早期教育について、考えてきましたが、入試の季節になったこともありますので、中学受験もふくめて「コストパフォーマンス」を考えてみたいと思います。
自分の子育てについて、考えていく中で、「早期教育(幼児教育)」と対面することになりました。自分もこうやって文章にすることで、少しずつ考えが明確になってくるところがあります。「子育て」は確かに難しいけれど、できるだけ、その難しさを楽しみつつ、プレッシャーを感じないようにしないといけないなあ、と思って、書き進めています。早期教育、幼児教育から始まって、「中高一貫」などもふくめて教育のコストパフォーマンスに少し話をうつしてみたいと思います。
早期教育について、考えてきたこと。
自分がここまで書いてきたきっかけは二つです。
ひとつは自分の教育的な経験として、「才能」とか「遺伝」とかいうものは、ほとんど関係ないように思えていること。環境を整えて、いろいろな経験をさせてあげることによって、さまざまな才能が育つのだということを、書きたかったということです。もちろん、それは主体性というか、興味関心というか、いわゆる知識そのものではなくて、知識を得たいという欲求のようなものを育てる、ということとセットではあります。だから、「学びの真似び」なんていうブログを立ち上げているわけです。
もうひとつは、自分の子育て。そういった経験を踏まえて、やっぱり、実践してみたいという欲求があって、その中でいろいろなことを学び、また悩む、考えることになっていくわけです。そうすると、どうしても「早期教育」「幼児教育」というようなテーマに突き当たってしまいます。
この議論は、ネットなどを見ても混乱しています。一人の人が混乱しているわけではないです。意見を持っている人は、理路整然と正しい意見を述べています。そうではなくて、それぞれが「どういう常識をもっているか」「何を前提にしているか」「成長をどういう観点で見ているか」というような点がずれますから、ネットには真逆に見える、どれも真実を書いている情報があふれ、それで混乱してしまうわけですね。
意味があるの?それともないの?やらないといけないの?やると悪いことが起こるの?
という感じです。
私がここまで書いてきたこと、つまり、私が今のところたどりついたことは以下の通りです。
- 人間は経験だから早くからやらせて悪いことはない。経験すればするだけ、成長していく。
- 特に、先んじることで、他人との比較によって「得意だ」「できる子だ」と思われれば、さらなる経験を与えられ、ポジティヴに物事に取り組む可能性が高まる。その意味で、早期教育は有効。
- ただし、知識そのものや有名大学に進学する、というような観点で見ると、小学校3年生ぐらいでは早期教育の優位性は失われる可能性が高い。
- 早期教育の本当の価値は、非認知的能力で、それは結果よりも「過程」に価値がある。
- そうなった場合、遊びやスポーツも含めて、対他人のコミュニケーション能力なども含めて、まじめに取り組んだり、我慢したり、集中したりすることが大事になっていく
というような感じです。
一応、ページも貼っておきますね。
こうやってまとめてみても、まだ、最初の2つと、後の3つにはギャップがあります。最初の2つは、知識などにおいても先んじることの有効性をある程度述べていて、後の3つは知識などについて、先んじることの有効性を否定しているからです。
自分としては、だいぶ腑に落ちているのですが、書くとこうなるということは、まだ、整理しきれていないのかもしれませんね。
ネットの情報を見て思うこと。期待するものは何か。結果か、過程か。
というわけで、自分の子育ての話に戻ります。今の問題は、幼児教室をどうするか、です。変えた方がいいのか、やめた方がいいのか、今のまま続けた方がいいのか…。いろいろ迷うわけですね。
で、ネットを検索して、評判を集めたり、あるいは意見を聞いたり、ということが始まっているわけです。
「迷う」ということは、自分の中の評価軸がまだ定まっていないのかもしれません。
自分の中の、きれいごとで言えば、
- いい大学に行くとか、そういうことは関係ない。非認知的能力が重要。だから、慌てて結果をもとめることはなく、内容がポイント。
なんてことを言いながら、
- できれば、ほかの子供より早く字が書けてほしいな。できれば算数とかも得意になったらいいな。
なんてことを考えるわけですから、どの教室がいいのか、あるいは今のように、「あんまり子どものレベルに合わずやることが低いなら通わせても意味ないかな」みたいな感覚になってしまうわけです。
こりゃ、我ながら整理がついていない。
で、ネットみると、「早期教育」に否定的なものが多くあふれていて、特にお金をかけて幼児教室に入れる必要があるのか、みたいな話になっていくわけです。それを読むと、やっぱり、「何を期待するか」が問題なんだよな、と思います。
というわけで、自分自身も、もう少し、自分が求めているものは何なのか整理してみる必要があるな、ということになりました。
結果を求めることは悪くない。でも、お金をかけるなら…。
そうなんですよ。実際にネットを見ると、「何が目的か」ということが議論になっていくんです。
「結果」なのか、「過程」なのか、ですね。もちろん、両方というのもあるかもしれません。
ずっと「結果」を求めることが、さも悪いかのように書いてきた面もあるかもしれません。でも、必ずしもそうではないですよね。「結果」こそが大事なこともあると思います。
たとえば、うちの習い事は、「スイミング」「英語」「幼児教室」です。
この中で、一番「結果」に重きが置かれているのは、「英語」。
うん。間違いない。
だって、「過程」がいらない、「過程」を重視することがないとは言わないまでも、一番の目標は英語が話せること。これを「結果」と言わずして、何と言う?
