学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

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「平成」が終わる…昭和の時代と今の環境から子どもの教育を考える。第四回「テレビとテレビ番組」

このシリーズも第3回目。というわけで、今回はテレビについて、考えてみたいと思います。テレビも教育的な意味がずいぶんあるんですよ。

 

テレビ番組が変わった…

気がつきませんか?テレビ番組がずいぶんと変わったこと。いわゆる「コンプライアンス」というやつらしいですが、あまりよろしくない感じの番組はどんどん淘汰されているわけです。

テレビが大好きだった私の世代としては、そういうおもしろい番組がどんどんなくなってきたのは悲しいことですが、そういうことだけでは説明できない変化があると思いませんか?

テレビは昔とまるっきり違ってしまったんですね。

 

時代劇や野球中継がなくなった…多チャンネル化

昭和から平成にかけて、テレビというのは、一番大きなメディアでした。流行はテレビから作られるといっても過言ではありませんでした。

そうなんです。もちろん、映画もあったし、ライブもあったし、雑誌もあったけど、とにもかくにもテレビがみんなの流行を作っていたんです。

だから、何が流行っているかはテレビ番組が決める。今は、テレビ以外のさまざまななメディアが登場して、そもそもテレビを見ないというライフスタイルもあるわけです。でも、昔はだいたい流れが決まっていたんですね。

昼過ぎはワイドショーと再放送ドラマ。

夕方になるとアニメとアニメの再放送。ちょこっとニュース。

7時ぐらいになると、野球中継、当然関東では毎日巨人戦。ゴールデンタイムはいろんな番組がありますが、8時ぐらいになると時代劇がどっかで入り込んでいきます。

9時になると、バラエティ番組、歌番組、それからドラマね。そうそう、サスペンスドラマ系の2時間枠と1時間の連ドラの時間があって、映画をやっている曜日も3日ぐらいは必ずあった。少なくとも淀川長治さんに、水野晴朗さん、高島忠夫さんはそのあとついだんでしたっけ?解説ついてましたよね。

ニュースステーション(今の報道ステーションです)は10時でしたが、基本ニュースは11時から。中でも「プロ野球ニュース」は男子が欠かせないもののひとつ。

で、ここまで起きているとこのあとは、ちょっとHな大人の時間…

深夜も映画は結構やっていて、これもHなのが多かったですよね。

こういうパターンです。

さて、こういう、家族構成の上から下までに配慮した構成って、もうないんですよね。

こどもにはアニメ。

中高生には、歌番組とバラエティ。

大人になってくれば、ドラマがあって、高齢者向けに時代劇…もちろん、大人の男向けのちょっとHな世界から、奥様向けのメロドラマまで、バランスよくテレビという世界にあったわけです。

さあ、今のテレビを見ると、

野球中継がなくなりました。お父さんがとにかく見たがったあの世界。「いいじゃん。毎日やってるんだから、今日ぐらい…」がなくなりました。

時代劇がなくなりました。お父さんやおじいちゃんがひたすら見ていた時代劇。テレビから消え去っていきました。

見たい番組が見られないイライラはあっても、何もかわりがないんだから、そこで一緒にみるしかない。なんとなく眺めるしかない。あの感覚がもはやないんです。

時代劇がなくなれば、下手をすれば、ぼくらがこどものころ毎日見ていた江戸文化の映像、服装とか建物とかを、マンガとかでしか知らないこどもも出て来るかもしれないですよね。

そうなんです。テレビがやっていた作業は、好みに関わらず、自分とは違う趣味や世代の人たちの志向を、それとなくわからせてくれる、という作業だったんですね。でも、いまや、多チャンネルで、ネットの時代ですから、自分の好きなものを好きなだけ、好きな時にみればよくなってしまいました。

 

 チャンネル争いとテレビの個別化

わかってきたと思いますが、家からチャンネル争いが消えました。

わかります?チャンネル争い。テレビがひとつしかないし、かわりはないから、何見たいか争うんです。

お父さんとかおじいちゃんには権力があるから、さっきも書いたようにプロ野球中継に、時代劇は優先されるわけですね。夜おそくなってきて、ちょっとHなシーンが出てきそうなドラマになると、「子どもは寝る時間だ!」と、教育に配慮されちゃったりしてたわけです。

