学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

「子育て」を考える その1 早期教育を考える。「地頭」と「環境」「経験」の話

受験に限らず、自分の子育てもふまえて、もう少し小さい子どもをかかえたとき、どうやって育てていくか、という話も、このブログで進めていこうと思います。自分の子どもたちが今、はまっている本とかおもちゃとか…というわけで、今日は地頭と環境の話です。

「地頭がいい」ってどういうこと?

私は国語の教員なので、ある種の「地頭信仰」の中にいます。どういうものかというと、「国語の成績がいい子は地頭がいい。入学時に国語の成績の高いクラスは最終的に伸びる確率が高い」というような感じ。

実際にどうか、と言われると、残念ながら、確かに「国語の成績がいい子が成績があがる率が高い」ようです。データを追ってみるとね。

数学とか英語とかは塾とかでたたかれてきているわけで、それに比べて、国語は「どう勉強していいかわからない」科目ですから、それが「地頭」の象徴。だから、「地頭がいい子」というものが存在して、そういう子達が成績があがる、っていうことですね。

さて、どうなんでしょう?

私はこれを認めるわけにはいかないです。これがもし正しいとするなら、「国語の先生の仕事は意味がない」ということになります。私は、国語力は勉強の仕方を変えれば、どんどんのびる、と思いますから、こんなことを認めるわけにはいきません。

えっ。「でも、国語のいい子が成績が伸びるんでしょう!」そうですよ。でも、それは、「国語力が成績に関わっている」のであって、「地頭が成績に関わっている」ということにはならないですよね。

小さい頃から、本を読んできたかどうか、たくさんの語彙をもってきたかどうか、文章にする、つまり「考える」ことをしてきたかどうか、ということが、中学校・高校の学習の基本になるということであって、決して、地頭ではありません。

だから、国語がすごく得意でも、学力が決して高くない子も当たり前ですがいるわけです。

私は、教員をやればやるほど思います。

「地頭なんてまったくない」「もともと賢い子なんていない」って。 

オリンピック選手の話

これは前にも紹介していることですが、

サッカー日本代表には、4月生まれ・5月生まれが多い。

アメリカのプロスポーツ選手は9月・10月生まれが多い。

のだそうです。

年代別の日本代表ならともかく、年齢が関係なくなるA代表に関しては生まれ月が関わる要素はありません。

これは、すべて、子どもの育ちに関連しています。

  1. 小さい頃に体が大きい。多少運動ができる
  2. うまいと評価されることで試合に多く出場するチャンスができる。
  3. よりうまくなっていく。

こんな順番で、最終的に生まれ月で決まっているとすれば、本当に不幸なことだと思いませんか?

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できていると得意になり、できていないと不得意になる

私はよく、「オリンピックで金メダルをとるのでなければ才能は関係ない。全国大会出場するくらいなら、誰でもそうなれる」なんていっていたのですが、最近のスポーツで驚くべきは卓球です。

愛ちゃん、佳純ちゃん、美誠ちゃん、美宇ちゃんに加えて張本くんと…。みんながみんな、ものすごくちっちゃいころから、親に指導受けてるんですよね。卓球って、卓球台があれば練習できますよね、本格的に。そこに本格的なコーチがいれば…。どうもおそろしいスポーツで、世界で勝つにはもはやそれが条件みたい。

スケートや水泳なら、さすがにプールやスケートリンクはもっていないから、そこまで小さいときからではないし、水泳ぐらいメジャーになると、そう簡単にはいかなくて、いわゆる素質的なものが入り込みそうですが、どうもそうでないスポーツもあるような…。

  • メジャー過ぎて素質が多少ものをいう世界…陸上、水泳、野球、サッカー
  • スポーツの特性上、素質が重要な役割になる世界…バレーボール、バスケットボール
  • お金がかかるため、その環境を整えるかどうかが大きい世界…スキー、スケート、ゴルフ
  • お手軽なのに、人口が多くて激戦の世界…卓球、ピアノ
  • マイナーであるがゆえに、経験がものをいう世界…たぶん、その他の多くのスポーツ

なんていう感じだと思います。

こうなってくると、親というのは、どれだけ早くから環境を整えるか、なんて話になりかねません。いわゆる「早期教育」というやつですね。そうなると、「結局お金じゃない」ということになりかねません。

まあ、それも一理はありますが、もう少し落ち着いて考えてみましょう。

 