だからこそ、これはわかりやすい。いくら楽しくても、英語教育として疑問があれば、やっぱり、どうなんだろう、と思うし、コストパフォーマンスを考えるとなれば、「今やる」のと「中学生・高校生になってやる」のを比べる、あるいは「結果」のためにはずっとやることが求められるわけですね。
「スイミング」は、よくばりだけど、両方かも。だって、「泳げるようにする」とか、「勝てるような特技にする」とかは、確かにオリンピック選手にするほどの野望ではないけど、間違いなく「結果」で、でも、「手段を選ばずスパルタ」みたいなことでなく、「自分なりの目標を持って、考えて取り組んでほしいな」とか、「続けることで自信を持ってほしいな」なんていうのは、「過程」です。だから、きれいごとかもしれないけど、「他にやりたいことが見つかるなら、やめるのもしょうがない」みたいな考え方になってるから。
さあ、最後に残りましたよ。「幼児教室」。
そうなんですよね。「結果」はいらないっていう「きれいごと」が強いんですよね。私の場合。
おそらく、ネットの情報を見ても、「有名中学に合格する」とか「有名大学に進学させる」とかいう結果につながることを考えると、自分の経験からしても、家庭教育がある程度できるなら、この場合、絵本の読み聞かせ、とか、学校よりも早く字がちょっと書けるとか、その程度のことなら、おそらく、幼児教室は、コストパフォーマンスが悪い、ということになると思います。
中学受験なら、お金は中学受験塾など、中学受験に向けてキープした方がいい。大学受験も一緒で、おそらく高校に入ってからの進学指導に費用を重点的にかけた方が、よりコストパフォーマンスはよくなると思うんですね。たとえば、中学校入学、あるいは3年生になってからなどに、塾や通信教育に、受験指導としてお金をかければ、ある一定の成果は出るし、それで一定の高校に行けば、大学受験用に同じようにコストをさいていけば、一定の成果は出ると思います。
というか、私は私立中高一貫校に勤務していて思うのですが、よく保護者の方から「塾がいるか?」という質問を受けますが、「塾が必要」なんていう答えはありえない。こちらとしては塾がいらないようにがんばっていますが、でも「それでは足りない」と言われてしまえば、あるいは、どんなに授業をがんばってしっかりやっても、「放課後あいてるんだから、その時間もとにかくやってよね」という考え方になってしまえば、やっぱり「塾は必要」にしかなりません。
結局、こればっかりはご家庭の考え方。そういう、どんな授業が行われているか、ではなく、とにかく、子どもを放課後でも無駄なく、宿題でも無駄なく、勉強させること、ということが目的の人からすると、私立中高一貫は、おそろしくコストパフォーマンスが悪い、ということになりかねません。
だって、結局、課外で塾や通信やネットの費用が発生するわけだから。「塾の費用がかからないから私立にしたのに、結局塾に入れてお金がかかった」ということになり、「塾が必要になる以上、私立に払った高い学費の元はとれていない」という結論にどうやってもなるからです。大学に受かっても、落ちてもね。
ちなみにですが、私立も公立も同じ、なんて言ってませんよ。私立の教員としては高い学費をいただいている以上、絶対、負けないようにやってる自信があります。先生のあたりはずれは公立でも私立でもあるとはいえ、全体的な平均は絶対私立が勝つ!
でもね、公立はタダですから。あるいは、高校なら月1万円ぐらいですから。ずるすぎます。だから、私立の学費とか設備費を全部とっといて、塾とか通信とかに最初からつぎこんだら、コストパフォーマンスというかリスク管理からすれば勝てない。公立がタダであのクオリティってずるい。だって、教員の給料がタダでない以上、ものすごくコスパはいいですよ。お金もらって学費払ってるわけだから。
あくまでもコスパで負けてるだけで、お金をかけた分の底上げはあります。お金持ちなら私立+塾でしょう。それがいいに決まってる。でも普通はそうはいかない。
そう考えたら、私立ってなしですよね?
だからこそ、学校の教員としては、やっぱり、その学校の3年間、6年間でできるかけがえのない経験、体験、時間、それはつまり「過程」ということなのですが、そこに「お金」を払えるか、ということのような気がします。
もちろん、だからといって「結果」を求めるな、というのは酷ですね。人間、結果はほしい。特にお金をかけたなら。
でも、大事なのは、「過程」を求めているんだよな。そこにしかない体験や経験を求めていたんだよな、ということ。それがあれば、「結果が出ないから無駄」という短絡的なつながりはなくなります。あ、もちろん、結果を求めている人がそう判断するのは短絡的でも何でもないですよ、念のため。私のように、きれいごとをかざすなら、やっぱり、そのきれいごとを忘れてはいけないよな、ということです。
さて、幼児教室に戻ります。うちのそもそもの動機は、もう少しレベルの高いことをやらせたいかな、なんて色気を出したことに始まります。でも、調べていけば、あんまり早くから結果をもとめても、やっぱり意味はなさそう。だって、非認知的能力ですもんね。
間違ってないんです。非認知的能力を高めるためには、できることでなく、できないことにチャレンジすることだから、レベルを高くしたいという気持ちは間違っていない。
でも、費用とか、時間とか、親の負担とか、うまくマッチしていいレベルが見つかればいいけど、そうでないなら、慌てなくてもいいかな、というのが、とりあえずうちの結論になりそうです。
だって、うちで絵本読んでるし、絵とか書きたがるし、おけいこブックみたいなこともはじめたし。
というわけで、また気が変わるかもしれませんが、今日はこんな感じです。