今日は、ノートについて書いていこうと思います。この項目も学習の中では、とても重要な項目で、今やっているような理論的なことから、具体的なテクニックまでさまざまあります。今の生徒はノートがない、白紙の可能性もあるんですよ。
特にその中でも重要なのはマインドマップの発想になります。細かく言えば、マインドマップそのものを使うということと、マインドマップの発想を利用してまとめていくこととにわけることができます。
いずれにせよ、順を追って説明しないといけません。そもそも、現在のこどもたちのノートの状況は結構悲惨な状況にあるといえるのです。今回はそのノートの取り方の第一回目なので、当たり前といえば当たり前のことを整理してみたいと思います。ちなみに最初の項目は、「ノートを持っていない人」に向けてです。ですから、ノートなんて作ってるよ、あるよ、使ってるよという前提の人はそこはとばしてください。愚痴っぽいので。
まず、ノートをしっかり作ろう(作らせよう)
小学校や中学校で多くなっていることですが、そもそもノートが存在していないケースが出てきています。
わたしたちの世代では、ノートがないことはありえませんでした。
何が起こっているかというと、大きく次のふたつのメディア変更があります。もしかしたら、これから書くことがわからない若い親世代、若い先生もいらっしゃるかもしれませんが、要求するノートのレベルが違う、ということを理解する一端として目を通してもらえるとありがたいです。
教材が充実してきた
そもそも、ノートなどとらなくても、覚えるべきものはかなり優秀な形でまとめきられています。昭和世代に小中学校を過ごした世代としては、そんなに信じられる教材がありませんでしたよね。もちろん、あるにはあるけど、みんな同じというか。
だから、授業でノートをとって補強することはとても重要なことでした。試験前に、できるやつのノートをコピーする、なんていうのは、結構大事な作業でしたよね。
プリントが簡単に作れるようになった
次にいえることは、誰にでも簡単にプリントが作れるようになりました。昭和世代の小中学校世代だと、輪転機の時代があります。これは、ホントの昔はガリ版(特殊な用紙?をけずっていくんです)から、そしてある程度の時代は、鉛筆=カーボンを印刷するものでしたよね。だから、このふたつの時代は手書きでないと、プリントが作れない。
平成に入って、ここにワープロが投入されてきますが、わかりやすくいうと、字だけがデジタル化されていく形。今のように、データがネットからとれるとか、共有されるとか、写真を簡単に印刷できるなんてことはありませんでした。
要するに、プリントを作るのが大変だった。だから、プリントはもちろんありましたが、ノートは補強するものとして必須だったのです。
現状のプリント中心主義
このようなメディア2大改革の中、充実した教材と解説、そして資料があらかじめ存在し、そこでワークする内容をシンプルに記入できるプリントを配布する。不足すると思う資料も手元に配布できる状況になりました。
となると、ノートよりも重視されるのはファイルになります。プリントをいかにファイリングして整理していくか。
お母さんが、こどもに手をやくやっかいな仕事になっていますよね。
昭和世代にとっては、そもそもそこまでプリントがなかったし、あったにしても、ノートに貼れ、という感じでした。
もちろん、今でもプリントはノートに貼らせるというスタイルの先生もいらっしゃいます。(多い少ないでいえば圧倒的にうちの学校では少ないですが)ただ、実際にノートをみてみると、プリントを貼っていないノートらしい場所がない。
これでは、プリントをファイルするか、ノートに貼るかという形式の違いであって、思想の違いではないですね。
どうして、こうなるかという一面を教員側から説明すると、教室をコントロールするには板書を減らす、という必要があるのです。
先生が黒板に向かって書いている最中に、生徒は悪さをする。
もちろん、書かないわけにはいきませんが、たとえば、問いをプリントに書いておけば、問を書く時間は省略できますよね。
だから、中学校ぐらいでもプリントがいいんです。
小学校の授業になれば昔は、模造紙にマグネット、でしたよね?あれも同じような工夫の成果です。
アクティヴラーニングの功罪
そこにやってきたのが、アクティヴラーニングです。私は完全な推奨派です。アクティヴでない授業なんて意味がないとさえ思います。何がアクティヴかはとりあえず、おいておくとして。
まず、プロジェクターがやってきました。模造紙と、マグネットで張り付けていた図や文字は、今やパワーポイントなどなどで、ぽんぽんでてきます。その作業とプリントで配る作業は同じテキストなら見栄えの変更だけ。
しかも、誰かが作ったよいものを共有できるわけですから、プリントにしないわけがない。
そして、グループにして話し合い。ブレスト的なテクニックの共有は必要なことだと思いますが、そうなればなるほど、黒板やプロジェクターは発表の場。
となると、覚えるものをノートに写す、というような動作が抜け落ちる可能性が高くなっていきます。