高校入学時の学力と卒業時の学力の相関

うちの学校のデータなので、あまり細かくは出せないのですが、高校入試の学力結果と年度が進んでいくごとの学力相関をしらべたことがあります。入試の結果、といっても、最後はデータがあるわけではないですから、高3最後の模試データとの相関を折っているのですが、次のような結果になります。1が完全に相関があり、0だと全くない、ということですね。

  • 入試結果と高3最後の相関は0.5未満(一応補足すると、併設中からの進学組は同じ入試を受験していますが、結果は合否に関係はない、というものを含みます。)
  • 入学直後の模試(授業実施前)と高3最後の相関は0.5を越えてきます
  • 最初の中間試験になると0.6
  • これが学年が進むごとに相関が高まっていき、高2末には0.7を越えていきます。
  • 高1~高3まで、高3最後の模試と相関が高いのは、定期試験です。同時期の模試より定期試験の方が相関が高い

こう考えて見ると、特に学力に関しては、結局、入学してからの授業にどう取り組むか、ということに全てかかっているわけです。

特に衝撃的だったのは、模試よりも定期試験が、高3最後の模試に、最初から最後まで相関が高い、ということ。

よく「うちの子は模試は強いけど、定期試験はだめなの。力はあるはずなんだけど…」とか「うちは学校の試験では点がとれるけど、模試はからきし…入試大丈夫かしら?」とかいいますが、最後は「学校の試験をがんばっている生徒が受かる」ということです。

もちろん、塾でも学校でもいいんです。でも、学力がついたなら、定期試験はできるようになっているはず。できない、ということは「今習っていることをごまかしている」ということです。模試は「過去の貯金」でごまかしている、ということです。

だから、模試ができるかどうかは、地頭ではなく、過去の貯金。

それを使い果たしたら、最後は「ただの人」です。さぼってきた範囲の「借金」を返済しなければいけません

なんとなく、心当たりあるでしょ?

地頭がよく見える人っていうのは、そこまでの貯金の話なんです。

  • 中学入試の結果は、中学入試までの貯金の差。大学受験までの6年はこれから始まる。
  • 中学入試を準備しはじめた段階での差は、小学校3~6年までの貯金の差。受験勉強と中学校に入ってからはまだまだ10年ぐらい。
  • 小学校に入るまでの差は、幼稚園や家庭での差。でもこれからなが~い教育が始まる。
  • 大学入学の結果は、18年の貯金の差。でも長い人生、まだ、倍以上の時間が残されている。

ということです。 

早期教育は必要?早くからやらせないと手遅れか?

というわけで、ここまでまとめると、

  • 早期教育は有利に働きそう。もしかしたら、早くから取り組むかどうかで、何かが決まってしまうのかも…
  • とはいえ、学力の数字を見る限り、結局、学校入ってからまじめにやるかどうかってことでしょ?

という両方の真実が見えてくるわけですね。

確かに張本くんじゃないけど、オリンピックで金メダルをとらせようと思ったり、優秀なピアニストにしようと思うなら、早期教育はどうも必要ですが、そうでなくて、なんとか全国大会行かせるぐらいだったら、それなりの教育は必要であっても、そこまで焦らなくてもいいんじゃないの?ということになりそうですよね?

まして、たとえば早期教育で英語をやらせたと仮定して、幼稚園ぐらいまでやって、やめましたっていうのは、スポーツでいうなら、「小学校まで水泳やってましたけどやめました」っていう子と「中学校からずっと水泳やってます」という子の高校卒業時の泳力差みたいなもんで、早くやっても続けなきゃ意味ないじゃん、っていう話でもありますね。

この話って結局はすごく難しくて、たとえば、高校2年生まで、本当にさぼりまくって、中学校の英語もろくにできないとして、最後の1年で塾に行って本気を出せばなんとかなる…なんていうのは、高校3年生になって、突然、未経験のスポーツに入部して、「花園行きます!」なんて話に近い。だから、あんまり遅れてもまずい。

要するに、素質とか才能なんて言葉でない以上、とにかく経験させてやればいいわけで、だからといって、別に焦らなくても普通にやっていればいいわけだし、とはいえ、短期間で一気に成果が出るわけではなく、そこまでの経験が物をいうと…

