学びの真似び(まねび) 「学び続ける人」になるために(教育と受験と勉強法)

学習の仕方に困ったことはありませんか?ここでは、「真似び=学び」という形で、さまざまな学習方法へのアドバイスをしていきます。学習の仕方に悩んだら、受験勉強で行き詰まったら、ぜひ訪れてみてください。効果的な学習方法を知って、学び続ける人を目指しましょう!

「共通テスト」(外部検定・記述式)関連の混乱…でも、一番大事なのは、準備と対策をすすめること!もし、「中止」になったら、何が変わるのか?

ここのところ、共通テスト関連の混乱ともいえる話題が出てきております。きっと、怒っている方もいるんだろうなあ、と思いつつ、当事者となる高校2年生にメッセージを贈りたいと思います。

ここのところ、共通テスト関連の混乱ともいえる報道が次から次へと出てきました。おそらく、怒りにも似た感情を抱えている方もいて、教育関係者は一言も二言も言いたいんだろうなあ、と想像します。

前にも書きましたが、この問題に対する私のスタンスは、前向きにとらえて、準備をすすめること。だってやるんだから。もちろん、ここまで混乱すれば、「中止」などというものもちらつき、それはそれで大きな混乱になることも、考えなければいけません。

私自身は「中止になんかできない」と思いつつ、「じゃあ、中止になったら、「準備」って変わるよね?」ということも見据えて、今日の話を書きたいと思います。

制度変更に文句を言いたい人からすると、私のようなスタンスはより怒りを増幅する可能性もありますが、私が制度を作っているわけではないし、あくまでも高校2年生がこの現状にどう準備しておくか、ということなんで、あんまり怒らないでくださいね。

そもそも議論しよう、という立場でないので。

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英語外部四技能が揺れているけど…結局は準備は何も変わらない

まずは英語四技能外部検定の問題です。直近では、大きくふたつの動きがありました。

  • 英検が2dayから撤退。事実上1dayのみに。
  • TOIECが撤退。

こんな感じです。なんですけど、まあ、さすがに撤退とは思っていませんでしたが、私の見解はこちらでした。

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 そもそも英検は1dayになるだろうと思っていました。びっくりしたのは、むしろ、テストセンターを作るということ。きっと、365日、時間も好きな時間に受検できるようにするんだろうなあということなんでしょうね。

別にこういう実施に文句をつける気はないんですけど、こういう方式に「公平性」とか「公正」とかっていう言葉をもってくるあたりが、節操がないとは思いました。だって、英検なんて、ずっと学校受験でやってきている。公開会場だって、学校を貸し出しているわけで、そうでない場所なんて、大学ぐらいでしょってところです。GTECに腹が立ってるんだと思いますけど、過去の自分たちの実績を否定してどうすんだって思います。

ああ、いやだいやだ。

TOIECは、受験では使いにくいとはいえ、残りの中ではメジャーな方なので、驚きましたし、すごい判断だなあ、と思います。そのぐらい、47都道府県に会場作るっていうのは難しいし、また、作ったところで、GTECや英検にはかなわないぞっていうことなのかもしれません。

というわけで、この試験は予想以上に、大学入試のためのものになりそうです。おそらく、新指導要領のあたりで、ベネッセあたりのノウハウと大学入試センターが作ってきた入試ノウハウがセットになって、共通テストの英語が4技能になっていくんでしょう。なんか見えた気がします。

とはいえ、過渡期の私たちはどうすればいいんでしょうか?まして、中止になったら、何か準備が変わるんでしょうか?というわけで整理してみます。

結論からいうと、今までこのブログを読んできた人は、動ぜず、準備をすすめるだけです。

その1 共通テストの外部検定はもとからほとんど関係がない。

そもそも、共通テストの外部検定、つまり、高3になってから2回は、有名無実化しています。

基準が、A2とか低すぎ。

受けてなくてもいいよ、という大学まで出てきた。

というわけで、そもそも、これは、お金使って受験資格だけ得ればいいんで、実際にどれを受けたら、高得点で有利になるか、みたいな話ではないんです。

だから、仮にこれが中止になったら、お金は節約できますが、じゃあ、4技能とか外部検定とかいらないかっていうとそうはいかない。

以下に書きましたが、共通テストの英語は大きく変わるし、英語4技能外部検定に関しては、推薦や私大でガンガン入ってくるわけで、もとから、この「共通テストの外部検定」はどうでもいいわけですね。

その2 私大を含めて、外部検定全般は拡大の一途=ただし、使えるものは大学によって異なる。

で、仮になくなったと仮定して、「時期尚早なんでやめます」と言ってくれたと仮定して、英語4技能外部検定の準備はしなくていいのか、というとそうはいきません。

なぜなら、これを利用した私大入試は拡大の一途をたどっているからです。

しかも、これは高3になってからなんて関係ないし、今回英検が撤退するとか、TOEICが辞退するとかまったく関係ないです。

上智は、ずっとTEAP一本だし。早稲田の商は、なんと英検だけにしぼるみたいだし。早稲田の政経も、一般入試でこの外部検定をマストにして得点化するし。GTECは嫌われていて共通テストの有力候補なのに、いっこうに私大で増える気配がないし。

