大学入試改革の混乱に、コロナ禍が加わった激動の一年ですが、間もなく入試を迎える受験生に「四葉のクローバーを見つけられるようになった話」を贈ります。
なんだか、ありとあらゆることが起こった2020年もそろそろ終わりが見えてきました。
昨年の今頃は、大学入試の外部検定であるとか、記述であるとかいろいろの問題でもめはじめていました。
と思っていたら、コロナの問題が深刻になり、受験指導どころか正常な学校運営ができない、簡単に言えば、授業が学校でも塾でもないような状態になりました。
そして、ようやく、なんとか普通の状態が近づいてきて、そう思ったら、いよいよ入試がやってくるわけです。
今年の入試がどうなるかは、「わからない」の一言につきるんじゃないかと思います。そうは言ってもこれもデータをつかんだら、まとめて報告するつもりですけど、今日のところは、ちょっと受験生へのエールをこめて、心構えの話です。
コロナ禍で自分に身についた特技「四つ葉のクローバーを見つける」
コロナ禍の中、子どもを外、まあ近所の公園ですけど、そこに連れていく中で、四つ葉のクローバーを見つけることができるようになりました。
結構、簡単に見つけられて、10分もあればたぶん複数見つけられるようになりました。
これまでの私の人生では、それこそひとつも見つけたことがないんですね。
それがなぜか見つけられるようになったんです。
もちろん、趣味としてやっているようなことではないので、子どもを連れていきながら暇つぶしでやっているようなことに過ぎません。だから、わざわざ探しに行ったりはしません。
だから、何か練習したとか、コツをつかんだとかそんな話ではないんです。
これが可能になったのは、テレビを見ていたというそれだけの話なんです。
何気なく見ていたテレビで、「四つ葉のクローバーを見つける達人」が出てきて、テレビの屋上の、シロツメクサが生えているところで、一時間でどのくらい見つけられるかをチャレンジしていて、で、あまりに簡単に見つけるからか、結局その過程はほとんどカットされてたんですが、結果だけが流れて数十本とったことがわかるんですが、これだけです。
ちなみに彼女が言っていた見つけるコツは「光ってみえる」みたいなことだったので、これは何の参考にもなりませんでした。
要は、このテレビを見た結果、私は四つ葉のクローバーが見つけられるようになったんですね。
「四つ葉のクローバーがある」という確信が、すべてのはじまりだった。
四つ葉のクローバーがどうして、見つけられるようになったのか?
自分でもよくわかりません。
でも、それを振り返って考えてみると、「ある」という確信なのではないかと思います。
テレビの屋上の、シロツメクサが植えられているよくある風景の、その中に、数十本もあるんだ…ということ。
つまり、「結構あるんだ…」というそれだけ。
だからこそ、「じゃあ、探してみようかな」となったんだと思います。「あるんだったら見つけられる」ということです。
しかも、そんなに広くないところに、何十本もある。「広い公園に一本あるかどうか」ではなく、「ちょっとした目の前のスペースに必ずある」というような数。もちろん、きっと「株」の問題とかがあるから、「必ず」ではないんだと思うんですけど、でも、私にとっては「必ず」のように感じたんだと思うんですね。
あるんだ。
四つ葉のクローバーって結構あるんだ。そんなに珍しいものじゃないんだ。
だから、探せば見つけられるんだ。
見つからないとすれば、探し方が悪いんだ。
そんな感じ。
たぶん、ここまで、論理的じゃなくて、「あるんだ。見つけられるんだ。じゃあ探してみよう」と思っただけだと思います。
で、やってみたら「見つかった。じゃあ見つけられるんだ」というそんな感じ。
「見つかった」ことによって、確信が強化されていく。
そういうサイクルに入っただけですね。
「あるんだったらやってみよう」「あった」「じゃあ本当だ」という感じ。
逆にここから振り返ると、今まではたぶん「見つからない」と思っていたんでしょうね。
「あるのかもしれないけど、たぶんめったにないんだろうな。だから、探しても見つからないのは当たり前なんだろうな。やっぱりなかったな。四つ葉のクローバーってあんまりないんだな。」
逆のサイクルで負の思考を強化しいたんじゃないかと思います。
たったこれだけのことで、人生でひとつも見つけたことがない四つ葉のクローバーが、ちょっとした時間さえあれば(ここは重要で、10分ぐらいであっても集中できる環境が必要です。)いくつも見つけることができるようになったわけです。
たぶんチャレンジしたのは3回ぐらいで、しかもそんなに時間をかけずに、ちょっとした時間で複数見つけた。その複数の中には5つ葉も二つ入りました。幸運なのか不幸なのか諸説あるようですが、ともかく特技といえるような感じになったわけです。
「受験勉強」を、あなたはどう進めているのか?
さて、受験勉強の話です。
あなたは「四つ葉のクローバーがある」という確信をもっていますか?
ここを隈なく探せば見つかるという確信がありますか?
そして、実際に「見つけた」という経験で自信を深めていますか?
もし、なかったら「探し方が悪かった」と思えますか?
「四つ葉のクローバー」を「合格」と考えると、なんだか「合格すると思って勉強しなさいよ」という話に聞こえますよね?
でも、感覚的には逆かもしれません。
四つ葉のクローバーは「このぐらいのスペースに、このぐらいの数が必ずある。だから「ない」としたら、自分の探し方が悪い。自分の集中力がない。」ということです。
受験の合格は「これをこれだけやれば必ず受かる。逆にいえば、これをくまなくやらない限り受かるはずがない。だから合格ラインに届かなければ、自分の勉強の仕方が悪い。自分の集中力がない。」ということ。
決して「四つ葉のクローバと同じように合格はあるんだから、勉強さえしていても、誰でも見つけられるよ」という話ではないんです。
それが、今までの私。
「あるんだろうけど、どのぐらいあるかわからないから、山ほど探してもないかもしれない」
だから「見つかるか、見つからないかは運次第。だから、探して見つからないのは運。公園全部探すのなんて無理だしね」です。
大学受験でいえば、
「合格するには山ほど勉強することがある。だから山ほどの範囲を完璧にすることはできるわけがない。でもがんばって勉強していれば、運が向いてくる。きっと見つかると信じよう」みたいなことなんです。
それでは受かりません。
「ある一定の範囲を隈なく学習して、徹底すれば、必ずできるようになる。そうすれば合格する。もしできるようにならないとすれば、自分学習の仕方が悪い」です。
あなたに、四つ葉のクローバーにあたるものがありますか?
いえ、ここを探せば四つ葉のクローバーが必ずある、という確信がありますか?
逆にいうと、
「ここをしっかり捜しきらないと見つからない」という覚悟はありますか?
合格は運じゃない。
あるところを確実におさえきれば必ず手にすることができる。それが甘ければ合格はやってこない。
四つ葉のクローバーが「めったにないこと」だと思っているように、合格をとらえていると、
「そもそも受験の範囲をやりきるなんてできるわけがない。だから自分にできるのはベストを尽くすこと。そうすれば運は向いてくる」なんていう感じになるわけです。
四つ葉のクローバーがあると確信してからは、集中力が増しました。子どもと遊びにいったはずなのに、子どもから話しかけると「ちょっと待ってね」と言いたくなる感じ。前で遊んでた子どもから目を離して、子どもが迷子になりかけたりね。
合格は必ずつかめる。
そのためには、「この問題集」を完璧にやりきる。「この単語集」を完璧にする。
それができないから、問題が解けない。解けないならもう一度完璧にやりきる。
残された時間のために、あなたの四つ葉のクローバーを見つけるために、何をどのくらいやればいいのか、もう一度考えてみましょう。