いやあ、これはそう簡単にわりきれる話ではないですね。

この話って仮に、早期教育をやって、何か有利に働いていたとしても

「ぼくはやればできるんだ」なんてうぬぼれて、中高六年間さぼりまくったら、どうなるんだっていう話でもあるわけですから。

これは困ったな、と。

子どもを他の子どもと比較するのは「親」

じゃあ、もう一度、戻って考えます。

たとえば、スポーツだったら、ちょっとしたうまい下手で、レギュラーかどうかを決められて、うまくなるチャンスを与えられたり、奪われたりする…。

でも、普通の教育的なことは、全て、チャンスを与えるかいなかは家庭であって、特に学力に関しては、学校含めて、チャンスが不平等なんてことはないはずです。

もし、「才能」とか「素質」とかに着目して、そのチャンスを奪うのは誰かと言えば…。それは、やっぱり親だということ。

ここが一番重要なポイントである気がします。

たとえば、自分の子どもが、他の子と比べて遅れているとします。

私も結構小さい子の子育て奮闘中なのでよくわかります。

「ハイハイをした」「立った」「歩いた」「しゃべった」「絵らしきものを書いた」「自分の名前が読めた」「運動会で走った、踊った」などなど。

ありとあらゆるものが気になりますよね?

で、遅れているとします。うちもなかなかしゃべらなかった。2歳になった瞬間ですかね。

その時、どう感じるか?いや、感じるのは親として当たり前。そこでどう動くか、行動するか?

たとえば、「まずい。何かしなくちゃ」と思って何か始めるのか、それとも「うちの子はだめな子なんだ。勉強(スポーツ)じゃない他の合った道は何かしら」と思ってやっぱり何か始めたり、あるいは見捨てたりするのか…

なんとなく、ですけど、どっちも違うんじゃないのか?そんなのたまたまみたいなもの、偶然の結果みたいなもので、一喜一憂するのは当然だけど、慌てずに次のチャンスを待てばいいんじゃないのか、なんて思います。

2歳までしゃべらなかったうちの子は、それから半年程度経った今、ちょーおしゃべり。たまたま、その子に字を読むブームが来たり、走りたくなったり、ボールを投げたくなったり、しているだけで、そんなのその子によって変わるだけ。でも、それによって、才能が開花したり、眠っていたりしてしまうわけです。

いつもいつも、親が、他の子と比較してしまう。それは自分も思いますが、仕方ない。気になりますもん。でも、どんと構えましょう。多少、遅かったとしても、才能や素質ではない。その子が得意になる時がきっとやってくるんですよ。

ボール投げを嫌いな子は、たいてい最初にボールを投げなかっただけ。で、最初にボールを投げたときに、他の子に笑われたり、あるいは他の子みたいに投げられなかったりしたときに、いやになってやめてしまう。だから、ボールの投げられない子はいつまでも投げられない。

自分のクラブ活動指導の経験でいうと、たかだか1年半ぐらいで、全く投げられないに等しい子が、他のクラブの顧問から、「先生のところはボール投げられる子ばっかりでいいよね」と言われるぐらいになります。たかだかそのぐらい。

でも、それをやめてしまうのは、やっぱり、他人と比較してチャレンジをやめてしまう、というその程度のことのような気がするわけで、だから、親の役目は、苦手と決めつけず、じっくりと取り組ませることが大事な気がします。「〇〇苦手だもんね。いいんだよ、他に得意なことあるから」でも、「〇〇苦手なんだからなんとかしよう」でもなく、その子がやりたがった時に、他の子と比べずその子のペースでやらせてあげれば、あっという間に得意になる気がします。 

子どもがチャレンジする環境をつくるために…

 じゃあ、それってどうやるの?というのも難しい質問です。難しいです。なんだか、理想の親のような感じのことを書いてますよね。自分がそうかといえば、決してそうではないですよ。

でも、ひとつだけ、特効薬はあります。

こどもがチャレンジするのは、失敗しても受け入れてもらえる場所があること。

何をやっても、失敗しても、無条件でかわいがってもらえる場所があること。

それが親の役目。

これならいけません?だって、こどもかわいいもん。うちの子がかわいいって思っていればいいってことです。

そういう感じがあれば、いいんじゃないかな、って思います。

そう思って、子どものいいなりに遊びにつきあう毎日。馬になり、本を読まされ、おままごとにつきあう。踊りも踊るし、歌も歌う…。

まあ、とりあえず、それが、うちの子のチャレンジになることを信じて、疲れても遊びます…。