学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

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早生まれは損?じゃなくて実は得?!早期教育を考える。

子育てを考えるシリーズです。今日は早期教育という観点で、早生まれの問題を考えてみたいと思います。

実はうちの上の子どもはまもなく3歳。なんと年末の生まれでほぼ「早生まれ」。下の子は0歳で5月生まれ。というわけで、学年では一番大きい子の仲間になるわけですね。

前にこんな記事を書きました。

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というわけで、自分なりに「早生まれは損」ということについて、考えてみたいと思います。

あくまでも、その観点は「教育」ということなので、生涯年収が…とか、定年が…とか、あるいは「保育園に入るのに…」いうことではなく、「早期教育」という観点で見ていきますので、ご了承ください。

 

 

「早生まれ」は、損になるのは…

前の記事でも書いた通り、プロスポーツ選手には、日本の場合、4月・5月生まれ、アメリカの場合、9月・10月生まれが多いということ。

つまり、まさに同じ学年の中での、ちょっとした成長によって、チャンスが与えられたり、優れているという自覚を持ったり、そういうことが積み重なって、最終的に年齢が関係ないような時期になっても、その差が生きてしまう、ということですね。

これが決定的に、教育的に早生まれが損なこと。

はじめて立つ、歩く、といった運動能力から、話す、字を読む、書く、数字を覚えるといった学習面まで、特に保育園とか幼稚園とかに通い始めた最初のころには、1年がとてつもなく大きい差ですから、これは「不利」といってもしかたがないでしょう。

 

地頭は存在しない。すべては経験、といっても…

一方で、私が、この記事の中で書いたのは、「素質」にあたるような「地頭」はない、ということ。結局、入試の成績よりも、入った後の定期試験の成績が、最終的な模試に相関している以上、どんな経験を積むかが大事なわけです。

だからこそ、ですよね。

最初に、何かができていると「勘違い」している、そして周りもそういう期待をかけてくれる、4月・5月生まれが有利なんじゃないか。結局、早生まれは、損をするんじゃないか…。

私のいうことを信じて、早生まれの子の才能を信じて、いろんな経験を積ませるにしても、そういうことを意識してやらせなければいけない以上、早生まれの子は不利なんじゃないか…。

そういう考え方も当然できるわけですね。

でも、5月生まれの弟ができて、実際に保育園やその他もろもろをおねえちゃんと一緒にやらせようと考えると、おそろしい事実に気が付いてきました。

 

4月・5月生まれは初期段階において、教育的には圧倒的不利。

そうなんです。有利ではないんです。完全に不利なんです。

自分の子供をもって、実際に育てて、さまざまな環境を与えようとして気が付きました。これはもう、どうにもならない。4月・5月生まれの子ほど、何かをしてやらなければいけないような気がします。

いざ保育園に入れることを考えたら…

そうなんです。実際に保育園に入れることを考えます。奥さんが働いているとだいたい同じような感覚になるようですが、「できれば1才近くまではみてやりたい」みたいなことになるわけですね。そこまで、育休とれるか、という問題がありますから、実際に思い通りにいくかどうかは別ですけど。

うちの場合、最初の子のときに、職場も離れているし、職業柄なかなかきつい環境だったので、いったんやめて、落ち着いたら再就職、という考え方をしていました。そしたら、ですね。年末生まれですから、まるまる1年子供を面倒見て、4月から保育園に入れることになりました。というわけで、1才ちょっとで、まあ、当然1歳児のクラスに入るわけですね。

この感覚。当たり前といえば当たり前に思っていたんです。1歳だから、1歳児クラス。ね。当たり前でしょう?

ところが、です。弟は5月生まれ。1年だいたい経つから、まあ、今度は再就職後の育休ですから、ちゃんと復帰しなくちゃいけないという事情もあるんですけど、4月からいれようかなと。こちらとしては、おねえちゃんと同じくらい家で母親と過ごしたし…みたいな感覚なんですが、この子が入るのは、0歳児クラスなんですね。

うわ、1年違うんだ…。

当り前です。これがみんなの言っていた「早生まれ損問題」なんだって認識したともいえるんですが、私の認識は、まったく逆で、「うわ、これはやばいかも。弟」ということでした。

 

幼児の間は月齢で比較している。

まず、ですね。この段階は、年齢だけでなく、月齢でさまざまな比較を行っています。「比較」はいけません、なんてこの間書いたばかりですが、そうはいっても比較するのは親の心情。どれだけ、その「比較」を気にしないで、言葉にしないで、決めつけないでいるかが大事なんですが、「比較」して気にするのが親の当たり前の心情で、そんなことでだめだなんて思う必要はないですよ。

