学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

言葉を覚えることと早期教育。ここまでの子育てを振り返る。

今日は、言葉を覚えることを考えてみたいと思います。私たちは言葉を通して、世界を見ていますから、そのことと子育ての関係を考えてみます。

現在2歳の娘と6ヶ月の息子の子育て真っ最中です。この1年を振り返ってみると、ちょうど娘が話せるようになったところから始まって、現在にいたっていると考えるとちょっと不思議な気がします。国語の先生として、小難しいことも考えつつ、とりあえずは楽しくこどもと話してきたことを振り返ってみます。

 

 

言葉で世界が作られる~言葉の数で世界は広がる

この前提となるのは、言葉で世界は豊かになるということです。世界は、誰にとっても平等ではない。知っている知識、それは言葉、ということなのですが、人は知っている言葉のところまで行くことができる。想像力が世界の大きさなのです。

www.manebi.tokyo というわけで、ぼくらは、言葉によって世界を見ているわけですから、言葉を獲得することで、そのぶん、世界が広がっていくわけです。そんなことを考えていると、やっぱりできるだけ多くの言葉、語彙を与えてあげたい、ということは結構考えていました。同じモノ・コトでも、違う名称、語彙であるとするなら、違う見え方をしている、ということだと思います。

同じものごとが、違う意味を持つ、というのも、言葉の獲得ゆえですよね。「おかあさん」なのか「ママ」なのかでも印象が違うわけですが、感情をあらわす言葉になってくれば、それは世界の切り取り方の違いにもなっていきます。

それが無意識のうちに、多様性の獲得、いろんな立場があって、いろんな考え方があるんだっていう感覚になればいいな、なんて思っていたわけです。

とはいえ、やったことは難しいことではなく、いろいろな人に会わせて、話してもらうだけ。いろいろな本を読んであげるだけ。

自分の語彙は、自分の世界ですからね。

 

赤ちゃんにどうやって話しかけるか?

これはいろいろな考え方があると思うんですが、うちでは、普通に話していました。

「普通」。わかりにくいですね。

いわゆる赤ちゃん言葉を使わないこと。とはいえ、大人に話すようには話してはいません。子どもに話すようなイメージですね。

「ぶーぶー」とは言わない。「くるま」ですね。「自動車」というのも使いますが、まあ、普通は「くるま」。

「わんわん」とは言わない。「おいぬ」とか「おいぬさん」。確かに「いぬ」も使わなくはない。

「まんま」も使わない。「ごはん」ですね。

こんな感じ。これはある種の意図によって行いました。

おそらく、言葉を覚え直すのが大変なんじゃないか。おそらく、言葉を覚えるのにたいした差はないのではないか。おそらく、言葉を多く与えればそのぶん多く覚えるんじゃないか。

そんな推測です。とにかくも、言葉を多く獲得することが、世界を豊かにすることなんだから、まずは言葉を多く与えるのが大切なんだ、というそういうことだと思います。

 

実際にどういう風に言葉を獲得したか?

この結果、どうだったのか?因果関係はまったくわかりません。何がよくて、何がどうだったのか?それ以外の要素があるのか?まったく実証できませんが、それが実際どうだったかは振り返っておきます。

話し出すのは心配するくらい遅かった。

まず、何回か書いていると思いますが、話し出すのはとても遅かった。ハイハイ、立つ、歩くなどの身体的なことはおそらく平均より全部早いぐらい感じだったのですが、話すことにかけては、とにかく遅い。

「ひよこクラブ」とかで、成長を追っていく企画とかあるじゃないですか?とにかく言葉に関わることが遅かった。

2歳になった頃にようやく言葉を発した、というのがおそらくあっていると思います。

これは、ですね。振り返ると、与えた言葉がいえるようなものではなかったせいかなと。何かの本で読んだのですが、「マ」とか「パ」とかが言いやすい言葉で、だから、「ママ」とか「まんま」とか、大事な言葉がマなんだなと本当に思いました。

うちは「おか」とか「ごはん」ですから、やっぱり言いにくいんでしょうね。「ぶー」とかも言いやすいけど、「くるま」なんて言えるわけがない。

よくわかりました。

やっぱり、子どもが言いやすいものが、子どもが使う言葉になっているんだな、とあらためて思いました。

で、2歳になったら、とてつもなくしゃべった。

その結果ですが、おそらく2歳になった瞬間にものすごくしゃべり出しました。語彙をためこんでいたんでしょうか。このギャップなのかもしれませんが、すごくしゃべったように感じました。

ここに因果関係があるかどうかはわかりません。赤ちゃん言葉を使わなければ、語彙が増える、ということはおそらく関係ないと思います。

というか、そもそも個人差かもしれないし。

まあ、あんまり心配しなくても、子どもはきちんと言葉を覚えて話し出すと言うことでしょうね。

 

「絵本の読み聞かせ」から、「お話の読み聞かせ」へ

 さて、言葉を覚えてから、話し出してから、ちょうど一年が過ぎようとしています。この間に、絵本を読むということができるようになりました。

絵本自体は、言葉を話し出す前から読んでいました。

最初の頃に喜んで読んでいたのは、

とか、

とか

とかですね。このあたりの読み聞かせは確かにしてました。で、そこから、実際に絵を見ながらお話を聞くようになったのは、たぶん、話し出したあたりからだと思います。その前に、すでに、聞くだけの段階としてはわかっていたんでしょうけど。