こどもだって、見たいテレビは、たとえば、上と下では違います。大体大きい方が歌番組やバラエティで、下がアニメですよね。男の子と女の子の争いもあります。アニメなんて今でも、どっち向きってありますよね。

これを争っていたわけです。

二人なら、じゃんけんか説得ですが、兄弟が3人以上だったり、親も巻き込めば、ここにはコミュニケーションが生まれます。

たとえばね、二人なら、じゃんけんでも確率50%ですよ。でもね。3人が2対1にわかれていれば、見たい番組が見れる確率は1/3か2/3。全然違うでしょ?そうすると「説得」したりするわけですよ。「こっちの方がおもしろいよ~。こっちに清き1票を!」みたいな。

これ、家によって決め方の個性があるみたいです。だって毎日が戦いですからね。

テレビが1台で、ビデオなんていうのもほとんどなくて、なおかつほかに代わりがないから。

今、うちでは、娘が「〇〇みたい!」と「録画した番組」や「DVD」を見たいと、時間に関わらず要求し、その要求が100%通るわけです。だって、ぼくらもどうしてもみたいものは「ハードディスクに録画して後でみればいいや」ですからね。

ほぼもめません。娘にがまんもありません。そして、娘がぼくの見たい番組を見ることもありません。これではたして教育的にあっているのか…。

不安でしかたない。

成長すれば、自分の部屋にテレビがあるか、スマホで見るんだろうな…。

 

映画がなくなった…

さて、こうした問題とともに、大きいのが映画がなくなったこと。

そうなんですよ。ぼくらが小さいころは、昼間の再放送時間や深夜もふくめて、ほとんど毎日何らかの映画があったんじゃないかな。

9時から11時の映画タイムにNHKも加えれば、そういう時間にもかなりの映画があった。

そうなると、いわゆる名画から話題作まで、必ず目にするんですね。「ローマの休日」や「風と共に去りぬ」のようなものから西部劇、チャップリンに、日本の名作も。黒澤監督から「男はつらいよ」。アカデミーをとった作品に、フランス映画のエスプリきいちゃってる感じ。単館のマニアックな名作から全国ロードショーのヒット作。アイドル映画もありましたね。

この間、FM聞いていたら、若いDJが映画好きを公言していて、映画紹介ですすめるのがジブリですもん。別にジブリが悪いなんていいませんけど、「映画マニア」といいながらジブリすすめる感覚はぼくらの世代にはない。映画マニアなら単館上映、ちゃんと都内に観に行けよ、って感じです。懐かしの雑誌「ぴあ」。ああ、ノスタルジーだ。

戻りましょう。

こういう名画を2時間腰据えて、見るって大事なことなんじゃないか、って思うんですね。2時間しっかりとつきあう。しかも、みんなが知っているいい作品。いろんな作品。

今、私は「名作映画をきちんと見る」というのは学習として必要なことのような気がします。人生への向き合い方や悲哀をしっかりみつめるべきなんじゃないかと。そして、2時間だまって、それを読み取る練習って必要なんじゃないかって思うんですね。

テレビから、映画の時間が消え、圧倒的にそういう感覚が失われてるんじゃないかと思います。

名作映画をきちんと見る、ということ、小学生ぐらいになったら、はじめていいような気がします。そこで、習慣をつけないと、中学生くらいになると、もはや、こちらが見せようとしても、見てくれない「自我」を持つんじゃないかとさえ、思います。

 

短い動画をつなぐ番組が増えた…

で、一方、テレビ番組は1時間さえ、もたないんじゃないかと。

たとえば、連続ドラマが視聴率をとれないのは、当然、ネットや録画という視聴スタイルの変化もあるでしょうが、長いストーリーにじっくりついていけないんじゃないか、なんていう勘繰りもあるんです。