戻ります。月齢なんです。「〇カ月でハイハイした」「〇カ月でつかまり立ちした」「歩いたのは…」「しゃべったのは…」全部、〇歳〇カ月まで入って記録されているんですね。

だから、年齢なんて気にしていないんです。いや、もっと細かく気にしているんです。たとえば、おねえちゃんは今、2歳児クラスにいるんですが、(もうすぐ3歳)この間、はじめて運動会ぽい運動会になりました。だって、去年は1歳だからほぼだっこだったんで。

で、はじめての彼女がひとりで走ったり、踊ったりする運動会を見て、親はどう思うか、というと、もちろんすごいねえ、えらいねえ、ということにはなるんですけど、ちゃんと友達の月齢、生まれ月も把握していて、「〇〇ちゃんは何月生まれだからやっぱり違うね」とか「やっぱり〇月生まれだと差がついちゃうかな」みたいな感じで、そんなところで、勝った、負けたはなくて、「当然」ぐらいに受け止めています。

まあ、そもそも、2歳の運動会で、泣いちゃおうが、走れなかろうが、たいした問題ではないし、すべてこれからだし、そこに月齢という理由がついてくる、だけの話ですね。でも、こう書いてくると、ちょっとしたプレッシャーがある子どもがいますよね?

 

4月・5月生まれの子はこの時期「できて当たり前プレッシャー」がある…。

そうなんです。この話題の中で、ひとりだけかわいそうな子がいるとしたら、それは4月・5月生まれの子なんです。決してそんな言い方はしないけど、「できて当たり前」の感覚があるんですね。

うちの会話で、「〇〇ちゃんは、4月生まれなのに泣いちゃったね」なんていうことはひとつもありません。でも、「うちの子は年末に生まれたんだから、多少できなくても当たり前だよ」という会話はあるわけで、それは無意識に「4月生まれはできて当たり前」価値観を語っているともいえます。

こわいでしょ?

「比較」はよくないっていうけど、少なくとも1歳~3歳ぐらいまでは、かなり月齢を意識しているので、「比較」するとしたら、同学年ではなくて、同月齢なんですね。

そう。比較をするのは、4月・5月生まれの親なんです。

早生まれの親は、おおらか。できなくて当たり前。これは、してはいけない「比較」ではないです。

「いいんだよ。気にしなくて」

この段階で、比較を有効に使ってしまっています。

子育てにおいて、親の「比較」が重要な意味を持つとすれば、まず、この段階で、4月・5月生まれの子は余計なプレッシャーを背負います。

出来て当然。できなければ、成長がおそい?

ちょっと厄介です。もしかしたら、だからこそ、得意と思った運動能力に自信を持って、その道に進もうとするのかもしれません。

 

教師の立場から、さまざまな月齢の子を預かると考えれば…

 私が一番に思い当たったのはここです。同じクラスに入るこどもなのに、おねえちゃんの場合、1歳になったばかり。弟の場合、2歳直前。

当り前です。だから、「早生まれが不利」論争が起きるわけですよね。

私が実際に、弟が保育園に入ったり、習い事をはじめさせようとして、気が付いたのがここ。

何が言いたいかというと、「もう2歳の子にあれが与えられるの?」ということです。(ちなみにまだ0歳ですけどね)

教師としての立場から考えれば、さまざまな月齢の子を同時に見るとするなら、当然、高いレベルには合わせません。みんながある程度ついてこれるラインを模索するはずです。まして、1歳と2歳ではまったく違うわけで、だからこそ、このクラスには1歳の子に合わせたプログラムが組まれているはずなんです。

うちのおねえちゃんは、ぎりぎり早生まれではない、という生まれですが、保育園のプログラムでついていけない、ということはほとんどなかったと思います。それこそ、トイレトレーニングのようなものを含めて。

そんなうちの子を見ていれば、親の評価は「すごいね。うちのこどもは」となるわけですが、保育園だってプロですから、できることを与えてくれているわけですね。

でも、うちの弟は、もしかしたら物足りないレベルになるんじゃないのか…なんて思っちゃったわけです。

「保育園はそういう場所じゃない!」とおしかりをうけるのかもしれません。でも、たとえば、幼児教室、うちはドラキッズに通わせたんですが、おそらく、おねえちゃんがやったことを1年遅れでやると思うと…

