短い夏休みも終わってしまい、いよいよ大学入試本番が近づいてきました。コロナ禍の状況の中、果たして、大学入試はどのように行われるのか、今、発表されていることをもとに考えてみます。
コロナがまた感染拡大しはじめました。これについては、思うところや書きたいこともたくさんあるんですが、やはりこういうブログに載せてしまうとネガティヴな反応も必ず出てくるでしょうから、あまり踏み込まずに、粛々と対応していきたいと思うばかりです。
おそらく、収束していくこともなければ、かといって極端に死者がでるような状況でもなく、「新しい生活様式」がより完璧に求められることもないのでしょう。きっと、マスクをして、アルコール消毒をし、検温しながら並ぶときだけソーシャルディスタンス…というようなことをしながら、収束を長い間待つのではないかと思います。秋から冬にかけて、また感染が拡大していくような状況も十分ありえるでしょうし、感染自体ももっと身近な問題になっていく可能性も十分あると思います。
そんな状況の中、大学入試が進んで行くわけですね。
というわけで、現時点で、動きのあった大学入試情報のキーワードは「共通テスト」と「発展的内容」です。
今日はこのふたつのキーワードに沿って、考えていきましょう。
横浜国立大学は、二次試験を行わず共通テストで判定へ。
最初の話題は、横浜国立大学です。
簡単に書くと、二次試験をやめて、共通テストで判定するというものです。もちろん、必ずしも共通テストだけではなく、たとえば教育学部では提出する小論文などが実技の代わりになるようですが、基本的に「二次試験をやらない」という判断をしたわけです。
私自身ももともと、秋冬にかけて感染拡大した場合に、共通テストで判定せざるを得なくなることは予想していました。
しかし、あくまでも「入試が行えない状況になった場合」であって、こんな風に先手を打ってくる大学があるとは予想していませんでした。
当然、これは現在実施するとしている大学であっても、状況の悪化にともない、同じような発表にいたる可能性も十分ありうると思います。
幸い、この原稿を書いている時点では「ピークは越えた」という見解も出ており、実際、感染者や重症者も少なくなっている気配がありますが、それがそうであったとしても、今後また、新たな流行にいたる可能性は十分にあります。インフルエンザは必ず毎年流行するわけですし。
そういう状況の中で、他県からの流入をとめる、県をまたぐ移動をさせない、という流れは、(正しいかどうかはともかく)大学入試にも、影響を与えていく可能性があるということでしょう。となると、今後、秋に向けて更なる感染拡大が起こった場合、同じような判断となる可能性は十分にあると思います。
一方、教育学部がかかげているような、動画を見て、小論文などを提出というような形が果たして、入試の場でどのように使われていくのでしょうか。動画を見て口頭試問というような形であったり、zoomなどでの面接、口頭試問であったりすればわかるのですが、「小論文」のような形である場合、どのような入試形態となるのかは興味がありますし、もし公正に実施できる方策があるなら、期せずして入試は思考力表現力型に変わっていく可能性もあるからです。
早稲田大学は、コロナ感染で受験ができない受験生を共通テストで判定へ。
一方、早稲田大学は、コロナにかかって受験できなくなった受験生に対して、追試ではなく、「共通テストの利用」という形にすると発表しました。
早稲田大学は、そもそも早々と入学式の中止やオンライ講義の実施などを決定し、(是非は問われるにしても)大学のコロナ対応のベースを作った印象があります。
今回、大学入試についても、「追試ではなく、共通テスト利用」という、大きな方針を打ち出しました。おそらく、これを受けて、各私大も同様に発表してくる可能性が高くなったのではないでしょうか。
現在、ざっと確認しただけでも、明治、立教、青山が共通テスト利用の方針です。法政は振替といったところ。青山は文科省に対しては、「追試は行わない」で提出したようですが、現在は、「共通テストで判定」となっています。
こういう風に、「追試はできないよね」と言っていた大学が、共通テストを認める流れになる可能性も十分あるでしょう。
これは結構大変なことで、つまり、共通テストを受けておくことが、追試の代わりになりうる、ということです。
「インフルエンザになんかならないよ」というのは、確かに受験生の基本かもしれませんが、ことコロナに関してはそうも言っていられません。なぜなら、現在の多くの感染者が無症状や軽症であるからです。
つまり、「誰か一人が体調不良となり、検査を受ける。」「濃厚接触者となり、保健所から連絡がきて検査を受けさせられる。」「無症状であったが、感染が確認される。」「2週間自宅で隔離される。」というような流れができている。
もっというなら、自分としてはいたって健康なのに、隔離され、そして受験ができない可能性があるわけです。
だからこそ、大学は「追試」を要求されているわけですね。
でも、現実問題「追試」は難しいということになれば、こういう設定になるわけです。
今回に関しては、誰もが「追試」に回される可能性がある。だとすると、どうしても「共通テストは受験する」ことが必要になります。
そして、「必要な科目を受験する」ことも重要になります。共通テストの出願が例年通りだとすると、私大志望者であっても、「とりあえず出願」ということが必要になりそうです。
「発展的内容」を出すのか、出さないのか?