要するに
- 教材と資料にあらかじめあるから、先生が書かなくてもよい
- 重要なことはプリントにガイドしておけば、穴埋めをする程度でノートはいらない
- だから、プリントの整理は死活問題
- 教材や資料やプリントの中身はプロジェクターへ。テンポがあがり、理解しやすくなるが、ノートにとる時間と必然性がなくなる。下手すれば暗いし。
- だからこそ、プリントがより重要になる。
- 話し合いと発表の授業が増えれば増えるほど、大事なことを記録するという発想が抜け落ちていく。
- その分、自分の活動記録をファイルする作業、つまりプリントファイルが増えていく。
こんな感じがこどもたちの状況です。
小学校、中学校1・2年ぐらいまではともかく、この状況で「ノートをとる」という発想を教えないとどうなるかというと、高校生になった時に、ノートがなくて当たり前の生徒が意外とできあがっていくんです。このとらない、というのは下手すると、ノートが存在しない、というレベルに、成績優秀な子でさえ、なりかねないのです。
ここまで昭和を生きた人間の愚痴みたいなものですが、でもでも、
「ノートは黒板を写すんじゃなくて、先生が言った大事なことや自分が大事だと思ったことを書くんだぞ」と言われていた世代としては、やっぱり書かずにはいられないので、勘弁してください。
ノートの3パターン
さて、それでは、実際にノートを検証しましょう。
「ノートと言えば、授業ごとに一冊用意すればいいんでしょ?」
「要するに、ノートの作り方の話だよね?」
という感じで受け取られる可能性も高いのでしょうか。
基本方針は、
「ノートは各自が作る」
です。自分なりに考えて作るという、そこにこそ、意味と価値がある。
だからこそ、ノートはなぜ必要なのかを考えて見ましょう。
1 記録をとり、あとに残す=ノートの内容を後で覚え直す・定着させる
まず、うかぶのはこれでしょう。
さきほども書きましたが、こういうものがノートの理由であるとするなら、ノートが必要でなくなる理由もわかってきます。
- 黒板よりも、覚えやすい、参考書やチェックリストが実際に配られる
- プリントと黒板の内容がほとんどかわらないから、プリントに書き込むだけでじゅうぶん。
- ノート自体定期試験のためのもので、受験勉強は参考書によって一から始まる
- 授業内容に価値を見出すとしても、ビデオ授業、動画見放題など、あとで再現することが可能
要するに、受験勉強が「覚える=陳述記憶型」のものだと限定してしまうなら、この時代、そのために必要なもっといいものが、授業以外のところでなされている前提になるわけですね。
とはいえ、もし、あなたが、学校であれ、授業であれ、先生の言葉や教え方に何かを求めるなら、その言葉の中に何かがかくれているはずなのです。
それは
- 思考の方法
- 気づき
- 発想の広げ方
- 根拠となるもの
- 手順
などであり、いい先生ほど、それを言語化までしてくれることがほとんどです。
だから、その言語化したことをしっかり書き留めて定着させる必要があるわけですね。たとえば、私が、国語の学習方法のところで、古文や漢文について説明していきます。参考書や問題集と、教える「知識」そのものが異なるわけではなく、説明の仕方や整理の仕方、手順の言語化などで差異をみちびきだそうとしているのにすぎないのです。
私はよくいうのですが、
知識そのものは写さなくていい。参考書にあるから。書いてほしいのは、順番やポイントや着眼の順番だよ。
ということです。
ともかくも、「覚えるべきもの=リスト=記録」としての役割がノートのひとつです。
2 メモ(計算・練習・下書き・発想・構想…)
次にあるノートの役割は、メモとしての役割です。
これは「使い捨ての紙」といったら、さっきとの違いはわかるでしょうか。
さきほどのノートが保存版だとしたら、こちらは役割を終えたらいらなくなるものです。
たとえば、数学だったら計算用紙がいりますよね。計算用紙なしでやれというのは無理があります。だから、家庭学習でも授業でも、問題を解く場所が必要ですね。
漢字だったら、書いて覚える、その場所。
私は反対派ですが、「書いて身体に覚え込ませる」という人がいます。だったら、そういうノートも必要になりますよね。何度も何度も、覚えるために書くノート。
同じように、使い捨てるノートで逆の発想になるのが下書きノート。
アウトプット型ですね。とっておくかどうかで先ほどの記録保管型ノートかどうかの微妙な差になりますが、「下書き」とイメージすれば、あとで見直す必要のないノートです。
でも、こうしたノートをとっておくというのは、振り返りややったものを積み上げて自信にするような手法として使われているかもしれません。
3 整理する・まとめる
最後に、記憶の定着のために、まとめ直したり、整理し直したりする手法ですね。きれいなノートに直すイメージです。
そもそも、このまとめ直す、というところが学びの手法としては、重要なところだと思いますので、とても大事な部分です。これはあとでマインドマップとして説明をしていきます。
ノートの問題点~3つの役割がまざって大丈夫?
