夏休みも完全に終わったことでしょう。
ちょっと気になるニュース「就活で女子が苦戦する」を見たので、今日は軽くこちらから。
就活で女子が苦戦する…なんていうのは、この間の医大の女子差別の問題にもつながってきますが、現状、やっぱり男性か女性かで、判断することがほとんどだっていうことのようですね。学校の教員で考えると、まったく男女による能力差、なんていうのはいらないですし、女子生徒の声を聞くには女性教員が必要ですから、むしろ一定数、できれば半数ぐらいいてもらわないと困る、という感覚だと思います。もちろん、個人的な感覚なので、実際の採用となるとそんな風には行われていないのかもしれませんね。
さて、話を戻しまして、その理由としてあげられていることがだいぶ問題ですね。
AIの導入で職業がなくなっていく…という話
AIの話にからめて、「20××年に今ある職業の××%がなくなる」なんていう脅迫めいた話がよく出てきます。うちの学校の説明会でも使っている話です。嘘でもないし、大切なことだし、間違っているわけでもないんですが、本質的には、いつの世でも同じ話ではあると思うんです。
新見南吉の「おじいさんのランプ」(読みたい人はこちらから。新美南吉 おじいさんのランプ)じゃないですが、ひとつの技術が出来上がれば、それまでの技術は消えていく、というのは当たり前の話です。
この話の中では、電燈にランプがとって代わられるわけですが、そんなものは今までもいっぱいあったわけです。
フィルムのカメラはデジタルカメラに。そしてそのカメラの多くはスマートフォンに。
カセットテープとレコードはCDとMDに。そしてそれはネット配信に。
電話は携帯電話に、そしてスマートフォンに。
スマートフォンができれば、アプリというものが生まれ、いつの間にやら、テレビゲームはスマホが中心のゲームに置き換えられるわけです。
大学入学直後にバブル崩壊した世代の私は、小学校でゲームボーイ、ファミコンが誕生し、小学校か中学校でウォークマンが生まれ、高校でCDが生まれ、大学でワープロが生まれ、卒業するとポケベルがはやり、そしてウィンドウズ95とともにネットが生まれました。花形で人気企業だった都市銀行や証券会社はつぶれてみたり、合併したり…流通も人気で当時はヨーカドーとダイエーがツートップ。それがコンビニに負けるなんて思ってもみなかったし、就職段階ではITなんて言葉も、携帯電話もスマホもなかったわけで、つまり、ないものばかりが今のほとんどです。
それを作り出したのはだれかといえば、当然、そんなことを知らない誰かが、生み出していくわけで、いつの世でも、求められるのは、切り開く人材。未知の世界を生み出す人材。
ベンチャーじゃなくても、大手企業でも、何かを切り開けるかどうかが、大きな差になるわけですね。
「だから、AIってそんなに騒ぐ話じゃない。でも、いつの世でも大事な話で、だからこそ、別に間違った話をしているわけではない。むしろ、その大切さをわかってもらういい具体例だ。」
というのが、学校説明会でAIを使って脅迫(?)している私の感覚でした。
業務の効率化が進むと一般職がなくなる?
ところがです。
この記事。
業務の効率化を進めると、一般職がなくなる、とくるわけです。
「職業がなくなる」ではなく、「一般職がなくなる」。
おりしも最低賃金の底上げという方針が示されている中、です。最低賃金をひきあげるというのは悪い話ではないに決まっているのですが、そうなれば、当然、そこでかかるコストと機械化するコスト、海外へ仕事を回すコストなどと比較されて、人減らしをする可能性がある、というのが現実の難しいところ。
ワークシェアという言葉がありますが、これは簡単に言えば、全体の人件費を一定にしたまま、雇用を増やして仕事をわけあうということですから、当然、1人当たりの給料は減るわけです。もちろん、仕事も減りますからプライベートの時間は増えるはずです。
だから、ワークシェア賛成、最低賃金の引き上げ賛成、というのは気持ちとしてはわかりますが、本当は矛盾しているともいえますよね。経済系の小論文がある人は、このあたり、ちゃんと理解しましょうね。
戻ります。
そうなんです。減らすのは一般職。事務職といってもいいかもしれない。決して事務職をけなすわけではありません。事務職にもクリエイティビティがあることは私もよくわかっていますから。
でも、「言われたことをやる」「機械的な作業をする」「誰にでもできることをする」だとすると、よっぽど機械の方が正確でかつお金もかからない、なんてことになってしまうわけです。
ここで、「女子学生が苦戦」というのは、問題以外の何物でもないんですが、一般職を減らす、というのは企業努力として当然の方向かもしれないですよね。ワークシェアの方向に行かないとするならば。
就職活動を勝ち抜くために
そうなってくると、企業は、まさに「未知の世界を切り開く人材」を求めることになります。
あなたはそうか、そうでないか。
私たちは何のために教育をしているのか、というのは難しい問題ですが、もし、社会で活躍する人材、とか、きちんと就職させる、とか、そんなことが目的にあるとするなら、
「言われたことをきちんとこなす」
ということでなく、
「未知の状況を自ら考え切り開く」
に変える必要があるということです。
もちろん、多様性はここにもあります。いろいろな切り開き方があるわけで、アイディア、具現化、人間関係、物、言葉、芸術、感性などなど、切り口はさまざま。
でも、とにかく言われたからやる。効率のいいやり方を教わってそれをやる。
ということでは、いけないのだと思うわけです。
教育と入試はどう変わる?
現場の先生がどこまでこうしたことを考えて、教育をしているかはあやしいかもしれません。
いつか、「ただ知識を教えるだけなら、ネット配信で十分。ネット教材で十分。だから、先生もリストラしましょう」とでもならない限り、先生方も気が付かないかもしれません。
ただ、入試はきちんと変わってきている気がします。そして、入試が変わると、教育が変わる、というのが悲しい日本の現実。(本当は逆じゃないと恰好悪いと思います。)
- 推薦入試の枠が増えます。
- ポートフォリオが運用されます。
- 調査書の重視に方向転換します。
- 思考力重視の新傾向の出題がされます。
どれをとっても、こうした方向の中の流れであることは間違いありません。
いつの時代でも変わらない…と実は思っていたし、そう語っていたのですが、もしかしたら、それ以上に、AIの登場は大きな「差」を作るものになっていくのかもしれないと思ったのでした。