さて、もうひとつのキーワードが「発展的な学習内容」です。
文科省が各大学に、これをもとに「配慮」を求めたからです。
資料を見ると、「発展的な学習内容」に関する配慮のあるなしの項目があることがわかります。
大きくわけると、
- 配慮しない=東大、京大、早稲田、慶応など
- 出題するが、出す場合には注釈をつけるなどの配慮=東工大など
- 出さない
というように分かれます。
ある程度の大学を狙う以上、「結局出すのね」というように受け止めるしかないし、そう受け止めさえすればあまり問題はないのですが、こういう報道を受けて、変な勘違いをして「もしかして勉強しなくて済むの?」と考えだすと困るので、一応説明しておきます。
「発展的な学習内容」って何?「問題の難易度」でなく「教科書の範囲」の話
そもそも、この話は、教科書の範囲の話なんです。
勘違いする受験生は、「今年は難しい問題が減って、入試問題が基本中心になるのかなあ」なんてところだと思うんですが、そんなことではありません。
教科書の前提には「学習指導要領」というのがあって、これを越えている部分について、現在は「発展的な学習内容」と明記して、教科書に載せることができるわけです。
で、そこを出すか出さないかというような話なんですね。
で、これ、そもそも理数科目の話で、国語を担当している私には、まったくぴんとこない。そもそもそういう発展的内容が不明確というか、教科書に載っていない文章が出題されるのが当たり前の科目ですし、そもそも教科書会社が違えば、教科書の内容が違うわけですから、よくわからないわけです。
しかし、理数科目では、「指導要領に従うとここまで」「ここから先は発展的内容」というのが、教科書に示されているわけですね。
これを逆に言えば、今まで出していた、という大学が、「配慮しない」または「注釈をつけて出題する」という大学。東工大とか理科大とかがこうした形でとにかく「出します」というのもわかる話です。つまり、理系大学は神経質で、文系大学文系学部は、「配慮しません」という感じでしょう。
ただ、これさえも注意しないといけないのは、
- もともと発展的な学習内容を出題していないので、「出題しない」
- もともと発展的な学習内容を注釈をつけて出題していたので「注釈をつけて出題する」
としている可能性もあるわけで、よく見てみないと、範囲が短くなるとか、解きやすくするとか言っているわけではない可能性だってあるわけです。
このあたりは、過去問題と教科書をよく見比べながら検討していく必要があります。
厳密に言えば「配慮しない」と言っている大学だって、
- 今までも発展的内容は一切出していないんで変わりません。
- 今までだって一応指導要領の範囲内でやっていて、問題は難しいかもしれないけど、指導要領の中の知識でも十分できるはずだから「配慮しない」
- 今までだって、指導要領を越えて発展的内容を課すような大学としてやってきたんだから、今年だって当然配慮しない。だって、今までだってそこは自習のはずだし、変わらないでしょ。
の可能性のどれかはわかりません。
だから、下手すると、「配慮しない」と言っている大学と「配慮する」「出しません」と言っている大学が同じ範囲でやっている可能性もあるわけですね。
繰り返しますが、まずは過去問題を見て、そして理数の教科書の「発展的内容」をチェックして、そういうものが今まで必要とされてきたのかが、まずは把握の第一歩ですね。
そして、文系科目、英語とか国語とかについては関係ない話なんだということをよく理解して入試を迎えるようにしましょう。少なくとも「今年の問題は易化ですね」なんてわけのわからない判断をしないようにね。