「ドラゴン桜」では「数の暗黙知」という言葉が出てきました。原作漫画は読んでいないのですが、補足的に説明し、数学の学習方法の基本を解説したいと思います。
前回に続いて「ドラゴン桜」の話をしていきます。この手のドラマは、ドラマとして楽しむという見方と、学習方法を身につけたり、モチベーションをあげたり…という見方があるんだとは思いますが、このブログでは、当然、後者に重きをおいて、説明していきたいと思います。
前回は「英単語」でしたが、今回は数学でしたね。東大専科のメンバーが小学校2年生から計算問題をやり直すという話でした。
このあたりのシステムを説明したいと思います。
- 「数の暗黙知」?小学校2年生から、3分で単純な計算を100題満点をとる
- 「暗黙知」と「暗記」~数学は「暗記」といえるのか?
- 「陳述記憶」と「手続き記憶」
- 手続き記憶のためには、何度も繰り返し練習が必要~科目と順序
- 数学の勉強法と「数の暗黙知」
「数の暗黙知」?小学校2年生から、3分で単純な計算を100題満点をとる
今回、学習方法としてとりあげられていたのは、「数の暗黙知」というものでした。
具体的には、小学校2年生から計算のやり直しをするというもの。3分間という時間の中で、単純な計算問題を100題、それを時間内にやりきり、100点をとるというもの。それをひたすら繰り返していくわけですね。
簡単に言えば、計算力をつけるということのようですが、それを「数の暗黙知」という言葉を使って説明していました。
さて、この「数の暗黙知」っていったいなんなんでしょう?
ドラマの中では、確か、なんとなく考えなくてもわかるようになる、というような説明がされていたと記憶していますが、これ、いったいどういう意味なのでしょうか。
「暗黙知」と「暗記」~数学は「暗記」といえるのか?
どうして、この記事を書こうと思ったかというと、なんとなく誤解が生まれるような気がしたからです。
たとえば、九九なんていうのは、暗記のひとつです。もちろん、暗記と同時に「数の暗黙知」的な理解をしている人も一定数いると思うのですが、間違いなく導入期においては、有無を言わさず暗記する、という類いのものでしょう。
だからこそ、言い間違いは、計算間違いにつながります。計算が先にあるなら、言い間違っても間違いに気づくわけですが、九九は導入期においては「暗記」ですから、言い間違いをしたら、気づくことなく、計算を間違うわけです。
たとえばインドでは12×12も覚える、なんて聞いたことがありますよね?
そうやって覚えたら、計算しなくてすむ、計算がはやくなっていくわけです。
下手をすると、今回の暗黙知も、何度も解いているうちに答えを覚える、つまり「暗記」としてとらえている人もいるのではないでしょうか。
実際、「数学は暗記だ」というようなキャッチフレーズが使われることもあるでしょうし、「解いたことのある問題」「説明を理解した問題」が「解ける」というものも暗記のような気がしてきます。
というわけで、ここを少し掘り下げて、数学の学習について考えてみましょう。
「陳述記憶」と「手続き記憶」
一口に「覚える」「暗記」という言葉を使っても、そこには二種類の、違う「覚える」が存在します。
それが「陳述記憶」と「手続き記憶」です。
詳しくは上記の記事を見ていただきたいんですが、大きくこの二つにわかれます。
- 陳述記憶=言葉として覚えること。いわゆる「暗記」。
- 手続き記憶=やり方などを含めて体に覚え込ませること。「身につける」。
二つの違いを説明するなら、たとえば、水泳とか自転車を例にあげるとするなら、泳ぎ方や自転車の乗り方を言葉として理解し、説明できるようにすることが「陳述記憶」です。
しかし、それができても泳げるようにはならないし、自転車にも乗れませんね。その注意すること、やり方を言語として意識しながら、何度も何度も練習して、身につけていきます。それが「手続き記憶」です。
つまり、単純に「覚える」とか「暗記」といっても、大きくわければ、この2段階があり、片方だけ、つまり言葉を覚えれば終わる部分と、いくら覚えても、「使えないよね、まだできないよね」という段階があるわけですね。
手続き記憶のためには、何度も繰り返し練習が必要~科目と順序
わかると思いますが、身につけるためには、何度も何度も練習して繰り返す必要があります。
逆に言えば、陳述記憶としての暗記をさしているなら、必ずしも何度も繰り返す必要はない。
うまく覚えられれば一度でいいわけです。
たとえば、語呂合わせなんていうのがその手法のひとつ。イメージ化ですね。
陳述記憶には間違いなく「コツ」があって、これをうまくやれば回数は劇的に減らせます。
