学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

入試結果がふるわなかった人へ。滑り止めを蹴って浪人するのか?それとも進学するのか?

国公立の前期試験が終わりました。入試が終わってしまえば進学先を検討しなければいけません。今日は浪人するのか、進学するのかを考える視点を検討します。

入試が終わってしまうと、残酷なもので進路が明確にわかれていきます。第一志望やある程度の志望に合格した人はおそらくその中から進学先を検討します。残念ながら、全部ダメだった人は、次年度の受験を考えるしかない状況になるかと思います。そして、いわゆる滑り止めに合格したものの、進学するかしないか悩んでいる人もいるかと思います。今日はそういうことを考えてみます。

 

まずは最後まで全力で入試に挑もう!

さて、現在は、前期入試を受け終わって、発表を待つばかりですね。この段階で、自分にとってもし不本意な結果であるとするなら、その中で最善を尽くしてください。

これはとても大事なことです。

進学するにしても、そうでないにしても、まずは最後まであがくこと。

その経験がとにかく大事です。

大学入試なんて、今はそう思えないかもしれませんが、通過点にすぎません。

社会人になって仕事をするようになったら、出身校で判断なんかしません。

大学名はたしかに就職活動に影響するかもしれませんから、それ以上に重要なのは大学に入ってからのあなたの経験ですから、経験より大学名が左右するなんてことはありません。

浪人したとき、している時はつらいですが、実際に大学に入ってしまえば、そんなことはいつまでもあなたの頭の中に残っていません。

もっと現実的な話をすると、今はまわりからどう思われるだろうと心配しているかもしれませんが、だれもあなたの大学名なんてきちんと覚えている人はいません。

大事なのは、どこに受かったか、ではなく、これからどういう人生を歩むか、です。

だから、まだ後期入試をはじめ、私立にこれから出願できるところがあるなら、最後まであがきましょう。それが努力というものですし、その経験が、特に浪人する場合には必ず生きることになります。仮に進学するにしても、その挑戦がムダに終わるにしても、大人になってわかることは、何かを得た結果ではなく、自分が忘れ去っているような経験が、常にその時の自分を作っているということです。

だから、苦しくてもまずは最後まで戦ってみましょう。

「浪人を選択する理由」~不本意入学は避けたい…

どうして、浪人を選択したいかといえば、一言でいうなら、目標が達成されていないからです。もっと突き進めていうなら、合格した学校に進学したくないから、ということでしょう。

こういうのを「不本意入学」と言います。ちょっとした大学名ならともかく、学部学科が違う、やりたいことが違う、などということだと大きな問題です。医者になろうと思うなら、医学部に行くしかない。医学部以外に進学すれば、医者にはなれません。どこかでやはり受け直すしかない。

私の大学の先輩に、卒業後商社に勤めたはずなのに、友人の結婚式で再会したときに、医学部に進学している方がいました。聞いてみると、もともと医者になりたかったけれど、数学ができなかったので、学校の先生に言われて文系に進んだのだそうです。そして、卒業し、就職したけれど、やはり、最初の夢があきらめきれず、進路変更した…と。

もちろん、このエピソードは、人生はいくらでもやり直しがきく、ということでもあるし、また、そういう経験も医者になるための重要なステップという話でもあるんですが、最初に浪人してでも、あきらめずに医学部を狙うべきだったのではないか、という反省の話でもあります。

たとえば、大学に進学して、講義を受けているうちにやっぱり合わない、なんてことになってくると、当然、進学に投じた費用も無駄になることになります。したがって、まずは、「納得」することが大事。

それが、仮に少しでもよい偏差値の大学に進学するという程度のことであったとしても、自分自身がしっかり納得していないなら、「浪人」ということは選択としてはありうるのかもしれません。

 

「進学を選択する理由」~浪人はつらい。来年はもっと厳しい入試に…

しかし、それは果たして理由として正しいかどうかはよく考えましょう。確かに、医学部に行かなければ医者にはなれませんが、あきらめなければ必ず医学部に行けるわけではありません。

王貞治さんの名言は「努力は必ず報われる」というものですが、そのあとに「報われない努力があるのならそれは努力とは呼ばない」と続きます。

つまり、今年一年のあなたは努力していなかったのです。このぐらいの覚悟をあなたは持つことができるでしょうか。

「あきらめなければ必ず夢はかなう」という類の言葉も同じです。あきらめない状態、努力する状態、しかも報われない状態を、夢がかなうまで続けられるかどうか。そこが、結果を出す人と出さない人の違いです。

そして、あきらめることは決して悪いことではありません。だって、あこがれの芸能人と付き合いたいと思って、ほかの人には見向きもしないで、一生をおくるってどうでしょう?