笑ったりするし。

そこからの話は、

www.manebi.tokyo

 このあたりで、まとめました。本を読む、言葉と絵が対象されていく、という形になっていったと思います。

そうなってくると、次の段階として、絵がなくてもお話が聞ける、というような状態になってきました。

もちろん、条件は、彼女が知っているような単語である、ということが必須です。でも、要は絵がなくても、知っている話をおもしろがって聞けるようになります。

「想像力」ですね。

言い換えれば「言葉」を獲得したということです。

今や、意味はいまいちフメイですが、自分でお話を作って語れるようになりました。

 

「言葉を覚えるということ」と早期教育

これが言語を獲得することだとすると、確かに彼女は言語を獲得してきたわけですね。

ぼくらが「大人」の言葉を使ったとしても、それが抽象的概念でない限りは、彼女にとっては、決して差がないのだということはよくわかりました。

イヌとネコが簡単で、キリンミノやナンヨウハギがマニアックという区別は彼女にはありません。もちろん、「発音」しやすいかどうかは、初期段階においてはだいぶ重要そうですが、いったん話せるようになれば、大きな差ではない、ということです。

だからこそ、子どもなのに、マニアックなことをすらすらと覚える、一見すると天才児が現れるわけですね。でも、それは普通人が、あるいは大人が興味を持たないようなことに興味を持って、覚えているだけの話で、こどもからすれば、ごく普通のことのような気がします。

ポケモンの名前や特徴を覚えていると、すごいけどこどもなら覚えるよね、という話になるわけですが、古典的な名作を暗唱していれば、すごい、天才だ、となるわけです。

というわけで「早期教育」。

子どものうちから、百人一首を覚えたり、論語を覚えたり、というようなことは果たしてどういう意味を持つのか、ということですね。

まず、意味がわかるか、といえば、意味はわからないでしょうね。抽象的な概念は、まず、先に言葉を覚えて、その言葉に合わせて意味を獲得していくわけですから、たぶん、意味がわかるためには、意味がわかるような年齢を待たなければいけません。「じゅうゆうごにしてがくをこころざす」と言えたとしても、「学問」「志す」、そして「学問を志す」という感じまでわかる年齢にならないと、たぶん意味はないです。

でも、覚えておけば、そういう言葉を使って世界を見る可能性が出てくる。その方向では意味があります。

もうひとつ、思うのは、「すごい!」って言われること。これって結構な自信になりますから、これだけのために覚えるのも意味があります。

でも、思いつくのは、これくらい。

仮に覚えたとしても、小学校に入る頃に、忘れてしまう、それはもっというと、使う機会がなくなってしまうと、ほとんど意味がないような気がします。まして、こどもがやりたくないなら、無理に与えてもしかたがない。

だから、保育園あたりで、楽しく取り組めていれば最高ですが、そうでないなら、覚える必要はないと思います。

ただ、与えることは大事。子どもは与えるものは覚える可能性があるけれど、与えていないものは決して覚えません。

名作を読んであげるとか、唱歌を聞かせるとか、別に覚えなくてもいいけど、ただ与えるっていうのは大事なことのような気がします。

 

言葉のレベルを分類すると…

そうやって、子どもが使うレベルの言葉を分類すると、次のようになるのかなと思います。

1 日常的に使い続ける語彙

自分が使う言葉ですね。自分の気持ちや状況を表現する言葉が少なすぎるとこれは非常に苦労することになります。

2 日常的に自分は使わないが、耳にする、目にすることが多い語彙

自分では使わないけれど、大人や違う環境の人などが普通に使うので理解できないとコミュニケーションに支障が出てしまう語彙。だからこそ、多くの人と合わせて、いろんな語彙を持っている人と話す必要があります。ここから、おそらく上の日常的な語彙が増えていくはずです。

3 日常的には目にも耳にもしないが、何とか意味がわかる語彙

話し言葉と書き言葉で表現が違ったり、専門的な分野では当然のように出てくる語彙。国語力なんて、試験ベースで言われるのはこのあたりの語彙でしょう。ちょっと難しい本になると出てくるけど、日常会話では、どんなに大人と話しても出てこない。でも、大人になっていくと仕事や学問をはじめとして、こういう語彙も必要になっていきますよね。もちろん、すでに失ってしまった古典的語彙もここでしょう。昔あったもの、昔あったこと、なども語彙としては普段は使わなくなっていきます。

4 日常的に使わず、見てもほとんど意味がわからない語彙

これが古典や専門性のある語彙で、「わからない」という部分。

こうしてみるとわかると思いますが、2とか3とかの語彙をどれだけ増やせるかが、いわゆる学力やコミュニケーション力に影響していきます。

できるだけたくさんの人と話すことで、2の語彙は増えますが、抽象的語彙は書き言葉だけに存在することも多いですから、どうしても、読書とか読み聞かせ、というものが必要になっていくわけですね。

というわけで、今の私は娘に「雨ニモマケズ」を暗唱させること。えっ、早期教育は意味がないって言ってたって?違いますよ。私は、雨ニモマケズを読んでいるだけです。つぶやいているだけです。その語彙を彼女に聞かせるだけ。

だから「覚えよう」とか「覚えた?」とか「言ってごらん」とかやりません。不思議なもので、勝手に言い出すんですね。そうすると、褒められる。で調子に乗る。

いまのところは、こんなやり方で進めています。次は古典にしようかな。