学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

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早稲田・慶応で、解答の公表が始まった!小論文の解答は…方針から採点のポリシーに迫りたい!【2019年2月末執筆】

昨年の出題ミスを受けて、原則国公私立全大学は解答を公表することになっています。早稲田や慶応では解答の公表が始まっていますので、そこから採点基準を読み取っていきたいと思います。

昨年、大騒ぎとなった出題ミスの話ですが、解答公表の方針が国から出ています。しかし、実際にどのような形で公表していくかは興味のあるところです。なぜなら、そこに採点基準の方針が隠れていると思うからです。今日はそのことを考えていきましょう。

 

京都大学が解答を公表する方針~どうして解答公表に抵抗するのか?

国が国公私立大学に対して原則解答を公表する方針を示したのは、出題ミスがあり、また、外部からの指摘があったにも関わらず、解答の公表を拒否する中で適切な対応がとられなかったからです。

原則、罰則はありませんし、また、複数の解答がある場合などは、出題の方針などでもよいとなっていますから、どの程度、対応するかはわかりませんが、こんな状況になっております。

私が一番心配するのは、みなさんが「どうして解答ぐらい公表できないのか」と思っているということ。これは作問したり、採点したりする側と乖離があるからこそ感じることです。そのあたりは一度まとめています。

www.manebi.tokyo

簡単にいうと、理解できない人は、

  • 明確な正答、採点基準がある。
  • 国語の記述問題でいうなら、要素による部分点の集合で満点ができている。数学でいうなら、ひとつずつステップがあがるごとに部分点が積み重なって満点にいたる。

というようなイメージで、入試をとらえているわけです。

文系科目なら要約問題あたりが一番イメージしやすいと思います。

みなさんは、採点基準として

「要素」がそれぞれ何点分あって、自分の書いた解答は、正答の「要素」の置き換えになるかならないか、と考えているかもしれませんが、実際は、

  • 幹として外せない部分とあってもなくても大差がないけど、字数の中でどれかは必要
  • 要素は書いてあるけど、とても内容をわかって書いてあるとはとても思えないほど読みにくい
  • 対比関係がしっかりとれていないから、同じ意味の言葉を、それぞれの対比関係にいれこんだ
  • 因果関係を逆に書いているから要素はあっているけど、意味としては完全に間違い

とか、いろいろなことが考えられるわけです。こんなの40字ぐらいの記述から起こってきます。まあ、40字ぐらいの記述だと思いっきり「バツ」とやればいい話なんですが、ある程度の字数のある要約とか記述とかになってくると、そう簡単に説明できるものではないんですね。

数学とか理科とかの、難関大学の問題で考えてみたときに、正答にたどりつくやり方が何種類かあったとします。その中のひとつが、力づくで時間をかけてひたすら数えるというようなやり方で、ほかの解答は、もっとシンプルにわかりやすく説明したとします。

正答にたどりつく、という観点でみれば全部満点かもしれませんが、そうでない採点基準を大学が持ち込んだとしても、それは決して否定できるものではありません。こういうことを知らずに、あるいは気付かずに思いつかずに解くようなやつはダメ、ということですね。

言いたいことは、難関大になればなるほど、要素の集合という考え方だけで採点しているわけではないということです。

国語の論述的な答案でいえば、おおよその方針を決めたら、あとは採点者が読んでわかるように説明しているかどうか。このぐらいが何点、このぐらいが何点…と決めていって、比べながら点をつけてるんじゃないでしょうか。全然違う解答でも、「さっきの何点よりこっちは上(あるいは下)」みたいなことをやっているだけだと思うんですね。

これを理解できないとすると、国語だと「とにかく本文を写せば、ここに模範解答と同じ言葉があるからいいよね」みたいなことになっていて、それが実際は「ぜんぜんわかってない。写してるだけだし、これとつなぐってことは何もわかってないからバツ」みたいに採点されている可能性もあると思うんです。

これは、答えを作る基準になります。

逆に言えば、もし、解答公表となったときに、記述問題を全部解答例を出してくれたりするなら、その問いは、かなり要素採点に近い採点基準をもった明瞭な問題であるということがわかります。

もちろん、解答例が出なければ基準が要素採点ではない、とはいえないんですが、でも、すごくヒントになる興味深いところなんです。

 

慶応大学がはやくも解答公表のページを作成~小論文や記述は?

そんな中、慶応大学が早くも解答公表のページを作成して、一部の学部では公表が始まりました。

www.admissions.keio.ac.jp

書いているのが2月26日なのですが、この段階でいうと、

  • 公表済み…法・商・理工・総合政策・環境情報・薬
  • 公表しないことを発表…経済
  • 未対応…その他

となっております。経済が「公表せず」とか早くに入試が終わっている文学部がまだというあたりもみると、結局、学部ごとに自由があるということだと思いますから、これから各学部がいつどういうものを出してくるのか興味があります。

法学部

法学部の場合、英語、日本史、世界史が全問マークシートですから、公表しない意味がありません。ですから簡単だったのでしょう。逆に論述力テスト、つまり小論文は、方針だけ示せばすむことになります。まさか模範解答ひとつで済ますわけにはいかないですからね。逆に出しやすかった。このあたりはあとで説明します。

