学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

「早期教育」を考える~紀平梨花さんの幼稚園の映像がテレビで流れて

「早期教育」に話題が集中していたら、紀平梨花さんがGPファイナルで優勝して、幼稚園の映像が流れました。この話から「早期教育」を考えていきます。

紀平梨花さんが優勝しました。日本のメディアは、こういうことが起こると必ず背景の因果関係に発展させていきます。納得のいかない事件やこうした想像を越える素晴らしいことは、必ず原因となる「原理」を求めて、理解の範疇におき、逆に、原理上必ず起こってしまう事件については、その「人」の「特殊性」に原因を求めて、理解の範疇におきます。

今回は、前者でしかもおめでたい話題だからいいですが、こうした結果を、紀平梨花さんの全体的な努力や環境でなく、「幼稚園」の教育や「早期教育」に求めていっていいのか、ということを考えてみたいと思います。

 

早期教育は必要だけど、大事なのは「非認知的能力」

前回は「非認知的能力」を説明しました。

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つまり、学力や運動能力そのものは、いくら早くはじめても、小学校にあがったあたりで、ほとんどそのアドバンテージはなくなっていく、ということ。

でも、将来的な年収や学歴には、プリスクールは相関していて、おそらく、幼児期の「がまん」や「集中」や「努力」といった経験が、そこに関係しているということですね。

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この中に出て来るグラフからも、10歳ぐらいでは、ほとんど有意な差はなくなっていることがわかります。

プリスクールの話も、外国の話ですから、たとえば、日本のように比較的教育がしっかりしていて、ほとんどみんなが幼稚園に行くよね、っていうところになってきたときのことではないと思います。家庭がしっかりと絵本を読んだり、数字やひらがなのシートを貼っているような場所だとするなら、あるいはちょっとした知育おもちゃを用意しているとするなら、そんなに焦る話ではありません。

でも、こうやって、池江璃花子さんの幼児教育(七田式)が話題になったり、紀平梨花さんの幼稚園(ヨコミネ式)が話題になったりすると、親としては、じっとしてられなくなりますね。「うちの子、普通の保育園だけど大丈夫かしら?」とか、「ああいう教育受けさせたら、すごくなるんじゃないかしら?」とかいった感じですね。

みなさん、どうですか?

うちだって、池江さんの小さいときの映像が流れれば、影響受けますよ。雲梯、いまだにほしくてしょうがないし。とりあえず、アンパンマンのジャングルジムにしましたけど、どうしても鉄棒ついてる一番いいやつにしたくて、奥さんに泣いてもらいました。

そうなんですよね。ああいうの見ると、プレッシャーというほどではないにしても、影響受けたり、子どものために何かしないといけないんじゃないか、と思ったりしてしまうんです。

 

保育園や幼稚園を変えた方がいいのか?あるいは、習い事をすべきなのか?

うちの近くには、やっぱりヨコミネ式の保育園があります。そもそも、保育園に入ることが一大テーマですから、正直言って選ぶ余裕はなくって、「入る」こと優先の我が家は、人気のありそうだった、ヨコミネ式と見学して気に入った昔遊び重視の保育園をわざわざはずして、少しでも入れる確率をあげました。

そしたら、今度はバイリンガル幼稚園ができまして、保育もやっているんですが、まあ、これがお高い。もちろん、教育にお金はかえられない、なんて正論もありますが、とはいえ、ねえ…。

私は、保育園に迎えにいっても、ほかのママさんと会話をたくさんするわけではないので、細かいことはわかりませんが、どこのご家庭もいろんなことを考えて、あれこれ迷ったりしているようです。

で、うちですが、スイミング、英語、幼児教室という、首都圏エリアにありがちな3点セットにはすでに手を出しております。スイミングは、最初から決めてたこと。英語は、最初に体験にいったところが高くて、焦らなくてもいいかと思っていたんですが、ちょっと離れたところにだいぶ安いところができたので、まあ、遊びとしてはいいよな、と思って始めてしまいました。最後の幼児教室は、ショッピングモールにある体験ブースにひっかかり、喜んで遊ぶし、遊び中心なら、こういうのもありだな、なんて考えていたんですが、ここに来て、そろそろ、数とか字とかになってきて少々迷いが出てきているところ。

子どもがどんどん先に進むように、レベルをあげてやりたいと思いつつ、そのことによって、遊びではなく勉強になってしまったり、親、この場合は奥さんですが、親が「勉強させる」「できるようにさせる」プレッシャーになるのは避けたいなあ、なんていう感じです。

そしたら、紀平さんで、ヨコミネ式ですもん。本当にタイムリーです。

 

オリンピック選手にさせるなら、絶対に必要。でも…

うちの話はおいといて、「早期教育」の話に戻ります。

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まず、「得意」だという意識を持たせたり、下地を持つためには、当然「早期教育」は必要で、また、間違いなく有利に働きます。

紀平さんは今16歳ですから、当然、もっと小さいときにスケートをはじめ、もっと小さいときから日本で勝ち、また世界で勝っているわけです。

スケート自体を早く始めることが重要であるのと同時に、始めたときに「下地」をもっているかは大事ですね。「すくすく子育て」のグラフをもう一度見てほしいのですが、4歳5歳では、ものすごい差をつけることができるわけで、この「下地」をもって、何かを始めれば指導者が「この子はすごい!」となる可能性も高いですし、どんどん先に行ける可能性があがります。