要は、共通テストとは別に、外部検定は私大のためにやるしかない。

しかも、国立の推薦は拡大方向。

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となると、ここではA1とかA2なんていうアホらしい基準でなく、かなりB1に近い基準で、しかもこれが得点化されていく以上、かなりシビアに取り組まなければいけなくなるわけです。

というわけで、「やめた」と言われたってやるしかない。ここで、ほっとして、準備をやめた人から受験機会が減るんです。

 

その3 共通テストの英語の改革は、思っている以上に厄介で、準1級ベースの力を目標としたい。

で、百歩譲って、そんな入試はいいよ、面倒だから…ってやるとします。でも、早稲田の政経みたいに、外部検定ないと受けられなくなる大学も出てくるわけですね、高2以降は。

まあ、それでも「そんな大学は受けない!」ってやったとしても、共通テストの英語が変わるわけです。

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この対策をよくわかっていない高校があるとしたら、大問題です。少なくともこれだけ見れば、リスニング重視は間違いない。しかも、レベルがB1が大問で二題出て、これが1回読みになると。

高校がわかっていないなら、みなさんがわかって準備をするしかない。

これ、簡単に言うと、英語を英語のまま理解していくスピード感がないとまずいわけで、極端なことを言えば、長文読解にも影響してきます。

この対策を進めるというのと、4技能化はすごく近いところにあると私は思っていて、従来型の、英文を辞書引いて全訳する、なんてやり方が(さすがにもう消え去ったと思いますけど)まかりとおっているとしたら、大変なことなんです。と考えると、そもそも、共通テストに向けて、英語の学習はとにかく変えていくしかないんです。

 

記述式の採点がバイト?だから、何が問題なのか??

さて、もうひとつの話は、国語などの記述に大学生のバイトが使われる、ということです。

ちょっと、言葉が悪いけれど、「それの何が問題?」ということです。一生を決めるような、大学入試を、ついこの間までそれを受けていた側が採点するって…ということですよね?気持ちはわかりますが、本来、問題は、採点がきちんと行われるかどうかです。

だから、筋からいえば、問題となるのは、根本的には二つ。

  1. 結局、記述式って、多様な答えが出てくるよね?それって、小規模ならともかく、全国40万人でやれば必ずずれるよね?それ、どうやって公平にするつもり?
  2. 結局、アルバイトがやるとか、どっかに委託するとか納得いかないんだけど。大学入試やるんだったら、大学がきちんと採点しないと納得できないよ。無理なんだったら、やめなよ。

という、こういうことを言っているに過ぎません。

1については、正論です。だから、マークなんですよね。でも、マークはマークの限界があって、塾業界的な、テクニックに走り、本当の学力にならないわけですよね?で、本来、これはこれとして、二次試験をきちんと入れて思考力みましょうねって改革に進めばいいわけですけど、じゃあ、この答え選びテクニックが学力なのかって問題になるわけですよ。

まあ、あの程度の記述のどこが思考力かって話ではありまして、所詮、あんな問題は、「設問にちゃんと答えましょうね」っていうそれだけの話でしかなくて、それでさえ、入れなければいけないほど、現代のセンターは硬直化してテクニック化していることは間違いないわけですね。

いずれにしても、記述を入れる以上、ブレは出てくるわけで、それを「公平性」で切ってしまえば、選択式に戻るしかないっていうつまらないことになるわけです。

2については、気持ちはわかるとしかいいようがありません。でも、実際私大入試なんかでは事務職員や院生がかり出されるケースもありますし、実際に入試の採点をしている身からすると、国語の先生だったら客観的につけられるかといえば、そういうものでもありません。だから、気持ちは気持ちとして、本題は、採点基準で話し合うべきで、特に今回の試行調査については、自己採点の基準から、そのやり方からその部分まで細かく公開されているわけで、本来批判するなら、その得点の入り方や、そのやり方が高度でだからバイトにはできない、とかそういう批判にするべきで、いきなり「バイトは許さん!」みたいなことは筋違いです。

まあ、気持ちはわかりますけどね。もっとうまくやってほしかったとは思いますけど…。

 

バイトができるということは、採点基準が明確であるということ~誤字脱字は切り捨てている!

