ここのところ、自分の生徒が切羽詰まってきているために、こちらのブログも、国語のブログもどちらも、大学受験ベースで進んでおります。
もともとは中学受験を含めて、「子育て」や「子どもの自立」、「学び」そのものを書いていきたいわけで、書きたい部分がありながら、目先のものを優先しているような感じです。
というわけで、今日は保護者向けに「子育ての心構え」について、少し触れておきたいと思います。
- 目標は子どもの自立
- 子どもから親の問題を切り離す?
- 現代社会の風潮~個人としての人生
- 「成功」ばかりが本になる。うまくいかないことが普通
- 「失敗」するためにはチャレンジ。チャレンジのためには「愛」。
- 親から、兄・姉へ。小学生までは「親」で大丈夫。
- 言うべきか言わないべきか…親の気のすむように
- 中学生以降は、母親は「逆接」の使い方
- 父親は「軽い場」を演出
目標は子どもの自立
このブログも、「学び方を学ぶ」というコンセプトで書いていますが、大きな目標は、子どもの自立であるはずです。
子どもが、自らの力で世界を切り開いていくこと。
この間の女子学生の就活の話、AIの話もそういうこと。
そういう意味で言えば、教育は壮大なパラドクスですね。自立のために、あれこれと大人が口を出す‥。口を出さないで放っておくのがいいかもしれませんが、それでは教育の放棄ですし、だからといって、あれこれと手を出しては、子どもは育たない‥
その意味では、そもそもすごい難しいことをやろうとしているんですね。だから、そう簡単にうまくいくはずがない。
強いていうなら、どっちに転んだらうまくいくかといえば、放っておくほうがいいと思うぐらいです。
大学受験に向けた親の関わり方なんですが、次の4つで説明しています。
- 親が知っていて、口を出す。
- 親が知っていて、口を出さない。
- 親が知らないのに、口を出す。
- 親が知らなくて、口を出さない。
成功率はどうなると思いますか?
- 成功率20%程度。いくら正しくても、大学受験ともなると、介入のしすぎはあまりよくない。最後は自分、といことですね。
- 成功率80%。もちろん、口を出さない、といっても、基本は子どもに任せて、要所要所でポイントをおさえるということ。これができれば苦労しない。教員でも難しいです。
- 成功率ほぼなし。当たり前です。間違った方向に導くか、混乱させるか。でも、今の大学受験状況とか、仕組みとか、本当に知ってます?
- 成功率50%。子どもしだい、ということ。
まあ、もちろん2を目指したいけど、無理でしょう。だったら、次は、「子どもに任せる」ことですね。また、これが難しいんですけど。
要は、「子どもの人生」ってことです。大学受験ぐらいをめどに、「あとはあんたの人生でしょ!」ってこっちが思えるかどうかがひとつの目標ですね。
子どもから親の問題を切り離す?