もし、数学の「暗黙知」がこういう意味での「暗記」なら、語呂合わせのようにして、足し算や引き算や割り算も、九九のように言葉にして、あるいは語呂にして、一気に覚えてしまえばいいわけで、そのときには、ドラゴン桜のように、何度も何度も習熟するまで、計算をし続けるという手法をとる必要がないことがわかります。
たとえば、前回の、英語の語源とか、私が説明する漢字の覚え方とかは、明らかに「イメージ化」を使った、「陳述記憶」の手法です。
こうしてみると、「ドラゴン桜」は、英単語については、陳述記憶としてとらえ、効率化をすすめつつ、数学については効率ではなく、経験、量を要求した、つまり、手続き記憶としてとらえていることがわかります。
おそらく、
- 社会…大部分が陳述記憶型。もちろん、ドラマでやっていた地理の問題などは多少手続き記憶要素が入るが、知識の習得が中心。
- 数学や理科…手続き記憶型。例題や公式がわかったからといって、問題演習をしなければ解けない。だから、練習して、それを身につけている必要がある。
- 英語や古文…中間型。単語や文法は明らかに陳述記憶だが、読解やリスニング、スピーキング、記述、論述などは手続き記憶型。
- 現代文…手続き記憶型。もちろん、文章の内容を知識として把握することは大切だが、同じ文章が出ない以上、ただの暗記ではなく、理解が求められる。
というようなことがわかってきます。
そして、もうひとつ、ここで重要なのは、常識的に言われていることの順番が逆であるということ。
ここまでの説明でわかる通り、
- 陳述記憶=工夫すれば一気に暗記できる。
- 手続き記憶=一夜漬けは不可能。できないなら練習量が必要。
ということ。
だから、たとえば、英語や古文が、
「まず、文法と単語、それがおわってから長文」というのは間違いです。
これ、まだ、高1とか高2ならまだなんとかなりますが、高3とかなら最悪です。
読解は時間がかかるわけだから、ずっとやっていないといけない。
つまり、
「最初から読解、その中で単語や文法」ということです。
もちろん、最初に最低限の文法や単語はいれないといけないけれど、そんなの2、3時間で終わらせて、あるいはほんとうにそうなら、高1の最初の1ヶ月で英単語全部覚えて、あとはリスニングとか読解とかやっていく方がいい、ということ。
現実には単語一気にやるのはきついから、最低限やったら、とにかく、リスニング、シャドウイング、リーディングとやっていく。
この経験をしておけば、どこかで文法を集中的にやれば入っていくということなんですね。
数学の勉強法と「数の暗黙知」
数学に戻りましょう。
数学は練習の科目です。高校では、物理も化学も生物もこっち。中学までは理科は社会と同様「覚える」イメージが強いですけど、高校では数学と同じです。
「わかった」ではだめ。確かに先生は「この公式さえわかれば、あとはなんでも大丈夫」というかもしれませんが、数学で「公式覚えたから大丈夫。これでテストは満点だ」という人はいませんよね?
つまり、「わかった」は陳述記憶で、それを実際に使って、使い方を体に覚え込ませる必要がある。習熟する必要があるんです。
おそらく、「数の暗黙知」って、こういう感じではないかと。
暗記は暗記なんだけど、言葉として覚えるっていうんじゃなくて、感覚として身につける。
そのためには、経験、つまり練習、訓練が必要っていうことですね。
たぶん、数の暗黙知って計算練習をしていくうちに、なんとなく「あってる」とか「変」とか、「このくらいだろう」とか、そんなことがわかるようになるってことですね。
これ、たぶん、小学校2年生でインパクトを出しているけど、当然、学年あげて、高校2年生までこなくちゃいけないわけで、高校生ぐらいの問題だと、「暗記の話じゃないな」って理解できると思います。
スポーツで、なんとなく攻めどころがわかったり、パスのだしどころがわかったりするのと一緒。落ち着けば、言葉で論理的に説明できるかもしれないけど、実際にやっているプレーヤーはそんな言葉にする前に、瞬時に状況から「なんとなく」選択をしている。
これ「経験」とよぶ以外ない。これこそ「量」の部分です。
数学の苦手な人は、「わかった。できた。もういいや。」となっている確率が高い。先生が解いた例題をノートに写して、ながめて、「覚えた。大丈夫」みたいな可能性か、何問か解いて、「大丈夫。できる。」でやめている可能性が高い。
できた後に、それを繰り返して、体に染みこませる、それがスピードにもなるんですけど、自動化されるまでやらないといけない。
そんなことをおぼえてください。
高校では、数学、理科、英語リスニング、ライティング、スピーキング、国語の長文=初出初見の文章読解、です。
理解すれば、勉強できるようになりますよ。