スポーツで考えればわかりますが、結果を出すために努力することは大事ですが、結果がでなかったからといって、努力を否定する必要はありません。王さんは、そうやって結果に向かい続けるわけですが、そんなすごい選手でも引退することも、結果が出ないこともあるし、それを受け入れたからといって、それまでの努力が否定されるわけではないんですから。

来年の入試を予想すると…空前の安全志向となる!

しかも、来年は、共通テストの1年前です。少子化傾向は続きますから全体が難化することはありえないんですが、今年同様の厳しい入試は、定員厳格化が継続する以上、間違いありません。そこに加えて、「浪人したら、制度が変わる。浪人したくない…」という動きが、過去のケースから考えると必ず働き、いわゆる滑り止めレベルでは厳しくなる可能性があります。これは裏側でいえば、難関校が緩くなる可能性を示唆しているんですが、「早稲田受かって東大を受ける」というようなケースならチャンスですが、「日東駒専受かって早稲田を目指す」というあたりだと、非常に厳しい入試となる可能性もあります。そこに自ら飛び込むのか、というのは考えないといけません。

何より、浪人はつらい

そして、浪人はつらいもの。今は、「〇〇大学はいやだ」と思っていたとしても、来年になると「二浪だけはいやだ!」となる可能性が高いです。実際に学校で指導していても、現役のときには「〇〇大学以下には進学しないので受けません」と言っていた生徒が、浪人すると、ほぼ全員がそれ以下の大学をいくつも併願しています。

おかしな話です。普通に考えれば、「現役なら〇〇大学でもいいけど、浪人するならもっと上に行きたい」となるはずなのに、「現役では〇〇大学は行かないので受けません。でも浪人したら背に腹はかえられないので行きます」ということですよね?

そのぐらい、浪人はつらいんです。というか、このつらさは、努力するつらさでなく、「先の見えないつらさ」です。だから、どんなにあなたが、浪人しても努力する気にならず、だらだらしていても、「先の見えないつらさ」はやってくるんです。

本当につらいですよ。だからこそ、浪人すると強くなるというか、成長するともいえるんですけど…。

 

「進学を選択する」条件と心構え

ということになると、「進学する」ということをもう一度検討することになりますね。

もう一度、「進学する」ことのデメリットを考えてみましょう。それは「不本意入学」であるということです。ですから、「進学する」以上、「不本意」であってはいけないのです。

もちろん、今すぐは無理かもしれません。でも、自分が進む大学やそこに通う友人を悪く思っているようでは、失礼ですし、その後の生活がうまくいくはずはありません。そして何より、あなたはそれ以上のところに進学できなかったのですから、その大学に通う友人から見れば、それがあなた、ということになります。

私はよく、人生とは、ディナーの食後に運ばれてくるケーキを選ぶようなもの、という表現をします。毎日、そんな素敵なディナーを食べる人はともかく、私たちはめったにない最高のディナーで、最高のデザートを選びたいわけです。でも、ひとつしか選べない。あれも、これもよさそうに見えるけれど、選ぶのはひとつです。

だから、いろいろと調べたり、周りを観察したり、自分の過去の行動を振り返ったり、いろいろなことをするかもしれません。

で、なんとか選ぶ。でも、その選んだものが最高であるかどうかは、ひとつしか選べない以上わからない。もしかしたら、自分の選んだケーキにイチゴだけ中が空洞かもしれないし、今日にかぎってシェフが分量を間違えているかもしれない。

でも、選んだ以上、もう取り返しがつかない。わたしたちにできることは、そのケーキをおいしい、いいものを選んだと思うこと。そういう努力が必要なんです。

自分が選んだものがベストでないかもしれないのは百も承知で、選んだものを認める必要があるんです。

他の人をうらやむかぎり、あなたは幸せにはなれません。それでもどうしても、自分の選択が失敗だったと思うときは、その経験を糧に、次の選択に備えること。今日の経験によって、次の経験が生きるのです。