卓球の話を前にもしましたが、卓球なんて、早く始めなければ終わり。おそらくピアノもそれに近いでしょう。

でも、オリンピック選手にする必要がなければ、そこまで早く始めるメリットは一気になくなります。また、ここでいっているのは、「下地」によって、初期の経験が有利にはたらくといっているだけ。試合に出れたり、みんなから評価されたり、そのことで、有利になるといっているだけで、コツコツと継続していくことで、遅咲きの才能を花開く選手もたくさんいます。

水泳だったら、大橋悠依さんとかですね。まあ、中学で全国優勝してますけど、全国優勝レベルでも、学年別で大会別で考えれば、種目分チャンピオンはいるわけで、その中でコツコツ努力して、今になって脚光をあびることもあるわけです。

そう考えると、焦る必要ないよな、って思うわけです。

 

「早期教育」のデメリットを考える。

でも、でも、でも。焦る必要がないって頭ではわかるんですけど、こどもにあるかもしれない未知の才能を、放っておいていいのか的な脅迫観念が生まれてきます。

才能なんてなくて、本当はすべて経験、というのが私の持論ではありますが、そのように考えてもらっても「だから経験させてあげなきゃ何も生まれないよね」というのは正しい指摘です。

だったらやるしかない。

そうならないのはデメリットがよぎるからです。私が迷っているデメリットは次のこと。

紀平さんは成功したが、その他多くの子どもたちは?

まず、すごくシンプルなことですが、その幼稚園で過ごした子供、そういう教育を受けた子供は実際にどうなったのか、ということです。

これをデメリットと書くのはあまりに言い過ぎですね。

もし「そういう結果」を求める親がいるとするならば、その成功例はどれほどのものなのか、あるいはそこまでの成功でなかったとしても、おおよその成功をおさめている人はどのくらいいるのか、ということが気になるはずです。

この項目は、そもそも「結果」を求める、ということの批判でもあります。だから、「結果」を求めていない中で、ああいう教育の場を選ぶ、与えることに何の批判もありません。私も、そういう教育をしたいわけだし。

でも、もし「結果」を求めてああいう教育を受けさせる人がいるなら、「その他大勢」の結果は見ておかなければいけない気がします。

「結果」さえ、気にしていなければ、いいんですよ。与えたいものを与えるだけだし、あるいはその「過程」が大事なんだから、その「結果」がどうあれ、そこが大事なわけですね。私なんて、中高一貫の教員ですから、その「過程」を求めて、入学してくれないと困ってしまいますし。

得意な人の中で、自信を失うことにならないのか?

次に、たたずんでしまうのはこれです。私が早期教育を意識しているひとつは、子どもに「自信」を持ってもらうことなんですね。だから、人と比べずに、マイペースでその子に合う課題をどんどん消化してもらいたいわけです。

これは自分でもすごく矛盾していることはわかります。「マイペース」で「早期」、つまり「人より早く」ですからね。

でも、たぶん本気でそう思っていて、競争を否定するつもりもないんですが、「競争の勝ち負け」や「競争の結果」がメインになるような教育には参加させたくないんです。競争自体はすごく価値があるとは思うんですが、やっぱり、それぞれの課題にそれぞれのペースで取り組めばいいわけで。

でも、ああいう雰囲気みたときに、たとえば自分だけ、鉄棒とか跳び箱とかできないと、変な劣等感を持ったりしないかなあ、なんて思うんですね。すごすぎて。

計算とか、字とかもそうです。遊びのように、どんどんやって自信をつけてほしいと思う一方、「他の子に負けないように」みたいなことにはなりたくない。

やっぱり矛盾なのかなあ、なんて佇んでしまいます。

楽しく取り組めればよいが、「できる」かどうかという結果にこだわることにならないか?

そして、それは、もうほぼ書いたことですが、要はこういうことにならないか心配。それは親としての自分に言い聞かせること。

結果より過程。

書けば簡単なことですし、当たり前で、揺らぎもしない項目なんですけど、いざ、具体的なバランスになると本当に不安です。

だから、「教室の雰囲気」とか「先生の雰囲気」が大事だな、と思います。

特にうちはまだ2歳なので、先生がどんな感じで子どもに接してくれているかが一番のポイント。

そもそもうちの環境では、保育園を選べる状況にはありません。都市部ですから数はあるけれど、待機児童が多いから選べない、という意味ですね。

でも、決して消極的に、今の保育園にしたということではなく、特に小さいときは、少人数でしっかり見てくれる今の園に大変満足しています。

だから、ヨコミネ式の園やバイリンガルの園を横目に見ながらも、「今、満足しているのに移る必要はない」「だったら、英語は通わせてあげよう」みたいな選択をした、というのが今の現状です。

字とか数とか、習い事したくなりますけど、そのことで、変な競争に巻き込まれないかは、ちょっと不安なんですね。

レベルあげてやりたいけど、あんまりガツガツしたくない。先生の雰囲気はどうなのか、考え方はどうなのか、そんなことが今の興味です。

 

子育ての悩みはつきない…

というわけで、子育ての悩みはつきません。「悩み」に入らないようなことの気もしますけどね。

ついつい、子どもにとっての「ベスト」は何か、的な考え方になってしまいます。でも、きっとそこが間違っている気がします。「ベスト」が何か考えること自体は悪くないんですが、そこで「答え」を求めようとしてはいけない。

きっと、その「答え」はあるのかもしれないけれど、いつまでもわからないものです。

人生なんてそんなもの。なってみないと、やってみないとわからない。

自分自身の人生の選択はほぼ終わったかのように感じていましたが、やっぱり、日々、選択なんだなあ、とつくづく思う今日このごろです。