たとえば、医療ドラマ「ドクターX」とか「コウノドリ」とか、刑事ドラマ「相棒」とか「99.9」とかだと、一話完結じゃないですか。ああいうのだとなんとか、やっていける。どうしても続くタイプで最近とみに多いパターンは、「新章突入!」ってやつですよね。途中で成長して、話が新しくなったり、何話かで、いったん話が解決して、次の問題が起きたり…だらだら続けるドラマはだめなんじゃないかと思います。だって、見る側にがまんがないんだから。

この間の「半分青い」が展開早い、って批判されてましたが、でも、じっくりやったらどうなんだろう?あきるんじゃないのかな、って心配します。

もちろん、展開が早くて、その展開がわからないとみてもつまらないドラマはだめだと思うんですけど、展開自体がつながってなければ、その批判は、「このシリーズが好きだった」といっているだけで、実は、現代の視聴スタイルには合っているような気がします。

さあ、問題はバラエティ。

実際見ていると、1時間のバラエティが、さらにコーナー細分化されていると思いません?あの、別に芸人がやっているような奴はいいんです。もともと、ネタをつないでいくわけだから。最近はないですけど、コントとかそういう類のはね。ストーリーそのものが長いものと相いれないですから。

そうじゃなくて、問題なのは、情報バラエティっぽいやつです。あれがどんどん、コーナーの時間が短くなっている気がするんです。1時間で見て、まったく違う情報がいくつも入っているような…。昔だったら、たとえばクイズ番組ぽく仕立てている奴でも、1時間で国は動かず、そこでいくつもの問題を作るコーナー細分化だったものが、もはや、1時間で3か国とか3地域とか、回る人が3人別になっていたりとか、違うものをもってきている気がするんですよね。

中でもひどいのが、ネット動画をつなぐような番組。いわゆる「衝撃映像」的なやつです。もはや、テレビではなくて、「みんながネットに行ってしまったから、ネットでおもしろがっているものをテレビでやれば、みんなテレビに戻るんじゃないの?」的な形です。これで、みんなネットに行かせて、テレビはどうしたいんだろう、と思います。

なんとなく、わかってきたと思いますが、この視聴者の我慢のきかなさは、ネット動画のせいなんじゃないかと。音楽に対する向き合い方もそうですが、どんどんどんどん、ばら売り、切り売りになってしまっていて、わずか数十秒、数分の動画を見ることになれている。料理の作り方さえ、3分クッキングでさえ長いと感じる視聴者がいるんじゃないかと思うんですね。

好きなものを見る。

好きなときに見る。

短いものをその瞬間だけ楽しむ。

そんな視聴スタイルが当たり前になってきたことは、教育的にも大きな変化のような気がします。

 

そもそもテレビなんて見ない!そして、スマホやネットへ…

そうなんです。

そもそも若い世代はもはやテレビを見ません。その代わりはスマホであり、ネットであり…。そして、その代わりは必ずしも映像やドラマでさえなく、SNSやゲームを含めた幅広さをもっています。

メディアリテラシーからすれば、スマホやネットを子どもに与えない、ということはできないし、するべきではないでしょう。

でも、小さいときからタブレット自由にいじらせて、泣いたら、ユーチューブ見せてごまかす、っていうのは果たしてどうなのか?それこそ、ジブリやディズニーでいいから、2時間映画にじっくり向き合わせたら、だめなのか?

だめですよね。大人からすれば、一瞬泣き止んでほしいのであって、2時間テレビ見てほしいわけではないから。

いろんな事情の中で、短い細切れの情報に接して、長い時間に向き合えないからだが出来上がっていく…

でも、平成が終われば、テレビで育たないこどもが増えていく。そのとき、私たちは、教育的に考えて、どんな遊びや娯楽をこどもたちに見せていくのか。放っておけば、ツールと環境が個別化している以上、どんどんこれがひどくなっていくような確信だけはあります。

すくなくとも、親や大人は、こどもと一緒に観ないまでも、どんなものが子どもに用意されていて、どういう世界を子どもが生きていて、何をしているのか、というおおざっぱな傾向には関心を払う努力が必要になってきていると思うのです。