じられたりすると、困ることは間違いがないわけですね。
あくまでも、wifi環境整えて、スマホなり、PCなり、タブレットなりが使えて、多少なりとも有料サービスが使えて…という金銭的な問題がでてはきますが、「授業」というものが、ただ「知識を与える」というようなものであれば、すばらしくわかりやすい授業がいたるところにあるわけです。
となると、学校なんて休校になってもいいよね…ということになりかねません。
でも、実際はそうではない。要するに、何かが足りないんです。教員の立場からすると、こうした機会にオンライン上に様々な素晴らしい教材があふれていることにみんなが気づき、自分の授業よりもすぐれたものが簡単に手に入れられるようになると、教員の役割というか、学校の授業の存在意義のようなものを見いださないと、やっていけなくなるということかもしれません。
じゃあ、学校の授業の存在意義は何か?
ひとつは、先ほどから書いた「強制」力というか、そういう部分でしょう。
そしてもうひとつは、モチベーターというか、子どもを変えていく場としての役割でしょう。
まさに、今回、休校が延長されていく中で教員が突き当たっていく問題でしょう。
- 授業をどう提供するのか。自分がなんらかの手段で行うのか、それとも既存のものを応用するのか。
- どうやって指示し、やらせるのか。宿題のようにチェックする形にするのか、それとも子ども達の学ぶ場を作っていくのか。
- 学校という場が必要なのは、学習以外のためなのか。それとも学習のためにも学校は必要なのか。
ありとあらゆるものが、目の前で問い直されていく。
賢い人たちにとっては、「いつもの授業」の「質」が明らかになっていくわけです。そのとき、学校はどういう意味で必要になるのか?
- コーディネーターのように、学習の導きをしていく役目となるのか?
- ファシリテーターのように、学びの中での気づきを与え、整理していく形になるのか?
- 友人関係や学校行事など、学習以外のもののために存在するのか?
それでも私は、オンラインの授業とは違って、普通の授業が双方向、インタラクティヴであるところが重要であると考えています。友人、というのをあげれば、双方向どころではない。周りをみながら、自分のできることが増えていくわけで、そういう学びの場は重要であると考えます。
授業自体に自信があるなら、動画でとってYoutubeにあげるというのが休校中の展開として考えられます。しかし、そもそもスタディサプリなどよりよいものがあるなら、自分がそれを作る必要さえないかもしれません。
コーディネーターであるとするなら、参考書を含めて、どういう動画を見て、何をするかを的確に指示していけばよいのかもしれません。
しかし、インタラクティブに、友人や先生とともに学ぶ場であるとするなら、一定時間、同じ場所、同じ時間を過ごさなければいけません。
zoomによる授業の展開
そうなると、「zoom」のようなwebでの授業展開を考えるしかないわけですね。
実際に、さまざまな問題があることは間違いありませんし、実際の授業に比べると、ものすごく疲れる印象がありますが、徐々に普通の授業をしていけば、zoomにも慣れていけるのかな、と考えています。
この状況だと、学校が中途半端に再開されることはある程度はっきりしていて、投稿時間を考えた短縮授業、二日おきの授業、さらにはグループ活動の禁止、場合によっては「教室で生徒に発言をさせるな」というお達しも出るかもしれません。
うちの学校の教室では、少なくとも2mあけて配置することはできないし、そんな風にクラスを細分化することもできない。そうなれば、「授業中、席が離れていないので、極力生徒が発言しないように…」なんていう訳のわからない通達が出たとしても不思議ではないし、国語の授業では「音読」なんていうこともできないかもしれません。
そう考えると、zoomによる展開は、音読も、グループワークも今まで通りできるわけですから、むしろ、学校が中途半端に再開するよりよっぽど授業ができるかもしれません。
というわけで、今のところ自分が考えている今後の展開は
- zoomによる毎朝、夕方のバーチャルホームルーム
- 原則として時間割コマに合わせたzoomによる授業
- 時間のあいたところで、zoomを使って生徒がいない授業録画し、Youtubeなどでweb配信
- 連動した形でのブログでの授業説明
- 上記の上で放課後以降に補習や進路面談などの実施
という形です。
せいぜい今、悩んでいるのは、学校のホワイトボードの前で普通に録画をするのがいいのか、それともzoomの中で、パワポやpdfやホワイトボードを使うのがいいのか、ということぐらいです。
それにしても、不謹慎な言い方ですが、人間追い込まれると、よりアイディアが出てくるわけで、活動的にすることができます。
だから、経済活動の補助も必要ですけど、wifi環境整えたり、PC貸し出したり、そういうことも必要かも。学童も普通のようにやると、「授業やればいいのに」みたいなことになるから、環境のない子どもはそういうやり方もあると思うんですけどね。
そのぐらい、今はこうした環境があるかないかで出来ることが変わります。
で、追い込まれた先生方の中から、もしかしたら、パワーアップする人たちが一定数出て来て、しかもコンテンツを開発してしまう人が出て来てしまうのかもしれません。
それこそ、学校がなくても、私の大好きな授業ができる状況が見えてきた…と言えるかもしれないですね。
これを読んでくれた受験生の高校生については、間違いなく今回の休校の間に「差」が生まれます。それはやるかやらないか、だけではなく、何をやるか、どうやるか、というようなことでもあると思います。
与えられた環境の中で、自分自身がどう行動するかということが問われます。ぜひとも、よく考えてみてください。
私としては、このサイトはもともと、「学び方」を解説するために作ったものでした。しかし、アクセスを集めるのは大学入試情報に関わるものが中心です。
今、自分が考えていることは、それが人集めの役割をして、ここにたどり着いた人が、なんとか学習計画や学習方法のページを読んで、そして、理解してくれることをのぞんでいるんですね。授業の受け方が変わったり、学習計画の立て方が変わったり、試験の復習方法が変わったり…。
そうだ、そういうzoomのセッションもやればいいんだ!
ピンチはチャンス。普段できないことがこうしてどんどん出来ていくわけで、できることから少しずつやっていきたいと思っています。
お互いにがんばりましょう!そして、何かリクエストがあれば、お願いします。やっていきますので。
といいながら、ここのところは、新たにはじめることの準備で、結構大変だったんですけどね。まあ、ブログの方はだいぶ書くべきことは書いた気もするので、放っといても大丈夫な気がしています。
なので、Youtubeとかに手を出す予定ではいますけど。
このブログを使って、休校中の学習を考えるために
学習方法、学習計画、生活習慣など、本来見直すべきことはたくさんあります。
頭のよさ、というのは、学び方を知っているかどうかです。
そして、高校や大学でのテストの成績がいいということより、高校や大学で学び方を身につけたかどうかの方が社会で役立つし、ある種の「頭のよさ」になっていきます。
この日本では、それを「地頭」なんて呼びます。これが不幸。違います。テクニックだし、教えられます。それを教えるのが教員のはずです。
読んでほしいのは、
学習計画の立て方。
学習方法。特に記憶の仕組みや教科別の学習方法とかですね。
ノート術。ノートの取り方は大事ですよ。
生活習慣についても結構大事です。
というわけで、こんなところもしっかり読んでくださいね。