どうしよう、レベルが合うんだろうか…なんて考え始めます。だって、おねえちゃんがちょうど合っているか、あるいは「もしかしたら習う前にうちで先にできてたかも」ぐらいの感じでしたから、1年あとからこれを受けるとなると…

言われてみると、「〇〇くんは上手にできるんだ。でも、4月生まれだからね」なんて話を奥さんから聞いていたわけで、その時は「そうはいっても同じに育ってほしいな」なんて思っていたわけですが、立場を変えて考えてみると、いやどうなんだろう、と思います。

まだね、小学校も学年が進んでいけば、苦手な子に教えてあげる的なこともできて、それはそれですごく貴重な経験になるはずなんですが、幼児ではそうはいきません。

つまり、4月・5月ぐらいの子供は、お手本にされてしまって、どんどん目標にされてしまうけれど、自分が切り開く教育は与えてもらいにくい…ということなんだと思います。

もちろん、保育園や幼稚園の先生はプロですから、それなりに子どもの発達段階に合わせて適切な課題を与えてくれることはよくわかっています。でも、自分も実際に教えているからこそ、家庭教師ではない以上、完全にカスタマイズしているわけでもないこともわかってしまいます。まして、幼児教室的なプログラムになってしまうと、年間の学習計画もあるでしょうし、意外とこれは不利だぞ、と思うようになりました。

 

そして、親は月齢で子どもを比較する。

話はここで終わりません。まだ、小さいこの時期、親や祖父母はやっぱり月齢で比較します。

うちでいえば、弟はおねえちゃんと、月齢で比較されるということです。

歩き出した時期、話し出した時期、おむつが取れた時期、数字が数えられるようになった時期、字が読めるようになった時期…などなど。

確かに、小学校にあがるくらいになったら、月齢は持ち出さないでしょう。でも、今は、学年ではなくて「〇歳」、場合によってはそこに「〇カ月」がついてしまいます。

私の教えてきた結論は、

素質や遺伝がないとはいわないが、ほとんどは環境と経験で決まっている

というもの。

でも、冷静に考えてみると、小学校にあがるくらいまでの大部分は、学年ではなく、年齢で考えていることが多い。

ところが、あるところから、たとえば保育園とか幼児教室とかは「〇歳児クラス」という形で、プログラムが与えられる。年齢に対して、プログラムがより遅く4月・5月生まれの子が与えられている。

これは、教育環境からすれば、スタートが遅れた、ということ。不利以外の何物でもない。早生まれの子の方が完全に有利。

でも、これだって、後々で比べればたいしたことのない差の筈なんです。でもね、親は「比較」するんですよね。

「〇歳なのにすごい」「〇歳になってもできない」…。

これは、与えた期間の差であることが大きいと私は思います。こう考えてきて、特に幼児期においては4月・5月生まれは不利なのではないか、と思い始めました。

 

生まれ月が職業に関係しているとするなら…

というわけで、ここまで、4月・5月生まれがプロ野球選手やサッカー選手になることを私は「有利なこと」としてとらえてきたわけです。いざ、自分に5月生まれの子供ができてみて、違う可能性を考え始めました。

もちろん、「スポーツ選手に育てたい!」価値観の中にいるなら、4月・5月生まれはきっと有利なんでしょう。

でも、もし、そういう価値観を持っていないなら…

もしかしたら、4月・5月生まれの子どもたちは、字を読むとか、数字を覚えるとか、そういう教育環境が遅れて与えられる結果、月齢や年齢に比して、「うちの子はできない」という評価の中を生きているのではないか。その結果、体の成長という、間違いなく早生まれより有利になる部分において、圧倒的に自信を持つのではないか。そうしたネガティヴな選択の結果、自分の得意なスポーツに自信を持つ以外なくなっていくのではないか

という仮説を持つにいたりました。

もしかしたら、特に勉強のできる子どもにしたいとするなら、早生まれほど、ほっといても教育的には恵まれ、4月・5月生まれの子ほど、工夫が必要になるのかもしれません。

というわけで、ドラキッズの検討とともに、ベビーKUMONの検討をはじめた我が家なのでした…。カスタマイズ期待です…。

ちなみに、ですが、うちのもうひとつの習い事の水泳は、初期段階は、月齢と年齢で入会が決まり、あとは年齢関係なくレベル別。大会に出るようになっても、完全に年齢区分で参加大会が決まります。大きいジュニアオリンピックが8月末と3月末ですから、この直前に誕生日を迎える子が若干不利で、直後に誕生日を迎える子が若干有利。でも、年2回ありますからね…。というわけで水泳は、練習あるのみ、です。