そもそも、今回の一番、重要なことは、「大学生のバイト程度でも採点ができるような仕組みになっている」ということです。つまり、思考力レベルの問題ではない。その意味では記述ですけど、ただの知識読み取り問題に過ぎません。

すでに書きましたけど、今回は狙いからして、思考力ではなく、「設問にきちんと答える」程度です。

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裏を返せば、その当たり前のことができない受験生、大学生がいっぱいいるということです。

傍線部がどういうことか聞かれているのに、答えずに、本文に選択肢があるかどうか探しに行く。

わかりやすく説明しろと言われているのに、本文をそのまま写す。

指示があって、設問が作られているのに、とにかく賛成か反対か書いてその理由を書く。

こういう受験生や学生がいっぱいいて、あるいは塾や学校で、そういう指導がまかり通っていて、しかもそれがすごいことのようになっていて、そしてそれでセンターやマーク試験を行っているわけで、しかも今回のじゃないけど、「客観的な学力」とか「採点の公平性」とか言うわけです。

私は、だからこそ、今回の「混乱」に対する怒りみたいなものは、もちろんあるけど、そこに大きな声あげて、元に戻そうとするのは、なんだか脱力なんですよね。

じゃあ、いいじゃん。ずっと変えずにやれば…。自分は自分の目の前の生徒にちゃんと教えるからさ…。とにかく答え選べばいい人は、塾でもなんでもいって、正解選びゲームをやればいいんだよ、と思うわけです。

少なくとも、記述問題の導入だって、必要なことだし、大学が採点したくないとかだだこねるとか、こうなっているだけの話だし、なんだか全てが悪いことのようにしていくのは筋が違うと思います。

戻しましょう。

大事なことは、「大学生でも採点できるぐらい知識読み取り問題」です。これが記述っていうなら国語の先生のやることはなくなるぐらい「知識読み取り」です。だから、答えは果てしなく「〇×」です。

大きな問題でいえば、誤字や脱字は減点さえしない。こういうところに問題意識を持つならわかるんですよね。

たとえば、正解が「本」だったときに、「本」に横棒一本増やして、わけのわからない漢字になっても、採点者が「本」て書こうとしたなら、減点なし。

これを棒一本抜いて「木」と書いたらバツ。「本」は「木」ではないからです。こういう採点である以上、ボーダーもいっぱいでてくるでしょう。たとえば、「認識しない」と書くべきところを「認識する」と書いたら逆ですから当然バツで、「認識しな」と書いている場合は、「認識しない」という記述の途中なのか、それとも「認識しなさい」という意味の命令なのかで、バツかマルかが揺れるからです。

でも、いくら揺れるにしても、所詮、ミスから起こる話で、もともとのマルがバツになる話ではないし、採点の話がこういうレベルに落とし込まれるぐらい、知識読み取り問題なんです。

自己採点は、結構正しくなかったようですが、それもかなりきちんとできるように設計されていると思います。そもそもこれができないということは、やはり、この記述程度の問題をきちんとこなすことができないレベルなんだろうと思いますし、少なくとも自己採点とバイトとはいえ採点者のレベルは違うはずです。

いずれにせよ、この問題の議論は、問題の質と採点の実際でされるべきです。

個人的には、この程度のことを問うために、こんなことをやるのか…というのが感想ですが、一方で、この程度のことを無視する受験生がいっぱいいて、これだけのことをしてでもメッセージを発しないと大変なことになる…という危機感もわかります。

国語は所詮、答えがわかりにくいので、本文にあるかないかゲームにして、答えをひとつにして、文章なんかわからなくても正解が選べるようにしたい…っていう受験生や保護者の気持ちなんでしょうから。

というわけで、かなり愚痴ぽくなりますが、全体としてはこれから少子化に向かいます。そして、グローバル化はますます進み、さらに言えばAIの台頭とともに、クリエィティビティを持った人とそうでない人の格差は一段と進んでいくでしょう。

そういう中で、「完璧な公平性」なんて意味がない。

そんなことより、こういう改革の中でどんな力をつけていくかが大事なんです。多少の揺れやずれがあったにしても、そういうものを含めて、自分がしっかりとした力をつけていかないと、これからの少子化、グローバル化の中で、本当の人材育成みたいな話になったときに、大変なことになっていくと思います。

最後に、とってつけたように、ですが、私自身、今回の大学改革が拙速であることは確かに感じることです。でも、それは逆に言えば、限りなく理想を追いかけにいった結果であるように感じると思います。

今回が早かったとしても、じゃあ、あと何年か遅らせたら、準備が整うか、といえば、そういう問題ではなく、「やる!」と決めない限り、そして「やらない」限り、誰も具体化していかない、というそういう話だと思います。

私は少なくとも、今までの大学入試は問題だと思います。

だから、変えるのは賛成。変える以上、おそらくどんなに準備をしても、きっと問題が起こる。だから、文句を言うな、ではなく、いっぱい文句を言って、「変えない」のでなく「いい方向に変える」ということが大事なのではないでしょうか。

 

というわけで、とってつけたようですが、みなさんが文句を言ったり、不満を言ったりすることがいけない、ということではありません。

私としては、あなたが受験生なら、雑音に惑わされずに、とにかく準備をしましょう、ということ。

あなたが教育関係者なら、文句をいっていいけど建設的に改革を進めて、これからの時代に合う教育と、そして入試制度を考えましょうということ。

もちろん、過渡期は大変だし、そこにあたる人は納得いかないかもしれないけど、前向きに捉えるかどうかで、大学に入ったあとの、長い競争への向き合い方が決まる気もするんですね。