ただ、不満に思って不平に思っているだけではだめで、失敗を繰り返さないように分析し、行動しなければいけません。

ほとんどの生徒は、行った先の大学を「いい大学」と思ってくれています。素晴らしいことです。そこに行ったから、その友達と出会えたし、その経験ができた。そう思えるに違いないし、思うはずなんです。

だから、周りのことなど気にしないで、自分が自分の人生をポジティヴに作ることを願います。

 

「浪人を選択する」条件と心構え

もちろん、「浪人をする」ということも悪いことではありません。もしかしたら「浪人する」しかない場合もありますし。

そもそも、自分の夢に向かって努力することは素晴らしいことです。あきらめずに挑むということがどれほど大変なことかをわかっているなら、それはあなたを成長させるにちがいありません。

だからこそ、私は心構えとしてふたつのチェックをしてほしいと思います。

来年、同じ結果であったとしても、成長した自分として評価できるか?

来年は特に厳しい入試を予想します。GMARCH、日東駒専あたりが不合格で浪人するとしたら、来年はさらに厳しくなるかもしれません。

その予想がはずれてやや易化するとしても、今年合格した学校に受かるかさえ保証はありませんし、まして第一志望校に合格する保証はありません。

1年がんばっても、自分の目標は達成できないかもしれないし、今年と同じ大学にしか行けないかもしれません。

それでも、もし、あなたが歯をくいしばってがんばったなら、そのあなたと今のあなたは同じではありません。成長したあなたのはずです。これを認められないなら、スポーツでも、音楽でも、結果が出なければ、負けてしまえば、まったく価値はないというのと一緒。目標に向かって努力した経験があなたを作るなら、それでもあなたは成長しています。

浪人して同じ大学にしか行けなかったとしても、自分は成長している。この1年は自分にとって意味があった。

そう思えますか?

本当に意味はあるはずなんです。あなたがきちんと戦ったなら。結果は出なかったとしても。

もし結果が出なかったとき、これからの1年をムダだと思うなら、意味がないと思うなら、浪人はしない方がいいです。

もちろん、失敗すれば悔いもあるでしょうし、嘆きもあるでしょう。それでも、がんばった自分、成長した自分を見なければいけません。もし、そう思えないなら、今、進学を選びましょう。

今の自分が失敗した現実を受け止め、今ここで変わることができるか?

1年経ったあなたは成長している、と書きました。それは目標に向けてあがいた場合です。ただ浪人してもつらい。でも、ただ浪人するだけで、成長するとはとても思えません。

今のあなたは、努力してきたのですか?いえ、努力をしていません。報われない努力を努力とはよばないのです。その厳しさが、あなたを鍛えるのです。

あなたに結果が出なかったのは、あなたに何かが足りなかったからです。もし、これまでの自分をがんばったと評価して、同じように頑張るなら、おそらくあまりよい結果は出ないでしょう。

何かは変えなければいけない。

学習量なのか。

目標意識なのか。

学習の方法なのか。

メンタルなのか。

何かが問題で、何かが足りなかったから、こういう結果になったのです。

変わること。

少なくとも、今と同じようにがんばれば、来年は…となるようなことではないでしょう。それを変えるから、「成長」と呼ぶんですね。

その覚悟、今の自分の甘さを見つめる覚悟がなければ、浪人してもいい結果はでないでしょう。

 

浪人しますか?進学しますか?

というわけで、浪人するか、進学するか、という話でした。

どちらを選ぶのも正解、自分の人生です。どちらにいっても一抹の悔いはあるかもしれないし、どちらにいってもいいこともあるでしょう。人生は一度だけですから、「そうしなかったらどうなるのか」は誰にもわかりません。

だからこそ、自分が自分の人生に対して責任をとっていくしかないし、自分が納得できればいいんです。もちろん、それを支えてくれる人への感謝は必要ですが、周りがどう思うかというような視点は忘れていいと思います。

どちらを選択するにしても、きっと苦しいこともあるし、楽しいこともあります。選ぶ以上、自分が選んだケーキはおいしいと思えるような、そんな1年を送ってほしいと思います。