そうなってくると、アドラー心理学ではありませんが、子どもと親の課題の分離、みたいなことがもてはやされるわけです。
そりゃ、正しいですよ。
そこに目標がありますから。自立ですよね。
でも、それを「目標」ととらえている一般人には、「課題の分離」みたいなことを当然のように書かれても、勉強にはなっても、実際にはそうなっていない自分を見つめて途方に暮れてしまいます。特にこどもが小さいときはそうではないでしょうか。
ちなみに私の教育実践は、アドラーにすごく近くて、だから否定していません。
言いたいのは、「難しい」ということ。あくまでも「理想」であって、それを正しいとも見始めると、窮屈だということです。
「理想」は追いたいですけど、「理想」と比較して、苦しむのはばかばかしいということです。
現代社会の風潮~個人としての人生
もうひとつ、大きな問題点は「個人」を尊重する価値観の蔓延です。急に現代文風になってしまいますが、「個人」を尊重しない、なんてことはもはやありえないですね。そうなると、子どもさえ、「個人」を生きるための、邪魔になったりしかねません。
たとえば、結婚して子どもができても、「個人」のやりがいを求めるわけですよね?そうなれば、保育所や介護施設のように、行政や国に、「個人」として生きるための補填を求める‥
これも別に間違っているわけではありません。
みんなが自分のやりたいことを自由にできるように、行政や国がどんどん役割を拡大していく。ぼくらは、そのことで自分の時間を確保し、ネガティブにいえば社会には税金で関わって直接何かをする手間を減らす‥いわゆる大きな政府。
逆に、できるだけ社会の中に、直接参加して、子育てや介護や福祉を、自分たちの手で行っていく‥小さな政府
結局、どっちかしかないわけですし。
話を戻します。
こうした、「個人のやりがいは尊重されて当然」という風潮の中で、親が子どもに関わっていくことがまるで、あまりよくないことのように解釈されていくわけですね。だから、今までの反対の言い方になりますが、「かかわることが悪」のようになっていくために、どうかかわるか、が聞きにくい状況が生まれていると思います。
加えて、社会全体が、個人を尊重するために、親の親は、当然こどもの家庭にはふみこみにくい。もちろん踏み込んでくることはあっても、まさに「口だけ出す」という感じのかかわり方になりやすい。
そして、地域社会も首都圏では崩壊状態ですから、周りの助言や様子を知ることは非常に難しい状況になっているわけです。
「成功」ばかりが本になる。うまくいかないことが普通
というわけで、親は孤立します。
子育てをどうしていいかわからないわけですね。
そうなるとどうするか。
本を頼るしかないんです。雑誌やメディアを頼って、子育てに向き合おうとしはじめます。
ところが、ここにも落とし穴がありまして、こうしたところでとりあげられるものは、ほとんど、「成功」ばっかり。無意識のうちに、うまくいくための方法がある、そして、私はその方法を知らない、という刷り込みがされているように感じます。
本当は、周りに「普通」が転がっていて、同じようにうまくいかなかった「普通」の親がいて、「そんなの当たり前よ」みたいなことがわかるはずなんですが、どうしても「成功」と比べるんです。
成功がある、あるいは失敗が書いてあったとしても、対極として「成功する方法がある」。
ないですよ。
あったとしても、環境や子どもの個性で変わりますから。いろんな偶然があってそうなるんですから。
もちろん、工夫したり、うんうんと考えたり、悩んだり、何か正しいことに近づきたいということを否定するわけではなくて、その中でなんとかしてくものですが、「こうすればこうなる」なんてことはない。
それが人生。
だから、子育てだって正解はないし、やり直したってうまくいくとは限らない。
うすうす気が付いてますよね?
中学生から高校生ぐらいの男子になると、
- よく寝る
- しゃべらない
- くさい
- 大きい
みたいな感じになるもんです。最近は反抗期の来ない男子も多いので、「しゃべらない」は「しゃべる」「報告する」に変わっている子も多いでしょうが、それが普通。
そういう普通を、共有する感覚がなくなっているのがたぶん困ったことだと思います。
「失敗」するためにはチャレンジ。チャレンジのためには「愛」。
というわけで、「成功」なんてないんだ。と思ってもらうといいんです。
ていうか、人生なんて何が成功かよくわからないですよね。
チャレンジして、失敗して、立ち直る…。そういう挫折の体験が、人間を豊かにするわけです。
だから、保護者へのアドバイスがあるとするなら、「どうせ子どもの人生なんだから口なんか出さなくていいんです」ということになりますね。
でも、そんなこというと、愛情たっぷりのご家庭からすると、とても難しい課題に聞こえるかもしれません。「なんとかしたい。口ださずにいられない」と考えるご家庭からすれば、放っとくくらい難しいことはない。
でも、子どもがチャレンジするには、愛情が大切なんです。帰る場所、安全地帯、無条件で愛される場所があるから、チャレンジできる…。だから「口を出さずにいられない。」というあなたも正常です。
要するに、親のあなたが、自分のやっていることを肯定できるかどうかが結構大事。
子どもが失敗したって、「子どもにとっていい経験」
子どもに愛情を注いだって「親なんだから当たり前」
要は、どこかにある誰かの成功と比べて、自分を卑下しないことが大切です。
親から、兄・姉へ。小学生までは「親」で大丈夫。
強いて言うなら子どもの成長に合わせて、親から兄や姉になる感覚が大事です。兄弟姉妹がいる人ならわかると思いますが、お兄ちゃん、お姉ちゃんが勉強教えてると、どこかで「もう教えてやらない!」みたいになりますよね?