商学部

商学部です。英語は、ほぼ選択で、記述も単語を書く程度。日本史・世界史ですが、比較的短い字数の記述が出るんですが、正解を示していました。逆にいえば、当たり前ですが、ポイントとなる用語をきちんと入れているか、いわゆる要素採点であることが推測できます。

理工学部

実は興味深いのは理工学部です。英語と数学は、いわゆる記述問題は正解を書かずにすませています。だから、これは面倒だから示さないのか、それとも、採点基準が要素ではないから示せないのかは不明です。物理なんですが、別解が示されていますが、おそらくですが、作問の不備で結果として別解が生じてしまった、ということではないでしょうか。確かにほめられたことではないですが、ここに慶応の採点ポリシーを感じます。解答を見ながら、「こうとられたか。それはある意味でこちらのミスだ。では、それもしっかりと採点してやろう」という意気込みを感じます。「普通、こうとるわけだからバツでいいよ」とはならない、ということですね。それはそれで、すごくないですか?受験生からすれば、しっかりと意図をくみ取って解けば、しっかりと採点してくれるということですから。

薬学部

基本的に、記述問題については一切書かないことにした、というポリシーなのでしょう。本文検索の空所補充問題も正解を示しませんでしたから。一応、数学は設問ごとに何を聞いているかどういう基準で採点したかのヒントになるようには書いていますが、ほとんど参考にならない気がします。

環境情報・総合政策

基本的にほぼ正解が示せる問題なので、全部載っています。小論文以外は。

小論文

さて、私の待っていた小論文です。現段階で、法学部、総合政策、環境情報の方針が載っています。

3学部とも、解答例は示さず、狙いと方針を書いているような形です。ただ、これでも十分にヒントが得られています。

まず、法学部ですが、基本的に問題文の説明がなされています。受験生の考えについては、「~に対して自らの見解を述べることが求められる」という部分だけ。

これ、私が感じていたことを明確に示してくれたような気がします。つまり、まずは当然のことなんですが、文章の正しい読み取り、筆者の主張の正しい読み取りがすべてであるということです。本文の中から都合のいい部分をあらさがしのようにもってきて勝手にふくらませるのでなく、筆者が論じている中心部分をつかまえて、きっちりと理解することでほとんどが終わり、ということ。

もっというなら、まずは、書いてあることがわからなければダメということです。保護者や先生方にはわからないかもしれませんが、受験生の大半は、要約はできるし、まとめられるし、でも、実は何を言っているかわからない、というレベルなんです。普通だと、中身がわかるから要約できるし、要約できればわかっているということだと思うんですが、そうではない。テクニックで、わかってないけどそつなくまとめることができてしまうんです。というか、内容に思いをはせず、それだけをしてしまう。

そういう受験生を排除している、というような気がします。

それは、総合政策でも同じ。

説明の大半をいかに資料を正確に的確に読み解くか、という観点にあてています。つまり、発想を広げる前にやはりどれだけ正確に読み解くかの重要性を説明しているわけです。総合政策は比較的、過去も論点整理のような問題を出してくることが多いわけですが、意見を戦わせる前に、まずは他者の意見をきちんと正確に読み取り、どこが同じで、どこがずれていて、というのをしっかりとおさえる必要がある、という意図が感じられています。そこは、環境情報と違う面があるかもしれません。

環境情報は、まず文章の作りが違いますから、総合政策とはいくら似ていても、ポリシーや方針は違う、ということを感じます。環境情報の過去の問題も、複数の資料をきちんと読み解くことを求めるものが多かったと思います。ただ、環境情報の場合、そこから、「視点」「着眼点」「発想」というところまで、求めるものが多いわけで、総合政策が、どちらかというと、他者の意見を踏まえて、そこと自分は何が違っているのか、というあたりで落ち着くのに対し、環境情報は、最後に飛躍、発想を求めてくる。もちろん、それは日頃からどれだけ問題意識を持って生きていますか、というメッセージになるわけで、そういうちょっとした違いをあらためてこの文章で感じました。

ただ、その発想の評価をどうするのか、というところまでは読みにくい。昨年のような発想ありきの問題を、このポリシーのように、「日常に潜む」というような正しい読み取りを求めているのか、その読み取り自体もジャンプを求めているのかは、また去年のような問題が出たときに教えてもらえるのかもしれません。ただ、今年の問題と、その説明からすれば、もしかしたら、そうした常識の問い直しや日常の中の着眼点というような意図があったのかもしれないなあ、と思います。

早く文学部がほしい。経済学部も無難でいいから読みたいですね。

 

早稲田大学はどう対応するの?

早稲田はよくわかりません。理工学部のページに以下のものがありました。

www.waseda.jp

大学の入試のページにはこうした言及がありませんでした。ということは、大学としては方針を決めず、完全に学部に投げた、ということかもしれません。

ある意味で慶応と同じなんですが、慶応の場合は、

「大学として対応する。だからページは作るよ。でも、発表しなくてもいいよ」

ということでしょう。

早稲田はいまのところ、

「大学としては関知しないよ。だからページはないよ。勝手に学部でやってね」ということかもしれません。

わかんないんですけど。誰か知っていたら教えてください。