さて、このように書いてくると、気になるのは、ノートをどのように作り、どのように使っているかです。
- テスト前に見直して覚える=記録としてのノート
- 授業中計算したりメモをとったりする=使い捨てるノート
- 試験前にまとめ直して整理する=まとめ直すノート
になるわけですが、これが、一冊のノートに入っていて大丈夫か、ということです。
たとえば、ですが、
一年生で使ったノート、二年生になって見直しましたか?
あるいは、
最初の方に書いたノート、次の試験のときも見直しましたか?
そうなんです。
見直して覚える必要事項がある→本当は受験勉強の時にも、見直す必要がある
それなのに、
計算やメモのような使い捨てのページもたくさんあるから、見直さずに捨ててしまう
という行動につながりやすいんです。
私の質問の答えは実は2種類の方がいるんですよ。
「先生のいうとおりです。ノートはテストが終わると見返してませんでした。もったいないですよね」
「え、受験勉強の時に、引っ張り出してまとめ直したり、確認に使ったりしましたよ。○○先生の授業ノートは受験で大活躍でした」
です。
当然、後者の方の方が効率はいいですよね。
でも、後者の方が受験生本人ならいいのですが、もし保護者の方や教育関係者だとするなら、自分の常識が世間の常識とは限りませんし、お子さんの常識とは限らない、ということは大事な視点です。
アクティヴラーニングが進んだうちの学校の高1のできる子たちでさえ、ノートが存在しない率が低くはないんです。
だから「ノートを作ろうね」って説明するところから始めないといけなくなってきているんですね。
最後まで使えるノート
というわけで、ひとつの目標は、受験勉強につながる最後まで使うノートを作ることです。そうなると、ノートの役割をわける必要が出てくるかもしれません。
たとえば、
- とにかく、メモのように使うノート。黒板の内容や先生の説明も場合によっては、「とりあえず」とっておく。要はあとで整理したらいらなくなるよ、っていうイメージのノート
- 大事なことをポイントで整理していくノート。最初から大事とわかるなら、「とりあえず」のノートには書かず、いきなりこっちに書いてもいい。
こんな感じです。
大事なことのはずだけど、あとで整理したい→最初はとりあえずノートに書いて、あとで(できれば授業中に)まとめ直す
一回書いただけでは覚えられない→大事なことノートに書いたら、とりあえずノートに同じことを書いて覚えるor覚えているか確認するために、とりあえずノートに書く。
授業中に覚えたことを確認したい→大事なことだけど、まず、とりあえずノートに書いて、覚えたら大事なことノートに思い出してもう一度再現
とか応用はできます。
もちろん、
大事なことノート→単語編、文法編、全体編なんていう風に最初からわけるのも作戦。
ノートを共通にする
最後に意外と語られていない、もうひとつの視点に入っていきます。
それは、ノートをまとめてしまいませんか。
ということです。
ここでの「まとめる」は、複数のものをひとつにする、です。
端的にいえば、授業ごと、先生ごとにノートを作るのはやめませんか?
ということです。
たとえば、英語の授業がいくつかに分かれていたとしても、
たとえば、リーディングとグラマーとライティングと…なっていたとしても、結局は、「英語」ですよね。
たしかに授業ごとにわけておけば、定期試験の対策としてはやりやすいと思いますが、受験勉強としては、まとめて「英語」。
たしかにグラマーはグラマーでまとめた方がいいけど、リーディングの授業で説明された文法は、どこに書きましょう?あるいは、リーディングの授業で疑問に思った文法事項は何で確認しましょう?
同じように考えてみると、塾の授業と学校の授業も同じ英語、ですよね?どうして、ノートをわける必要があるんでしょうか?
もし、塾の方がわかりやすいとするなら、そのノートを学校でも使っていた方がよくないですか?
そう考えていくと、「まとめノート」を作る、という発想もとても大事なものだとわかります。
では、次回以降、具体的なテクニックの話をしていきたいと思います。