「もういいよ、勝手にしなよ」みたいな感じ。あれが大事です。
でも、たぶん将来本当に困ったら手を貸しますよね?あのぐらいの距離感になりたいものです。
感覚的には、小学生のころは、多少手をかけても仕方がないかもしれません。危ないし。何もわからないし。先のことを考えられないし。
でも、中学生ぐらいから、失敗させる、困らせる、という経験がないとまずいでしょう。高校生ぐらいになると下手をすると、親の話を聞かなくなってきますから、中学生ぐらいで、自分でやって失敗する、自分でやってうまくいかない経験をしておかないと、高校では間に合わない可能性が結構あります。
言うべきか言わないべきか…親の気のすむように
中学生以上の子どもに言った方がいいのか、言わない方がいいのか…というのもよくされる質問です。
私は、どっちでも親の気のすむようにした方がいいと思います。たぶん、子どもにはどっちでも同じです。
言う‥「今やろうと思ったのに、そう言われるからやる気をなくす」「うるさい」「好きにやらせてほしい」
言わない‥「言いたいことがあるなら、言ってほしい」「どうせぼくなんかどうでもいいんでしょ?」
要は文句を言いたいので、どっちでも同じです。だから、親が楽な方がいいです。
でも、だめなパターンがひとつだけあります。
- 子どもに好きにやらせるべきだから「あなたの好きにしなさい」要は子どもに任せる。
- いつの間にか大変な事態になっている。あるいは常識的に考えてあり得ない結論を導き出している。
- これは大変だ。「お母さんの言う通りにしなさい」
これは最悪。
この場合は、2で失敗しても、責任を取らせる覚悟が必要です。
そうでないなら、最初に、
「自分の考えを伝える」
というのを入れるべきです。そうしないとまずい。
中学生以降は、母親は「逆接」の使い方
言うとする中で、大事なのは、逆接の使い方です。
逆接の後が主張です。
「あなたはいい人だけどつきあえない」
ふられてますね。
「あなたとはつきあえない。でもいい人だね」
うわ、未練が残りますね。
「ごめんなさい。でも、ぼくだけじゃなくてみんなやってます」
言い訳ですね。
「ぼくだけじゃなくて、みんなやってます。でも、ごめんなさい」
なんか、気にするな、って感じですね。
というわけで、世の母親はこれが逆になっていることが多い。
「お母さんはあなたの好きにすればいいと思うのよ。でもね…」という感じ。
逆にしましょう。
「お母さんは〇〇と思うの。だって〇〇でしょう。〇〇でしょう。だから〇〇でしょう。…でもね、あなたの人生なんだから好きにしなさい」
です。これで伝わります。
あと、「去る」のも大事。同じ場所にいると、また「でもね」が始まりますから。
父親は「軽い場」を演出
お父さんは、お母さんに比べると「正しい」ことが多い。ごめんなさい。「論理的」といってもいいのですが、お母さんを否定しているわけじゃないし、こんなのは全体的傾向で、みんなのことを指しているわけではないんです。だから、許してほしいところです。自分はこっちだと思うならお母さんにこっちを参考にしてもらう必要があるというそれだけの話です。
男親の方が、つめすぎる傾向があります。正しいんですが、論理的なんですが、子どもからすると、
「わかってるけど、できないの!」という感じ。
だから、できるだけアドバイスするときに向かい合って座らない、みたいな演出がほしいところ。
たとえば、遊びにいった帰り、電車で横にならんで。
たとえば、食事の帰り、車を運転しながら。
たとえば、自分はテレビの画面をみつめながら、子どもは後ろで別のことをやっていて。
などなど。
というわけで、今日は、そんな話でした。